寺社探訪

寺社探訪とコラム

王子稲荷神社

王子稲荷神社 目次

名称・旧社格

王子稲荷神社と称します。古くは荒川の岸にあったので岸神社と呼ばれていたそうです。旧社格はありません。

創建

不詳であるが、平安時代以前とされています。

御祭神

宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

宇気母智之神(うけもちのかみ)

和久産巣日神(わくむすびのかみ)

見どころ

極彩色のきれいな装飾を施した社殿が見事です。鬱蒼とした木々の生い茂る中にある境内社も、神秘的な感覚がします。

アクセス

東京都北区岸町1-12-26

JR京浜東北線「王子」徒歩10分

 

探訪レポート

王子駅から専門学校が並ぶ通りを通って10分ほどで到着します。木々の葉に陽の光が遮られて、境内は薄暗い印象です。こちらは正面入口ではないのですが、正面入口は幼稚園がある関係で、訪問時には閉まっていました。( ↑ )は閉まっていますが、資料館と書かれています。閉めておくには立派な建物でした。

こちらは神楽殿です。幼稚園の送り迎えのママチャリ置き場と化していました。お稲荷様ですから初午の日は盛大な行事があるのですが、王子稲荷神社は火伏せの凧を売る凧市が有名なのだそうです。

大きな境内ではありませんので、すぐに社殿に辿り着きました。このように極彩色の装飾は23区内では珍しいです。稲荷神社ですので祀りされているのは稲荷神=宇迦之御魂神です。同じくご祭神として宇気母智之神と和久産巣日神がお祀りされていますが、いずれも食物や収穫に関する神様です。

裏側まで細かな装飾がなされています。王子稲荷神社は、平安時代から「東国三十三国稲荷総司」と呼ばれていたそうで、東海道東山道北陸道全てのエリアの東日本稲荷総社とされていました。稲荷神社はたくさんあるので、「我こそ東日本を束ねる総社である」という伝承を持つ神社も複数あるそうです。

こじんまりした手水舎がありました。王子稲荷神社からそれほど遠くない場所に王子神社があります。王子稲荷神社と王子神社は、神仏習合の時代に同じ別当寺(金輪寺)に管理されていました。

授与所です。金輪寺は徳川の時代には歴代将軍の御膳所を務める格式で、6つの支坊を抱える寺院でした。金輪寺は1860年の火災で焼失し、明治維新でそのまま廃寺になりましたが、現在では金輪寺の支坊のひとつであった藤本坊が金輪寺の名を引き継いでいます。

ここからは境内社エリアです。さらに奥まった感じになっていきます。

まずは本宮(もとみや)がありました。本宮は元々の本殿が残されたのだそうです。現在の本殿は戦後に建築されたものです。

本宮の横から千本鳥居が奥に伸びています。さらに深いところへ入っていきます。狐と人の関りは、良いことばかりではなく、化けて人を騙したり人に憑りついたり、と怖い部分もあって、稲荷神を軽んじると報いを受けるというような恐ろしい話も聞きます。こんな風に奥の奥へ足を踏み入れていると、そんな恐怖心をちょっと感じてしまいます。

集合住宅タイプのお社がありました。左が亀山稲荷社 中が嬉野森稲荷社 右が北村稲荷社です。そう書かれているだけで、それぞれの由緒などはよくわかりません。

三社殿の隣には御石様が祀られていました。こちらにはおもかる石が置かれていて、こんなものかなと重さを想像してから持ち上げてみて、軽いと感じたら願いが叶う。重いと感じたらまだまだ努力が必要ということだそうです。

奥の奥の境内社からさらに今度は階段を上って、お穴様がありました。狐のお穴様だそうですが、古墳の横穴の跡とも言われています。ともかく境内社がある奥のエリアは、不思議な神威を感じるスポットでした。

閉まっていますがこちらが本来の正面です。神仏習合の名残と言いますか、お寺っぽい門ですよね。王子稲荷神社は大晦日の夜に狐の面を被って、裃の装束を着た方々が行列するという行事が有名です。これはかつて関東中の狐が、大晦日の夜に正装して王子稲荷神社にお参りにやってきたという伝承を再現しています。狐が灯す狐火の行列は、様々な絵巻や民話や落語に伝え継がれています。

 

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