武蔵阿蘇神社 目次
名称・旧社格
阿蘇神社と称します。通称、武蔵阿蘇神社と呼ばれています。旧社格は村社です。
創建
推古天皇9年(601年)に健磐龍命(たけいわたつのみこと)より賜った霊物(玉)を祀ったことが始まりとされる。933年に平将門によって社殿が造立された。
御祭神
健磐龍命・阿蘇都媛命(あそつひめのみこと)、速瓶玉命(はやみかたまのみこと)、国竜神(くにたつのかみ)、比味御子神(ひめみこのかみ)、彦御子神(ひこみこのかみ)、和歌比味神(わかひめのかみ)、新彦神(にいひこのかみ)、神比味神(やひめのかみ)、若彦神(わかひこのかみ)、弥比味神(にいひめのかみ)、金凝神(かなこりのかみ)
みどころ
多摩川沿いのサイクリングロードの終点から参道が始まります。アクセスの難しさと裏腹に重厚な境内が信仰の力を感じさせます。
アクセス
東京都羽村市羽加美4-6-23
探訪レポート
武蔵阿蘇神社には当ブログの特別企画「多摩川左岸百所巡礼」で訪問したのですが、大幅加筆で再レポートさせていただきます。写真は訪問当時のものです。
羽田空港から多摩川沿いに自転車も通れる土手沿いの遊歩道があります。「たまロード50km」という名称で、多くの都民が歩いたり走ったりしています。そんな遊歩道は正式には羽村の玉川上水取水施設で終点なのですが、土手沿いの道はまだ続いていて、最終的には武蔵阿蘇神社の鳥居が現れます。多摩川の土手沿いは、川に近くて歩いていると気持ちが良い道なのですが、その終着地が神社というのは神秘的なものを感じますね。他に住宅地側に東参道という入口があります(冒頭写真)が、表参道はこの土手沿いの道になります。
一之鳥居をくぐって進むと、川岸なのですが山の中のように森に囲まれます。先は見えなくて、長い参道が続いています。視界が一気に閉じるので、神妙な雰囲気になります。武蔵阿蘇神社は、権力や財力を持つ貴族や武士が創建したのではなく、始まりは民衆の信仰心でした。多摩川が氾濫して里村が流された災害の後、老翁が現れて霊物(玉)を村人に授け「これを川に鎮めれば水害から救われる」と言いました。村人たちはその言葉を信じ、その玉を恭しく祀ったことが創建の逸話となっています。このときの老翁が主祭神である建磐龍命とされています。
参道の脇に石の祠とお墓らしきものが現れます。これは羽村を支配していた三田氏の三田雅楽之助平将定の墓とあります。しかし、これらの墓は江戸時代の様式で造られていて、三田雅楽之助平将定が生きた時代とは200年ほど開きがあるそうです。このあたりから奥多摩方面にかけて、平将門の伝承がいくつか残っています。上記の村人たちの信仰を知った将門が、武蔵阿蘇神社の社殿を築いたとされています。将門の乱の後、奥多摩方面に逃れてきた将門の子孫が三田氏のルーツと伝えられています。
参道は結構長くて、土手沿いなのでキロ杭が建っています。海から55kmです。承平元年(931年)平将門が社殿を築いたのは上記の通りですが、将門を討ち取った藤原秀郷も天慶3年(940年)に武蔵阿蘇神社の社殿を改修したと言われています。早稲田の水稲荷神社も藤原秀郷が将門の霊を鎮めるために建立したと伝えられています。後世に怨霊として嫌われまくった将門ですが、秀郷はかなりきちんと鎮魂祈祷しています。
参道の途中に稲荷社があります。小さいですが御神使が立っていて、榊立てもあります。きちんと整えられているので、お世話をしている方がいらっしゃるのだと思います。
森を抜けると、参道は提灯の下がった二之鳥居に突き当たり、ここから先は多摩川沿いに道がなくなり、羽田空港から続いた多摩川土手沿いの道がついに終わりました。左の多摩川河川敷の様子を見ると、本当に多摩川と寄り添っている神社というか、多摩川と一体と言っても良い気がします。
すぐにまた鳥居があります。三之鳥居の奥は階段になっています。境内は少し高い場所にありますが、それでも多摩川が近すぎるので、洪水などで川が荒れると怖いですね。
階段を上がりきると境内が広がります。想像以上に立派な社殿が現れます。社殿の扉は開け放たれていて、中の雪洞に明かりが灯っていました。この社殿は東京都の文化財に指定されています。阿蘇神社というからには、本社は熊本県の阿蘇神社なのですが、お祀りされている阿蘇十二神は、阿蘇を開拓した健磐龍命(たけいわたつのみこと)とその血族です。わざわざ熊本の地から多摩地域を鎮めるために分霊されています。
こちらは東京都の天然記念物になっている椎木です。石積みで造られた境内の端、崖の上にあって、今にも多摩川の方へ崩れ落ちそうです。藤原秀郷が社殿を改修した際に自ら手植えしたという伝説があるそうです。真偽の程はさておいて、藤原秀郷が創建や再建に関わった寺社はかなりの数になります。将門の乱の後、武蔵国司を兼任していたので、東京都にも多くの自社が残っています。生首がいつまで経っても腐らずに喋り続け、胴体を求めて京都から東京まで空を飛んだという話を聞くと、藤原秀郷も神仏に縋りたくなったのでしょう。
何だったか思い出せませんが、本殿周辺摂末社がたくさんありました。阿蘇神社の創建は、社伝によると天文5年(1536年)には三田氏が7回目の改修を行ったと記録されているそうです。現社殿は延宝4年(1676年)に再建されたものです。
こちらは直日宮と書かれた扁額があるのですが、おそらく直日神(なおひのかみ)をお祀りしているお社だと思われます。伊邪那岐が黄泉の国から戻った際に行った禊から生まれた神がもたらす穢れや禍を改めるために生まれた神様とのことです。
手入れされているもの、いないもの、たくさんの祠がありました。いつも思いますが、どんな神様がどんな由来でそこにお祀りされているのか、わかるようにしてほしいです。
こちらは阿蘇宮という摂社? のようです。東参道の鳥居の正面にあります。武蔵阿蘇神社は大田区から続く多摩川サイクリングロードの終着地になるということで、サイクリングをする方々の聖地のひとつのようになっていて、自転車お守りが販売されています。海から55kmですから、半日かけてサイクリングするにはちょうど良い距離なのでしょうね。以前、秩父の子の権現を訪れた際も、本格的な自転車に乗った方がたくさんいらっしゃいましたが、子の権現へ上る坂道がサイクリング界隈では聖地となっているようでした。きっと他にもそのような場所が全国に点在しているんでしょうね。
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