かつて、埼玉県東松山市に「神秘珍々ニコニコ園」なるテーマパークがありました。とある地域住民が自宅の敷地をテーマパークにして、独自の超個性的な展示やアトラクションを展開していました。こういった施設は全国に点在していて、知る人ぞ知る不思議なワンダーランドとなっています。
寺社においても、住職や宮司、あるいは地域住民の強い意志とセンスが境内を凌駕している場面を見ることがあります。今回は、信じる心が強ければ、どんな理想にも辿り着けることを示してくれる寺社をご紹介します。
奥多摩エリアの人気スポット「清流ガーデン 澤乃井園」を運営するのは清酒「澤乃井」で有名な小澤酒造です。JR青梅線沢井駅前の多摩川沿いに、自然と日本酒と懐石料理と庭園を楽しめるテーマパークを運営しています。酒蔵見学や美術品や工芸品のギャラリーなども楽しめます。
寒山寺は澤乃井園から橋を渡った多摩川の対岸の崖にあります。そもそも寒山寺は中国の蘇州にある臨済宗の寺院で、国際的に参拝者が訪れるような大寺院です。明治18年に書家の田口米舫が蘇州の寒山寺から持ち帰った釈迦如来像を安置するために、小澤酒造の当主が昭和5年にこの地に建立しました。本堂と鐘楼堂があり、自由に鐘をつくことができるので、記念撮影して鐘をつくための行列ができます。この寺院は日本の臨済宗とは無関係で、宗教法人ですらなく、住職もいません。澤乃井園の施設の一部のように存在しています。そのために、仏教的にどうなの? と言われそうですが、そこには所属や権威に無関係で、鐘をついて仏像に手を合わせるという仏教のはじめの一歩を体験してほしいという創始者の想いがあるように感じます。
数年に1度、蘇州の寒山寺から関係者を招いているそうで、寒山寺の本堂内に中国の僧侶たちとの交流の記録が展示されていました。小澤酒造の当主家は、青梅鉄道(現在のJR青梅線)の創始者のひとりでもあります。奥多摩開発で成し遂げた事業は多々あると思いますが、その中に寒山寺の建立も含まれていて、多くの方々が訪れているというのは素晴らしいですね。
② 善養寺(世田谷区)
世田谷区野毛にある真言宗智山派の寺院です。丸子川に架かる赤い欄干の橋は、大日橋と命名されていて、そこから境内に入ります。橋を渡るとすぐに巨大な石像が並んでいます。確かに宗教的ではありますが、これまで接してきた仏像とどこか違う。そんな異様の巨像に違和感を感じつつ、その大きさと数に圧倒されてしまします。
羊や狛犬的な神獣の像などが安置されていますが、明らかに中国大陸の要素を強く感じる像です。仏教由来なのかどうかもわかりませんが、度肝を抜かれるといいますか、お寺にお参りするという静かな心ではなく、不思議な感覚に心がざわついてきます。
境内にも、あちこちに脈絡ない感じで像が安置されています。仏教は偶像崇拝するので、寺の境内に像が置かれていると、畏怖の念を抱いて手を合わせる対象と捉えます。その対象があまりにもバラエティーに富んでいると、こちらの感覚がバグってしまうのだなぁと思いました。少し慣れが必要です。慣れてきたら、住職さんが何十年もかけて集めたコレクションを楽しめるようになるでしょう。
①浄名院(台東区)
浄名院は天台宗の寺院で、上野寛永寺の塔頭寺院のひとつです。徳川将軍家の4代家綱の生母である宝樹院の菩提所となっています。こちら( ↑ )の門とは別に、新しい寺院の入口を整備中で、そちらから入るとコンクリート造りのスタイリッシュな建物があって雰囲気は全く違います。昨今流行の屋内納骨堂をかなりの規模で展開しているようです。築地本願寺もそうですが、寺院運営の起爆剤として納骨堂はかなり効果があるようです。
明治12年(1879年)に当時の住職であった妙雲大和尚が84000体の地蔵菩薩を建立することを発願します。当時の天台宗は、天台座主が総本山の比叡山延暦寺と、徳川家康が眠る日光の輪王寺と、江戸の大本山である寛永寺の貫主を兼任していました。座主は宮家から選ばれていて、輪王寺宮と呼ばれていました。当時輪王寺宮だった北白川宮能久親王も妙雲大和尚の発願に賛同して、貴族や財界から多くの地蔵菩薩が寄贈されました。
これは釈迦が入滅して100年後に、インドの阿育王が84000の石宝塔を建立したことにちなんで、仏恩に報い、仏縁を広めるために発願されたのですが、見渡す限りの石像群は一見の価値ありです。中には江戸六地蔵のひとつ(諸説あり)とされる地蔵菩薩像や、咳止めのご利益があるヘチマ地蔵、願いを聞いてくれるうかがい地蔵など、特別なお地蔵様もいらっしゃいます。おそらくですが、このために、浄名院には墓地が無かったのではないかと思われます。本寺である寛永寺が将軍家の墓所がある墓地を一般利用に開放したように、現代の葬式仏教の社会において墓地がない寺院の運営は、余程の観光名所でもなければかなり厳しくなります。納骨堂が起死回生の源泉となっていることを願う訳ですが、どう見ても84000体は無いんですよねぇ。84000体の発願は今でも続いているそうですが、今のところは20000体を超えたあたりだそうです。500年後くらいですかねぇ……。
番外編は秩父御嶽神社です。秩父方面で訪れた寺社は全てワンダーランド的でしたが、中でも最強のワンダーランドが秩父御嶽神社です。教派神道の御嶽教の神社で、大日本帝国の連合艦隊を指揮した英雄東郷平八郎の名を冠した東郷公園でもあります。神社なのか公園なのか、既にワンダーランド要素が溢れ出ています。
この神社は、当地の百性の家に生まれた鴨下清八が、母の病気をきっかけに作り上げたのですが、およそいち百性ができるレベルを遥かに超えた、信仰の為せる技となっています。そもそも御嶽教は神仏習合の山岳信仰の要素が強いので、神社的なお社やら寺院的なお堂やらが境内にたくさんあります。
地元の福寿山を開いて造った神社なので、急な坂道だらけで、途中からは本殿に向かう300段を超える階段があります。そのために入口近くに里宮があって、そこでひと通りのご祈祷を受けることができます。とにかく、よくぞここまでと思わせるほどに、たくさんのお社が建てられていて、多くの神様をお祀りしています。
そんな境内には東郷平八郎の精神の普及と威徳を称えるために東郷平八郎や当時の戦争に関するものが、たくさん展示されています。当初、東郷平八郎は自分の銅像建立を許可しなかったそうなのですが、鴨下清八さんは諦めずに直談判して、銅像の除幕式に東郷平八郎本人が参列するという結果を導きます。東郷元帥の信念を覆す鴨下清八さんの情熱とは、松岡修造何人分だったのでしょうか。ちなみに、東郷平八郎と何かと比較される乃木希典の銅像もありました。
こちらがその鴨下清八さんの銅像です。山伏の格好をしていて、清貫一誠霊神として祀られています。キツい階段や急な坂道を歩いていると、ひと周りするだけで1時間はかかるこの神社をひとりの情熱が創り上げたということに感動します。
この他にも、とある誰かの信仰心が境内に溢れている寺社は結構あります。その誰かのセンスによっては奇妙な寺社になってしまいますが、見る度に素敵になっていく寺社もあります。結果はどうあれ、現状に満足せず変化を生み出すエネルギーは見習いたいものですね。
ーーーーーーーーーーーーーーー