名称・寺格
五智山(ぎちざん) 遍照院(へんじょういん) 總持寺 と称する真言宗豊山派の寺院です。通称、西新井大師として有名です。寺格は特にありません。
創建
弘法大師空海によって、天長3年(826年)に創建されました。
本尊
十一面観世音菩薩
みどころ
古くから「東の高野山」として信仰を集めた大寺院です。広い境内に様々な堂宇が並んでいます。関東厄除け三大師のひとつとされています。
アクセス
東京都足立区西新井1-15-1
東武大師線「大師前」徒歩3分
探訪レポート
環七通りから風情ある参道(コンビニもありますが)を通って歩いて行くと、江戸時代後期建立の立派な山門に突き当たります。山門には江戸時代中後期の作とされる金剛力士像がご安置されています。2018年に山門の改修工事を行ったとのことで、非常に新しく美しく見えます。斗栱(ときょう:屋梁や桁にかかっている荷重を柱に伝える仕組み)が凄いですね。
山門を抜けると、本堂前のスペースが目に入り、広いお寺だなぁという印象。すぐ右側に塩地蔵がご安置されていました。特にいぼ取りに霊験ありとのことです。このお堂の塩をいただいて持ち帰り、功徳があれば倍にしてお返しするのだそうです。
手水舎ですが、使用禁止になっています。ひとつ前の写真( ↑↑ )の六角観音堂の左側が工事中になっていますが、今はそこに新しい手水舎が完成しているようです。
延命水洗地蔵尊です。訪問時はこちらも使用禁止になっていました。本来なら水をかけて祈願するのだと思います。十種の福徳を授かり、特に寿命長達の功徳があるとされています。
本堂では僧侶が木魚を叩きながら読経をしていました。本堂は火災のために焼失し、昭和47年に落慶されています。本尊は火災から免れたそうです。西新井大師の本尊は、弘法大師空海が自ら彫刻した十一面観世音と、弘法大師空海です。川崎大師平間寺、観福寺大師堂と共に関東厄除け三大師と称されています。本堂では毎日お護摩祈願が勤修されています。
再び境内を巡ります。こちらは文政年間(1818-1831年)建立の大日如来像です。大日如来は真言宗では教主とされています。真言密教を日本に伝えた空海は真言宗の開祖として知られていますが、空海に真言密教を伝授した中国の師僧(恵果阿闍梨)がいて、恵果阿闍梨にも師僧がいて・・・と、真言密教の教えの流れ(血脈)を辿っていくと、大日如来にたどり着くのだそうです。西新井大師の大日如来像は、修験道で有名な出羽三山の湯殿山の大日如来を勧請したものだそうです。
三匝堂(さんそうどう)と言います。江戸時代に関東以北の寺院で多く見られた仏教建築だそうです。堂の内部は、初層に八十八体大師像、二層に十三仏、三層に五智如来と二十五菩薩がご安置されています。ここにお参りすると、諸国の霊場や諸仏を巡拝したのと同じご利益があるとされ、かつては初層から三層までを巡拝していたそうです。
三匝堂の隣に同じデザインの小さなお堂が建っています。扁額には加持水と書かれています。加持というのは、仏の功徳を信者が得ることです。その仲介を担う僧が、自ら積んだ功徳を分け与えることも加持と言います。西新井大師の加持水というのは、寺院の創建にまつわるものです。
弘法大師が、当地で疫病に苦しむ民を救うべく、十一面観音像と弘法大師像を彫刻し、十一面観音像を本堂に安置し、自らの像は枯れた井戸に安置して21日間の護摩祈祷を行いました。すると、清らかな水が湧き、病がたちどころに平癒したとのこと。この井戸が本堂の西にあったので、西新井という地名になったのだそうです。
西新井大師には様々なお地蔵様がいらっしゃいますが、こちらは水子供養のためのお地蔵様です。千羽鶴や前掛けや風車などのカラフルなお供えが、却って祈る者の心の痛みを表しているようです。地蔵菩薩は冥土や六道にまで、衆生を救うために現れます。親に先立つ罪により、水子は三途の川を渡れず、賽の河原で石を積んで功徳を積むのですが、鬼に邪魔されてしまいます。泣きじゃくる水子を、地蔵菩薩が救ってくださいます。
こちらは不動堂です。真言宗ですから、不動明王は教主である大日如来の化身として重要な存在です。制多迦童子と矜羯羅童子を脇侍に、不動三尊の形でご安置されています。
四国八十八ヶ所霊場 同行二人お砂踏み巡礼所です。中央に十一面観世音菩薩像、周囲には四国八十八ヶ所霊場の大師像と、高野山奥の院の大師像、弘法大師父君母君像がご安置されています。足元には四国八十八ヶ所霊場と高野山の霊砂が、順に敷かれているそうです。合掌して「南無大師遍照金剛」と唱えながら、左側から1周するとのこと。
弘法大師立像です。このお遍路姿の弘法大師は修行大師と呼ばれます。
またお地蔵様です。こちらは福寿地蔵尊とのこと。
大きな池が現れました。鯉がたくさん泳いでいて、橋もかかっています。こちらは弁天池で、この先に弁天堂があります。
こちらは稚児大師尊像です。弘法大師の幼いころの姿で、真言宗寺院独特のものです。等々力不動尊にもありましたね。伝説的活躍の多い弘法大師ですから、幼いころから優秀だったのです。ちなみに幼名は真魚(まお)と言います。稚児大師像に祈願すると、子育てや学業成就のご利益があるそうです。
弁天池にかかる橋の先にあるのは弁天堂です。江戸時代には境内に存在していた記録があるそうです。弁財天は仏教以前のインドの神々で、仏教と習合して仏教の守護神とい扱いになっています。芸道達成、学業成就、航海安全などのご利益があります。
十三重宝塔です。こちら宝塔は釈迦の遺骨(仏舎利)を納めるストゥーパ(卒塔婆)として建立されています。塔身に弘法大師の御影を彫刻し、内部に恵果阿闍梨(弘法大師の師僧)から受け継いだ仏舎利が一粒納められているそうです。
権現堂です。創建の頃から祀られているそうです。権現というのは「仮の」という意味で、日本古来の神道と海外から伝来した仏教が習合して生まれたものです。日本古来の神様は、実は仏教の仏が仮の姿で現れたという考え方で、「本地垂迹説」と呼ばれています。例えば、天照大御神は大日如来が神の姿で現れた姿であるという説です。自然崇拝や山岳信仰にも広がって、熊野権現や白山権現、蔵王権現などが登場します。徳川家康も東照大権現として祀られています。
半分扉が閉まっていますが、こちらは如意輪堂(女人堂)です。如意輪観音菩薩がご安置されています。こちらの菩薩像は女性の姿をしています。観音菩薩は男性であったり女性であったりします。インドやガンダーラでは観音菩薩は男性で、中国で女性化が起こって日本に伝わったと考えられています。観音菩薩は17とか33とか、様々な姿を現すとされていて、如意輪観音も観音菩薩の変化身のひとつです。同じ真言宗豊山派の大本山である護国寺の本尊が如意輪観音菩薩です。如意は宝珠を意味し衆生に福と智を授け、輪は法輪という煩悩を破壊し衆生の苦を除き楽を与えるものです。西新井大師の如意輪観音は、特に女性の諸願成就の功徳が評判になり、女人堂と称されるようになったそうです。
ちょうど本堂の真裏あたりに、奥の院があります。高野山奥の院を勧請したそうです。「関東の高野」と称され、高野山の代拝所として江戸より今日まで参拝されているそうです。西新井大師は真言宗豊山派の寺院で、真言宗豊山派の総本山は奈良の長谷寺です。それでも真言宗の寺院において高野山は弘法大師の教えの源となる場所として、何派であろうと重要な場所なのですね。
赤いのぼりにお狐様がいらっしゃるので、こちらは稲荷神ですね。神仏習合の出世稲荷大明神となっています。なぜか緩やかなStairway to heavenのような階段をあがってお参りします。
平成26年に落慶したまだ新しい東門です。参拝者というより関係者が出入りすることが多いようです。
というのも、東門を入ってすぐのところに宝照殿というオフィス的な建物があります。
東門の正面に道路を挟んで牡丹園があります。この他にも境内にいくつか牡丹園がありました。
境内なのですが、一度道路に出て少し駅の方に歩いてまた門を入りますと、このような広い場所があります。右の建物は東武鉄道の大師前駅です。
左側にあるこちらの建物は光明殿です。法事用の堂宇とのこと。平日だったのでこのエリアには人がいなくて静かでした。
八角堂です。右の石碑には「弘法大師壱千百年御遠忌報恩之碑」と書かれています。僧形の像がご安置されていましたので、弘法大師を祀るお堂ですね。
都内には宗派の大本山級の寺院がいくつかありますが、西新井大師はそれらの寺院と同等の大寺院として、足立区のみならず、周辺エリアの住民の拠り所として存在しています。真言宗豊山派という宗派の枠にとらわれず、弘法大師の教えと神仏習合の歴史を感じる寺院です。千年を超える歴史の中、地域の人々が築いてきた信仰が境内の空気に染み込んでいるのでしょう。
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