寺社探訪

寺社探訪とコラム

「荒川 百所巡礼 26」

秩父郡皆野町の荒川左岸を歩いています。長瀞宝登山の観光地エリアを抜け、静かな山間の町並みとなっています。

目次

ワンダーランド

荒川 百所巡礼 第208番 お堂

皆野町金崎エリアを歩いていますと、霊園の入口近くにお堂がひとつありました。現在も使用されているのはわかりません。右に馬頭尊の石碑が建っています。軒天部分に穴が開いたまま放置されていて、扁額も判読不能で少しずり下がっています。

通りの案内板ですが、この辺りは国神地域と言いまして、近くに古墳やら御神木やらがあります。秩父の国の国造であった知知夫彦命と知知夫姫命の墳墓がこのエリアにあったと言われています。

 

荒川 百所巡礼 第209番 国神神社

この神社は創建不詳とのこと、江戸時代かもしれないし、1000年前かもしれないし、2000年前かもしれません。国神神社になる前は琴平神社だったそうで、更に昔は金毘羅大権現を祀る金毘羅社だったそうです。これは天正年間(1580年頃)にこの地を治めていた多比良丹波守忠平が武運長久のために大物主命を勧請したと記録にあります。きっともっと古い神社なので、金毘羅権現が祀られる以前の神様がいらっしゃったことでしょう。

明治34年竣工の社殿です。この社殿、度肝を抜かれる凄い彫刻が施されています。これは社殿の建設時に造られたものですが、彫刻家がどれだけの心血をこの彫刻に注いだかがわかります。案内板には、どこにどんな彫刻がなされているかの説明板もありますので、寺社仏閣の彫刻が好きな方は、ぜひ一度ご覧いただくと面白いと思います。

 

荒川 百所巡礼 第210番 祠

国神神社から秩父児玉線(県道44号線)を歩いて程なく、鳥居と小さな祠がありました。鳥居の位置からすると、祠が主祭神ではなくて、もっと奥に何かしらの社殿的なものがあるのかなとも思いますが、この上は皆野高校のグラウンドになっています。

こちらは「青木與市巡査殉難の地」と書かれています。明治17年1884年)の秩父事件によって、殉職した警察官の墓だそうです。当時は憲法が作られたり議会ができたりと、近代社会が整えられつつある中、自由民権運動という政治運動が盛んだったのですが、中には激化して事件化することがしばしばありました。秩父事件も激化事件のひとつで、デフレスパイラルに陥った政策のために困窮する人々が増え、秩父地場産業だった養蚕業も壊滅的な打撃を受けます。そこで高利貸しの借金帳消しと税金の減額を求めて数千人規模で蜂起しました。歴史で習う一揆みたいなものですね。国家の体制を軍力や暴力で覆そうとする行為は、国家反逆で死刑となる重罪です。秩父事件でも首謀者たちには死刑が言い渡されます。蜂起を鎮圧するために巡視した警察官の慰霊のために、このような慰霊碑が建てられています。

 

荒川 百所巡礼 第211番 曹洞宗 長楽寺

なんとも派手派手しい入口です。先ほどの「青木與市巡査の慰霊碑」はこの長楽寺の土地に、住職さんが建てたのだそうです。私はかつてこの道を車で通過したことがあるのですが、周囲の景色は忘れていても、この派手な入口だけは記憶に残っていました。

稲荷神は多くの仏教寺院にも祀られていますし、荼枳尼天稲荷大明神として仏教と習合しています。しかし、このように参道のど真ん中にあるのは珍しいですね。鳥居が崩壊しかけていますが、大丈夫でしょうか。

稲荷社を過ぎると山門があります。屋根の上にしゃちほこがありました。名古屋城など城の屋根の上にあるものと思いがちですが、寺院の屋根にしゃちほこがあることもあります。そもそも火伏せの守り神的な意味合いです。

扉の内側に木槌があります。これは何となく想像つきました。ここで木槌を一つお借りして……

この参道の両側の鐘を叩きながら進むというアトラクションでしょう。それぞれ、十二支と仏様の名前が書かれていて、おそらくそれぞれの干支の守り本尊なのではないかと思います。ああ、今書いていて思いましたが、これは自分の干支の鐘を一発だけ鳴らす感じですね。流石に恥ずかしいのでやりませんでしたが、私は片っ端からカンカンカンカン・・・と全部鳴らすものだと思っていました。

鐘楼堂もあります。鐘楼堂には虚空蔵菩薩と書かれています。先ほどの木槌で鳴らす鐘の寅年も虚空蔵菩薩でしたが、どういうことでしょうか。

こちらは本堂ではなく不動堂です。本堂はどこにあるのかわかりませんでした。満願不動明王の扁額がかかっています。当ブログでとある人物の情熱と独特のセンスで維持されているワンダーランドな寺院をご紹介していますが、長楽寺さんはどのような住職さんが運営しているのか気になってしまいます。

 

秩父市

こちらは大渕古墳です。私自身は詳しくないのですが、古墳は1500〜2000年前にどんな生活をしていたかが伺えるので、大きなロマンがあります。特に日本史には「失われた4世紀」があって、古墳の調査によって謎が解き明かされていくのは、本当に興味深いです。富雄丸山古墳とか、楽しみですよね。またどんなに歴史的に重要な資料価値があっても、天皇の墓は発掘調査しないというのが、またロマンにロマンを重ねます。真実の解明を求める文部省VS天皇の平安を守る宮内庁という図式が面白いです。

郷平橋を渡ります。この橋は荒川支流の赤平川に架かる橋です。すぐ目の前で荒川と合流しているのがわかりますか? 右からやってきて奥に流れていくのが荒川です。この橋を渡ると皆野町秩父市に入ります。

 

荒川 百所巡礼 第212番 曹洞宗 宝蔵寺

このあたりの寺院は墓地の販売に余念がないですね。秩父エリアを歩いている間に見慣れてしまいましたが、東京だとお寺の敷地は高い塀に囲まれているものです。実はこんな風に塀に囲まれない寺院の方が多いのかもしれませんね。

これは樹木葬のよう集合タイプの納骨堂でしょうか。芝生がきれいに整備されています。この隣に一般の区画墓地が販売されていましたが、空き区画の方が多かったです。

本堂です。本堂へ向かう参道は砂利とコンクリートが敷かれていて、芝生とのコントラストがはっきりしています。禅宗らしい質素な本堂です。寺の由緒が書かれた石碑がありましたが、達筆すぎて読めませんでした。

さて、ここで新皆野橋を荒川左岸から右岸に移ります。この橋は国道140号ですが、埼玉県と山梨県を結ぶ主要道路で、有料道路区間もあります。これまでの橋に比べて高く、覗き込むのが少し怖いです。新皆野橋ビューポイントと名前が付いていて、ここから見える山々の説明版がありました。左の奥の方に頭だけ見えているのが、荒川源流の甲武信岳だそうです。橋を渡ると一時的に秩父市から秩父郡皆野町に戻ります。

彩甲斐街道と再会し、しばらく歩いていると再び秩父市に入ります。アピールが凄いですね。やたらと自動車関係の会社が連続する通りを進みます。実は長瀞からここまで、コンビニが無くて苦労しました。水分補給もですが、何しろ暑かったので冷たいものが欲しかったのです。コンビニの駐車場でガリガリ君をいただきました。

 

和同開珎

荒川 百所巡礼 第213番 曹洞宗 東昌院

最初に焔魔堂と出くわす珍しい寺院です。

こちらが入口のようです。やはり門も塀もなく、オープンエリアな寺院です。

こちらも先ほどの宝蔵寺と同じく、曹洞宗らしい本堂です。似てますよね。「文殊閣」と扁額に書かれています。東昌院の本尊が文殊菩薩とのこと。

 

荒川 百所巡礼 第214番 聖神社

この地域は黒谷というのですが、この場所が全国的に有名なのは、この奥の山で採掘された自然銅のためです。この銅は日本最初の流通貨幣である「和同開珎」を生み出し、元号まで「和銅」に変えてしまいました。これがいつ頃の話かと言うと、和銅元年は708年ですから、古墳時代の最後期、奈良時代になる前のことです。

ともかく大和朝廷はこの銅産出を大変喜んで、多治比三宅麻呂という貴族を鋳銭司という官職を派遣し、銅山として運営しました。当地では銅の発見された山中に神籬(ヒモロギ:神の宿る聖地)を建て、銅をご神体として、鉱山の神である金山彦神を祀りました。その神籬を山の中から現社地に移したのが和銅元年で、聖神社の創建とされています。

ともあれ、銭神様ということで、お金に関しては最強のパワースポットのようになっています。恋愛とか健康とか学問とか、ご神徳が称えられる神様がたくさんいますが、お金の神様というのは、私としてはどうも受け入れにくいです。即物的すぎるというか、欲望剝き出しと言うか、神仏に対して敬虔になる気持ちとかけ離れれているように感じてしまいます。

長時間歩いて疲れたので、境内のベンチに座ってうなだれていると、眼の前に絵馬がたくさんぶら下がっていました。よく見る一般的な絵馬の他に、和同開珎の形をした絵馬もありました。どの絵馬も要約すると「お金ください」という率直な欲望で満たされていました。中に「これで得たお金は必ず世界平和のために使います。だから〇〇億円ください」というお願いもありました。「ならば世界平和を願えば良かろう。なぜ一旦お金に換えて、しかもお前を通すのだ! ご神徳ブローカーめっ」と、神に代わって説教したい気分になります。

しかし神様は偉大です。そんな即物的な人々の欲望を叶えてくれます。銭神様のご神徳によって大金を手にした方々からの、喜びの報告が張り出してありました。では、そんなことを言う私は、銭神様の前でお金持ちになることを願わないのか? と言われそうですが、私が自分のことをお願いする神社や寺院は決まっています。なんと申しますか、神様や仏様との関係性を築きながら、信仰を捧げ、願いを聞いていただくという感覚です。つまり、こんなに多くの神社や寺院を訪れておきながら、実はほとんど願い事をしていません。ご挨拶のように「こんにちは、またよろしく」とお参りしています。

 

荒川 百所巡礼 第215番 和銅稲荷大明神

彩甲斐街道へ戻り、秩父鉄道の線路を越えてしばらく歩くと和銅稲荷大明神がありました。小さな神社ですが、この地域は古墳時代から人々が集まって暮らしていた場所です。きっと今日までたくさんの神社が建てられて、廃墟になったり、他の神社に合祀されたりして姿を消してきたと思います。聖神社は村社として多くの神社を合祀してきた歴史がありますが、そんな中でも和銅稲荷大明神はここに存在しているのです。

駅のホームにも和同開珎。不思議と風景に違和感を感じません。

 

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