日本の寺院のルーツは、中国や朝鮮半島から渡ってきた僧侶によってもたらされました。最も古い寺院は奈良の飛鳥寺で、6世紀末とされています。
一方、神社のルーツは縄文時代の精霊信仰に求められます。山中の巨岩や奇岩、巨木や滝や洞窟などを聖地として、そこに宿る精霊に祈りを捧げてきました。それが御神体と拝殿になり、祈りの対象が日本神話の神々に上書きされて、寺院に倣って社殿や境内が作られるようになったとされています。
日本の歴史は飛鳥時代あたりからある程度体系的な記録になっていると思われます。それ以前は神話の物語だったり、中国の歴史書に登場したり、遺跡が発掘されたりと、ピンポイントな情報が点在している感じです。紀元前創建の神社がありますが、それを証明する科学的な証拠などはおそらく存在せず、社伝によると……という曖昧なものだと思います。しかし、悠久の歴史浪漫を求める当ブログには科学的な証拠など不要なので、紀元前の聖地に行ってみましょう。
③ 紀元前91年創建 武蔵御嶽神社
奥多摩の人気スポット、武蔵御嶽神社です。10代天皇の崇神天皇7年に、8代孝元天皇の孫で阿倍氏の祖とされる武淳川別命(たけぬなかわわけのみこと)が東方十二道を平定しました。その際に大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀ったのが起源なのだそうです。崇神天皇や武淳川別命自身の生没年について不詳で諸説多々あるので、紀元前91年にどれだけ信憑性があるかは不明です。
境内から40分ほど奥地に山道を行くと奥の院があるのですが、その手前に日本武尊命を祀る男具那社という祠があります。日本武尊命が東征の際に奥の院で邪神に道を迷わされた際に、白狼が現れて日本武尊命を助け、日本武尊命が白狼にこの地の守護神となるように命じたという伝説があります。奥多摩・秩父エリアでは類似する伝承が多々あって、お犬様(白狼)を神の使者とする神社があります。
② 紀元前389年創建 穴澤天神社
創建は6代天皇の孝安天皇4年の3月だそうです。紀元前423年創建という説もある穴澤天神社は、稲城市のよみうりランド近くにあります。天神様なので菅原道真もお祀りしていますが、そんな大昔に道真は生まれてすらいないので、天の神である少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀る天神社なのです。とはいえ、少彦名命は大和朝廷によって編纂された日本神話に登場する神なので、創建時から少彦名命を祀っていた訳ではなく、土地神として穴澤神という神を祀っていたと伝えられています。
三沢川という川沿いに位置し、多摩丘陵の斜面に建てれた神社なのですが、斜面を降りた川沿いに洞窟があり、東京都の名水57選に指定されている湧き水が湧き出しています。洞窟の奥には小さな祠がありますが、太古の昔からこの状態だったはずもなく、川の氾濫などで地形は変化していると思います。それでも水や崖や洞窟というのは、縄文時代に信仰が生まれた要素とされています。人類最初の信仰儀礼は、洞窟の中で行われたそうです。恵みの水を与え、儀礼を行う洞窟がある多摩丘陵に対して、祈りを捧げていたのかもしれませんね。
① 紀元前531年創建 小野神社
私が訪れた寺社の中で最も古い創建の伝承を持つのが、多摩市の聖蹟桜ヶ丘駅付近にある小野神社です。小野神社は3代天皇の安寧天皇18年に、武蔵国開拓の祖神である天下春命(あめのしたはるのみこと)を祀ったのが創建とされています。小野神社は武蔵国一之宮と称されていて、延喜式神名帳にも多摩八座のひとつとして記載されています。(いずれも論社)
ともあれ、平安時代には既に武蔵国を代表するような神社だったことは確かなようです。現在の小野神社の境内に、2500年の歴史を見つけることはできませんが、2500年前の日本に、神聖なものに対して敬虔になる人類が存在したことは疑問もありません。だから、その場所が「ここ」だったという伝承を素直に受け入れましょう。長い歴史の間には、焼失したり再建されたり、場所が移ったり栄えたり荒廃したりした時期があると思います。おそらく無人だった時代もあると思いますが、現在の小野神社には宮司さんがいらっしゃるようです。
私が訪れた中、という極めて限定的な中での選択ですが、23区内の寺社が含まれないという結果になりました。青梅市、稲城市、多摩市にあるこれらの古社に共通するのは、多摩川沿いという環境です。やはり水は人類にとって特別の縁がありますね。数千年前の多摩川はガンジスのように、聖なる川としてこの地に生きる人々を育んでいたのでしょう。
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