都立多摩桜ヶ丘学園から続きです。この付近に自販機を発見し、水分補給しました。グビグビ行き過ぎて溺れそうになり、ゲホゲホと蒸せる始末です。ここからは桜ヶ丘公園を後にして、一般道(ひじり坂)を鎌倉街道方面に進みます。緩やかな坂道を下る感じです。
多摩市は昭和の都市開発の象徴のような街で、今から50年ほど前に、全国的に建設された5階建ての団地が市内全域に広がっています。Google mapの航空写真で見ると、周辺の市にも団地はあるのですが、多摩市の団地が密集した様子は異様な光景に感じられます。多摩市の宅配は陸上部の階段トレーニングのようなもので、5階までビールの箱を担いで上がり、不在のために担いで降りるということは日常茶飯事です。
多摩丘陵の坂を下り切りました。熊野橋を渡って乞田川を越えます。ここで今回の「京王沿線の里地里山を歩こう 多摩丘陵の公園周辺 Aー3聖蹟桜ヶ丘周辺コース」は前半が終了、ここからは後半になります。
そのまま鎌倉街道を渡り旧鎌倉街道まで来ると、熊野神社が見えました。鳥居の右側にはお地蔵様の祠的なものがありますね。これは廃寺となった別当寺である熊慶寺ゆかりの地蔵尊と庚申塔なのだそうです。奥の方に階段が見えますね。恐る恐る近づいていきます。
「都史跡 霞の席南木戸柵跡」と書かれています。これは鎌倉時代の建暦3年(1213年)に鎌倉街道に設けられた木柵の関です。街道沿いに設置された監視所の跡とされています。今では自由に移動できる日本国内ですが、かつては関所があって、ルール違反をすると関所の牢屋に入れられました。古い街道沿いの関所があった場所に、ずっと開発されないままの空き地があったら、そこは関所破りの罪人の処刑地だったのかもしれません。
本殿にお参りしましょう。階段は思ったより短かったです。熊野神社は延徳元年(1489年)に、熊野三社を勧請して創建されました。明治時代に村社に列格し、以来関戸地域の鎮守の神様として崇敬されてきました。境内はきれいに清掃されています。本殿には意冨加牟都美命(おおかむずみのみこと)という桃の神様もお祀りされています。中央のお賽銭箱の土台には八咫烏(やたがらす)が描かれていました。
前半で訪れた春日神社は小野神社の兼務社でしたが、こちらの熊野神社は単独で運営されていそうです。掲示板に八咫烏や桃の神様の説明がありましたが、例大祭で一緒に神輿を担ぐ人も募集していました。貸出し用の半纏もあるそうで、なるべく多くの人々でお祭りを盛り上げようということです。
さて、熊野神社を後にして、旧鎌倉街道を歩きます。この道も配達でよく通りました。この道を進むと多摩市役所があります。
関所なような門が突然現れます。原峰公園の看板がかかっています。原峰公園は多摩市立の公園です。ここで私がまずしたことは、門の前の丸太に腰掛けるという落ちぶれっぷりです。
門を通って進みます。民家に挟まれた隙間にあるので、細長い通路が続きます。見落としてしまいそうな入り口を入ると、迷路のような細い道。まぁ、分岐はないので安心ですが。
池のような場所に出ましたが、水が全くない状態です。植物の生い茂り方から、久しく水が入っていないように見えます。
さあ、階段を上ります。ここは鎌倉時代の城跡の斜面を利用した公園だそうで、高低差が結構あります。どんなに短くても、上るとハァハァ息が切れます。登ったところに東屋があり、そこでしばし休憩です。気温も予想最高気温35℃に近づいています。私があまりにぐったりしているので、散歩中の秋田犬が反応していました。大丈夫、休憩しているだけですから。
原峰木橋という橋があるらしいのですが、そこへ行く道が見つからずウロウロしてしまいました。やっと道を見つけると、結構な下り坂( ↑ )です。
橋にたどり着くとご覧の様子( ↑ )。いつからこの状態なのか気になりますが、早くこの場所にも財政が及ぶことを期待します。さて、結構な下り坂を引き返すと、結構な上り坂になるという簡単な公式通り、ハァハァ言いながら登ります。
結局ほぼ最短ルートで通過してしまきましたが、原峰公園は公園というよりは雑木林の散歩道という印象です。夏は暑いですが、春秋冬は気持ち良いと思いますよ。
原峰公園の隅っこに、遊具を備えた原峰広場という児童公園があります。もちろんこんな猛暑日の真昼に広場で遊んでいる子供などいませんが、端っこには水場もあります。中央の石垣を流れ落ちる水音が響きますが、強すぎる陽差しのために涼しげな気分にはなりません。
公園を抜けると住宅街に出ます。この辺りは桜ヶ丘という地域で、小高い丘の上の住宅街で、なぜだか大きな一戸建てが並ぶエリアになっています。言うなれば多摩市のビバリーヒルズです。ここは道も広くて在宅率も高く、宅配的には良い印象があります。ハイキングコース通りに、緩やかな登り坂を進みます。なぜこの道を上らせるのか、と思っていると……。
ここを見せたかったということでしょう。なぜか桜ヶ丘の頂上にラウンドアバウト(環状交差点)があります。ここになぜこのような特殊な交差点を設置する必要があったのかはわかりませんが、ラウンドアバウトは道路が狭くて交通量の多い日本の都市には不向きな交差点です。東京都内にはここにしかありません。
これだけの広さを必要としますので、なかなか設置できる場所は限られていますね。当たり前のように渋滞だらけの日本の都市では詰まってしまって、信号が無いと収拾がつかなくなるでしょう。という訳で、ここにしかないこの交差点、交通量は少ないのに、最初に侵入するときはすごく緊張しました。
ラウンドアバウトから「いろは坂通り」に入って、緩やかな坂を下りながら、聖蹟桜ヶ丘駅方面に進みます。途中で開けた場所に出ました。この辺りからジブリ作品の「耳をすませば」の舞台となった場所になります。ジブリは舞台設定となった場所がわかりやすい作品が多いのですが、「耳をすませば」は多摩市の聖蹟桜ヶ丘周辺の街並みをかなり詳細に描いています。
高低差のはっきりある小高い丘なので、山城として機能していました。現在住宅地になっている場所も、もっと山が続いていて山頂は高い場所にあったのでしょう。ここはちょうど勾配が急になる手前で、天守台として監視に適した場所だったのだと思います。
下りがきつくなってきました。ここから先は「耳をすませば」のロケハンのような写真が続きます。
「耳をすませば」の聖地のひとつ、金毘羅宮がありました。文化年間(1804-1818年)関戸の名主によって勧請されました。ご祭神は大物主神なので、いわゆる金毘羅信仰で、江戸時代は金毘羅権現を祀っていたと思われます。境内地は現在より少し離れたところにあり、祭礼時には多くの出店や見世物小屋が立ち並んだそうです。
昭和33年に火災で社殿が焼失しましたが、京王電鉄による周辺地域の開発に伴って、昭和42年に当地に移動し再建されました。現在は先ほど訪れた熊野神社の所管となっています。
急な下り坂で車道がくねくねとワインディングしています。その中央を歩道の階段が貫くように降りていきます。しかしこれだけの急斜面の上に高級住宅街がよくぞ展開できたと思います。駅から歩いて帰宅とかできませんよね。電鉄会社は都市を創ると言いますが、京王電鉄おそるべしです。
いろは坂桜公園という見晴台のような広場がありました。絶景というほどではありませんが、高いところから広がる景色を眺めると気持ちがいいですね。
更に坂を下りていると、こんなもの( ↑ )がありました。「ココでやすんでね」と手作りの一人用のベンチになっています。そしてそのベンチの上に、手作りの看板があって「この座り台を作ってくれた人へ あなたのやさしさは、これに座ったひとだけでなく、これを見たひとにも伝わります。こんなやさしさが桜ヶ丘に広がると、うれしいです」と書かれていました。
坂を下りてきました。もう平地ですね。前半で聖蹟桜ヶ丘駅を出発して、後半で戻ってくるまで2時間半少々でした。
ここが前半で通った大栗川の遊歩道です。この川沿いの遊歩道を右に歩いて行ったのです。
そして聖蹟桜ヶ丘駅前に到着しました。汗だくになりましたが、疲労感はそこまででもありません。全体的には楽なハイキングでしたが、上り坂はどこでも息が切れてしまいます。息が切れると貧血気味になって、フラフラしてしまいます。季節も厳しいですし、しばらくは山とも言えぬ丘を登ってリハビリハイキングを楽しみます。「高尾山くらいは・・・」が「いつかは高尾山」になってしまいました。
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