寺社探訪

寺社探訪とコラム

高木神社(東大和市)

高木神社 目次

名称・旧社格

高木神社と称します。江戸期には尉殿大権現と称していました。資料が無いのですが、無格社と思われます。

創建

不詳

御祭神

高皇産霊神(たかみむすひのかみ)

みどころ

電車の最寄駅からも遠く、乗用車でも駐車場が無いという立地条件ですが、それだけに訪れる甲斐があります。東大和市の歴史の原点のような神社です。

アクセス

東京都東大和市高木2丁目104番

多摩モノレール「上北台」よりコミュニティバス20分

西武新宿線「東村山」よりバス15分

 

探訪レポート

JR中央線立川駅から東村山行きのバスに乗って辿り着きました。住宅地の中にある神社で、入口の右側に石碑群がありました。馬頭観音庚申塔や供養塔です。周辺地域からこちらに移設されたものだそうです。

参道の階段を上がると境内になりますが、立派な鳥居があります。鳥居を抜けると広場になってます。ここで盆踊りや獅子舞などの行事が行われるそうですす。境内には「高木他五ヶ村連合戸長役場」というものがあったと、説明書きがありました。明治時代の初めに、それまでの寺請制度に代わって、神社で戸籍管理をしようとしたのですが、村の編成も同時に行われて、いくつかの村をまとめてひとつの村や町や区にしました。元々の村の有力者だった庄屋や名主が戸長に任命されて、村長のようなことをしました。この6つの村がゆくゆくは東大和市になっていった歴史があります。

獅子舞の像です。実は訪問日の週末に高木神社の例祭があり、そこで獅子舞が行われるとのことで、周辺地域にポスターがたくさん貼られていました。郷土に伝わる芸能は獅子舞か神楽舞が多いのですが、高木神社の獅子舞は江戸時代に疫病が流行した際に、疫病退散の祈願のために始められたそうです。

拝殿です。お祀りされているのは、高皇産霊神です。高皇産霊神は造化の三神の一柱で、最初に生まれた神です。高木神という別名があり、高木を神格化した創造神とされています。多くの高木神社の主祭神となっています。

境内社は、明治時代の一村一社令のために、各地より遷座されたものとされています。こちらは八坂神社です。一村一社令でこの高木神社に集約されたのなら、社格的に郷社であったのではないかと思いますが、どうなのでしょうね。

こちらは石が御神体となっているようです。山の神とのこと。

左が稲荷神社で右が秋葉神社とのことですが、見た目ではわかりません。

こちらは高木神社の社殿の壁ですが、見事に穴が空いております。どういう事情で空いた穴かはわかりませんが、ここから覗くと本殿が見えるという、何となくお得感を感じる状況になっています。

最寄りのバス停は高木神社前ではなく、塩釜神社前でした。高木神社社殿の隣に鹽竈神社があります。江戸時代の出産は、まだお産で母子共に亡くなったり乳幼児の死亡なども多く、そこで享保20年(1735年)頃、村の名主が宮城県の塩釜に行き、塩釜神社から護符をいただいて屋敷神として祀ったのだそうです。

何故か、塩釜神社の前にだけ手水舎がありました。名主の自宅に屋敷神として祀っていたのですが、明治10年(1877年)に高木神社境内に遷されました。それ以来、地域を越えて安産の神様として親しまれてきました。当時の地域では結婚したら仲人や両親と共に塩釜神社にお参りし、子を授かると安産祈願でお参りし、無事生まれるとお礼参りするというのが常識だったそうです。

訪問中は他に誰も訪れず、静かな神社でした。地域の人々が支える地域の人々のための神社という印象です。とりあえず社殿の壁の穴が直る前に、本殿を直に眺めてお参りしましょう。

 

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