寺社探訪

寺社探訪とコラム

「荒川 百所巡礼 24」

秩父郡長瀞町を歩いています。体調不良もありましたが、引きこもっていても仕方ないので、無理しない程度に前へ進みます。

目次

長瀞町を歩く

荒川 百所巡礼 第188番 臨済宗妙心寺派 道光寺

山門がある寺院も久々です。こちらは文亀2年(1502年)に開山されました、臨済宗妙心寺派の道光寺です。この山門は地主の家の門を移築したそうです。本尊は釈迦如来像で、文殊普賢の両菩薩を脇侍に釈迦三尊像となっています。

長瀞町が推進している「長瀞秋の七草霊場」という巡礼コースがあるのですが、道光寺は尾花を担当しています。尾花とはいわゆる「ススキ」のことです。本堂の前にイネ科の植物が見えますが、これがススキです。夏の間にもっと背が高くなり、秋になれば穂をつけて風にたなびきます。

六地蔵がいらっしゃいましたが、揃いの帽子と前掛けをしています。お地蔵様の帽子と前掛けは赤が定番ですが、道光寺のお地蔵様はおしゃれですね。

鐘楼堂もあり、立派なお寺という印象でした。そうは言っても、このエリアで寺院を運営するのは相当な難しさがあると思います。

さて、また橋を渡ります。こちらは白鳥橋で、こで荒川右岸から左岸へ渡ります。

橋の上から見た荒川は、すっかり長瀞渓谷の景色です。観光地で有名な長瀞岩畳はまだまだ先ですが、荒川の風景を見れば、もう同じ長瀞であることがわかりますね。

秩父鉄道の駅は、どこもこのようにローカル感満載です。こちらは樋口駅です。高倉健さんや倍賞千恵子さんがいたら、良い映画のワンシーンになりそうです。(時代感覚が古いですかね)

樋口駅前には、町立長瀞第二小学校があります。小学校の裏にこちらの「寛保洪水位磨崖標」があります。寛保2年(1742年)に未曾有の災害をもたらした大洪水の水位を示す史跡とのこと。ここは小学校の裏山を少し登ったところです。白鳥橋で見た渓谷っぽかった荒川がこんな水位まで洪水するのは、想像すらできないです。

 

荒川 百所巡礼 第189番 真言宗智山派 圓福寺

寛保洪水位磨崖標のすぐ山側に本堂のみがあるお寺があります。墓地もありませんので、どのように運営されているのかと不思議な感じです。寺社を訪れる場合は、事前か事後にネットで調べるのですが、円福寺について何か書かれていることはありませんでした。本堂の横に石板があって読んでみると、地域の人々の熱い思いが伝わってきます。円福寺は本堂を焼失していましたが、明治元年(1868年)にまず庫裏を建立し、本尊などの諸仏を安置して信仰を続けてきました。それ以来、本堂建立がこの円福寺の最大の宿願となりました。それから100年が過ぎていきます。昭和55年(1980年)に檀家全員が建設委員となって、月々積み立てを始め、篤志家からの布施を募ります。そして、平成元年に本堂建設工事が竣工、盛大な落慶法要が開かれたそうです。素晴らしい話です。寺院消滅のご時世ですが、100年の宿願を果たせる檀家さんたちに守られている円福寺は、力強く生き抜いていきそうです。

 

荒川 百所巡礼 第190番 瀧野神社

圓福寺の並びというか、ほぼ隣に瀧野神社がありました。入り口から撮影しましたが、奥の方になかなかの階段が見えますね。同じ山を背にしているので、霊山のように思えてしまいます。

なかなかの階段というのは瘦せ我慢で、術後の身体を言い訳に上るのを辞めたくなりました。段数よりも角度が凄いです。

階段の上にはちょっとした境内があります。社殿と神楽殿、集合住宅型の境内社もありました。瀧野神社にお祀りされているのは、日本武尊です。秩父の山々には三峰神社をはじめ日本武尊を祀る神社がたくさんあります。この瀧野神社もそのような由緒があるのかと思います。昔々のこのあたりの荒川は、両岸が岩で狭まった川瀬の中に巨岩があり、滝となっていたそうです。いつの洪水かはわからないが、洪水によって巨岩が砕け、今は滝も見られないが、ここに名前が残っています、というようなことが案内板に書かれていました。

こちらは神楽殿です。春(3月15日)と秋(10月15日)に例祭が行われているそうです。例によってこの神社も長瀞町無形文化財に指定されている「岩田神楽」が演奏されます。集合住宅型の境内社には、琴平神社白山神社天満神社諏訪神社が並んでいました。

 

エイドステーション

荒川 百所巡礼 第191番 真言宗智山派 光明寺

非常によく造り込まれた門構えです。手前に閉演した幼稚園があり、グラウンドにあたる場所に、巨大なソーラーパネルが何枚か並んでいました。これは埼玉県に限らず地方行政で話題になっていますね。空地利用すべきか景観を守るべきかという議論。門に「かきのき発電所」と書かれていたので、おそらく「かきのき幼稚園」だったのでしょうね。少子高齢化は、かきのき幼稚園のみならず、日本中の問題ですね(どこかで聞いたセリフ……)。

本堂のご本尊は大日如来です。庫裏や住職のお住まいも境内に建てられているように見えます。光明寺の檀家さんはこの地域の方々ですから、地主さんが多いと思うのですが、このあたりの地主さんであれば、一族で共同墓地を持っていたり、個人で墓地用の土地を持っていたりすることが多く、寺院墓地が必要ない方も多いと思います。その割には墓地もそこそこ埋まっていて、檀家さんはかなりいらっしゃると推察できます。それでも国全体が人口減少していく社会で、数百年先も守らねばならない寺院を運営するのは大変だと思います。

奥に建っているのはきっと不動堂ですね。手前にはピカピカのお不動様と童子です。光明寺の本堂で行われている「宮沢繭初穂光明寺の厄除け念仏」が長瀞町指定の無形文化財として登録されています。私も葬儀の仕事で念仏講の風習に触れることがあります。大きな数珠を数十名で輪になって、念仏を唱えながら回すのです。私が仕事で関わるエリアでは、講中で葬式があると集まって念仏を唱えるという風習があります。巨大な数珠や鉦などの道具は、講中で次の葬儀があるまでは葬儀のあった家で保管するというシステムです。道具箱の中の分厚い台帳を見せていただいたことがあるのですが、預かった日付と家主の名前が記されていて、令和から江戸時代まで一冊の台帳で遡れました。

余談が多くなりましたが、光明寺のシンボルだった天然記念物のカヤの木が、落雷で約700年の歴史を終えてしまったそうです。そこでお動を建ててカヤの木の根を安置して、「健康長寿観音」と命名して保存しているそうです。中を覗いてみましたが、かやの木の幹がどれほどであったかがよくわかりました。檀信徒さんや多くの人々のためにお堂に安置するというのは素晴らしい計らいですね。

 

荒川 百所巡礼 第192番 下野上神社

彩甲斐街道を越え、秩父鉄道の踏切を渡ると、下野上神社がありました。この踏切は遮断機が無くて、横切るのに少しドキドキします。下野上というのは地名です。お祀りされているのは高龗神(たかおかみのかみ)です。京都の貴船神社のご祭神で、全国に勧請されている水を司る神様です。当地はちょうど荒川の向きが大きく東に曲がる地点なので、水運に関わる方々が休憩する場所だったそうです。そのため、ここに水運安全の神を祀ったそうです。最初は貴船社と称していました。

本殿の前に拝殿を配す形はよく見かけますが、本殿をすっぽり建屋で覆って、それが拝殿のようになっています。これは覆殿という神社の建築様式のひとつです。明治維新の政策で地域の5社の神社を1社に統合する際、地域で話し合っても意見がまとまらず、抽選で下野上神社が総鎮守に選ばれたそうです。その際に貴船社から下野上神社に改称して、総鎮守として位置づけられましたが、結局元の4社はそのまま地域の人々が守り続け、現在も存在しています。実は明治維新のこの政策では、結構あるあるの展開なのです。やはり地域の皆さんは代々守られていた神社に思い入れがありますよね。突然政府の意向で隣の地区の神社を信仰しろと言われても、気持ちが着いていかなかったのでしょうね。

 

荒川 百所巡礼 第193番 諏訪神社

彩甲斐街道を進むと、コンビニの手前に神社がありました。サイクリングをしている方々が休憩していました。コンビニはサイクリングをしている方々やバイクのツーリングやドライブを楽しむ方々のエイドステーションのようになっています。特に私は徒歩なので、次のコンビニまで数時間もかかる場合がありますので。ここで私も休憩することにしました。諏訪神社というからには、長野県の諏訪神社を勧請した神社だと思われます。社殿は、下野上神社と同様の覆殿様式になっていました。

 

荒川 百所巡礼 第194番 琴平神社

諏訪神社のすぐ隣に琴平神社がありました。鳥居と祠のみで、ミニマムな神社です。右に猿田彦大神と大黒天の石碑が置かれていました。ミニマムでも造りは、下野上神社や諏訪神社と同じで、覆殿の中に木製の小さな祠があります。良い天気で暑いくらいでしたので、コンビニでアイスを買って食べました。管理栄養士さんに怒られそうですが、一応ラクトアイスではなく氷菓にしておきましたので、ご容赦願いたい。

 

秋の七草

荒川 百所巡礼 第195番 天照皇大神

コンビニを過ぎると彩甲斐街道を左に曲がり荒川に近い長瀞児玉線に入ります。きれいに整備された道路ですが、雑草が歩道を侵略しつつあり、ご近所のマダムが草刈りをしていました。こちらの神社は名称がよくわかりませんが、下袋地区コミュニティ集会所と児童公園が境内にある、典型的な正しき田舎の神社です。

瓦屋根の神社がスタンダードになってますが、扁額に「天照皇大神」と書かれています。言わずと知れた伊勢神宮の御祭神、神の中の神様、天地を司る太陽神です。

 

荒川 百所巡礼 第196番 八幡神社

また少し歩くと神社が現れました。こちらは八幡神社です。八幡神社の御祭神は八幡神誉田別命応神天皇です。社殿の中はゴチャゴチャといろんな物が置かれていましたが、寄進された方の芳名が、半紙に1枚ずつ張り出されていました。地域の方々に守られている神社だとわかりますね。

 

冒頭に登場した道光寺に続きまして、長瀞町が推進しています「長瀞秋の七草巡り」の寺院がありました。道光寺は「尾花(ススキ)」でしたが、こちらは桔梗と書かれています。

 

荒川 百所巡礼 第197番 真言宗智山派 多宝寺

「桔梗」の寺院は多宝寺です。入口を入ると少し長い参道があり、傍らに石仏が並んでいます。先程から真言宗は智山派ばかりですね。本尊は十一面観世音菩薩です。

開放的で明るい寺院です。多宝寺の歴史は古く、元亨元年(1321年)に建立されました。秩父を代表する古刹三峯神社神仏習合の時代には修験道の拠点として発展し、三峰山観音院と称していました。三峰山観音院が荒廃した際に、全国を回って浄財を集め伽藍を建設し中興したのが、多宝寺の二十四世日光法印とのことです。以来江戸幕末まで三峰山観音院の住職は、この多宝寺の住職が務めたそうです。

拝観していて、この大きな石に刻まれた歌がとても気に入りました。「大日如来のみ前に 読経聞く吾の 澄みゆく心 み佛に触るる」という歌ですが、日頃から葬儀の仕事を通じて、仏教や寺院に触れ過ぎてしまっている私は、こんな心境になることができるのかな? と、ふと感傷に浸る瞬間でした。

 

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