東伏見稲荷神社 目次
名称・旧社格
創建
昭和4年(1929年)に、関東地方の稲荷神の信者の希望により、創建されました。
御祭神
宇迦御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
佐田彦大神(さだひこのおおかみ)
大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)
みどころ
本殿裏の「お塚参り」は、奉納された朱塗りの鳥居が数多くの末社を結んでいて、迷宮のようになっています。
アクセス
探訪レポート
稲荷神社の象徴とも言える朱塗りの鳥居が通りに面して立っています。目の前が駐車場ですので、自家用車での参拝も可能です。この日は正月も過ぎた1月半ばでしたが、参拝の方が多数入れ替わり訪れていました。鳥居を抜けると階段をあがり、神門があります。造りのしっかりした神門で、ここで記念撮影をしている方が多かったです。
境内に入ると手水舎がありました。稲紋が刻まれていて、正統な京都伏見稲荷大社の分霊という感じがします。
境内はまだお正月仕様に見えます。伏見稲荷大社の分霊ですから、御祭神は宇迦御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神を祀る、いわゆる稲荷三神となっています。この三柱を合わせて東伏見稲荷大神と称しています。
稲荷神は農業や殖産興業の神様で、庶民の生活に直結する神社として親しまれてきました。神社稲荷神を主祭神として祀っている神社は全国に2970社、境内社や合祀社を含めると32000社、個人や企業の土地に祀られているものを合わせると膨大な数になります。当ブログの多摩川左岸巡礼や荒川巡礼企画でも、本当に稲荷神社だらけという印象です。神社だけでなく、豊川稲荷のように仏教と習合して寺院の本尊になっているケースもあります。
神楽殿も立派です。稲荷神社では初午の日に例祭を行いますが、これは伏見稲荷大社の宇迦御魂神が伊奈利山に降り立った日が2月11日とされているからだそうです。東伏見稲荷神社でも、初午の日に例大祭を行います。ちなみに初午のお祝いにいなり寿司を食べるという習慣は、日本いなり寿司協会が広めたそうです。
社殿の右側に宝物庫のようなお社がありました。ここから社殿の裏側へ向かうことができます。社殿の裏側は18か所の末社があり、それらを巡ることをお塚参りと呼んでいます。
お塚参りはその通路に千本鳥居が迷路のように張り巡らされています。千と千尋の神隠しで主人公が迷い込む不思議の世界のような、そんな場所です。
迷路のようで、歩いているとお社が現れます。ほぼ稲荷神を祀った神社です。同じ稲荷社ても御神徳や特徴が違っていて、表の本殿と裏のお塚参りの両方をお参りすることで、様々な願いごとに対応する神様にご祈願できると言われています。
京都の伏見稲荷大社では稲荷山という山を巡るのですが、東伏見稲荷神社ではこのようなお塚巡りとなっています。大きな稲荷山ではまっすぐ千本鳥居のトンネルのような道を進む感じですが、こちらは曲がりくねってゴチャゴチャしている部分が、余計に迷宮のような雰囲気を醸し出しています。
鳥居をくぐりながら、進んでいきます。このルートが正式なものか、それとも逆廻りなのかよくわかりませんが、とにかく進んでいきますと、朱塗りの稲荷社ゾーンを抜けます。
モノトーンですがこちらも稲荷神をお祀りしています。愛法稲荷大神と愛徳稲荷大神とのこと。石碑には大明神と彫られています。
開照大神(さきてるおおかみ)です。天の岩戸伝説で、アマテラスの興味を引くために踊った神様です。天細女命(あめのうずめのみこと)の名前の方が有名です。稲荷神以外の神様もお祀りされています。
京都の伏見稲荷大社からの分霊ですが、稲荷神社はとにかく多いので分霊社など巷に溢れています。それでも駅名や地名まで東伏見に改名していることからも、並々ならぬ意気込みが感じられます。歴史は浅いですが、人々の強い思いから生まれた神社です。
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