寺社探訪

寺社探訪とコラム

「谷保天満宮 例大祭に行く」

9月は各地の神社でお祭りが行われます。いわゆる秋祭りというもので、例大祭として神社にとって一番とも言える大事な神事です。例大祭の開催時期には特に決まりはないらしいのですが、春と秋、もしくは秋のみに行われることが多いです。夏に例大祭を行う神社もありますが、様々に調べてみるとこれは稲作と関係が深く、豊作を祈るお祭りと収穫に感謝するお祭りなので春と秋なのだそうです。しかし、豊作を祈るお祭りは2月の「祈年祭」で、収穫に感謝するお祭りは11月の「新嘗祭」が神事として執り行われています。春と秋に例大祭をする訳は結局なんなのでしょうね。

所以はさておき、私の周囲にはお祭りと共に生きている人が結構多くて、色々なお話を伺います。御神輿を担ぐ方々やお囃子を奏でる方々や太鼓を打つ方々は、9月は毎週のように各地の神社のお祭りに参戦予定があるそうです。また、地元密着型の地主さんたちは、地元の神社のお祭りに数週間前から打ち合わせや準備に借り出されるそうです。

新興宗教二世として生まれ育った私は、子どもの頃から神社関連に近寄ることを禁じられており、秋祭りではクラスメイトが楽しそうに待ち合わせの約束をするのを羨ましく見ていました。当然ですが、お神輿も担いだことがありません。お祭りとは無縁の人生を送ってきたので、今でも地域の秋祭りって何をするのか見当がつかないという状態です。引っ越しを十数回繰り返している私には地元も何もないので、仕事が休みの日に例大祭を行っていた谷保天満宮へ行って参りました。駅前ロータリーでたくさんの万灯が待機していて壮観であると書かれていましたが、私の到着が遅すぎて駅前はスカスカで誰もいませんでした。お囃子の音がする方へ急ぐと、山車を見つけました。谷保駅から天満宮までは歩行者天国となっていて、バスだけが通行していました。

万灯は仏教でも神道でも聞く言葉なので、神仏習合の賜物なのかと思います。見た目よりも重たそうで、笛を吹いて手を叩きながら、掛け声かけて威勢よく運んでいました。お神輿はないのかな? と思いましたが、谷保天満宮は氏子地域が広く、例大祭は2日間に渡って朝から夜まで行われるようですので、私が見ているのはほんの一部なのだと思います。万灯行列を見学しながら、谷保天満宮の入口までやってきました。とにかくすごい人です。

写真( ↑ )右側のよしず囲いの高台のような場所が放送席です。谷保駅から歩行者天国天満宮に向かうと、最後に甲州街道を横断します。この甲州街道を半分通行止めにして、そこで万灯を揉む(上下に振り回すこと)技を披露します。放送席から町会名と代表者の名前がコールされ、お囃子と周囲の方々の手拍子と掛け声に合わせて万灯が踊ります。聞いていると万灯は80kgほどあるそうで、それをひとりで持ち上げて振り回すのですから、大したものです。

神社の入口で見学していると、いか焼きの反則級の匂いに昇天しそうになったので、境内に下りてみました。出店もたくさん出ていて、お祭りムード満点です。谷保天満宮は入口から緩やかに参道を下り、最後は階段を降りて境内に着くという妙な造りになっています。神楽殿の前に土俵が作られていました。相撲が行われるという情報は得ていなかったので、何なんだろうと不思議に思いつつ、階段を降りてくる万灯を見物していました。

ここは階段を降りたところなのですが、ここで町会の若者たちがひとりずつ交代で万灯を背負って上下に振り回して踊ります。お祭りの重鎮のような方が、この演舞のような動作を「揉む」と言っていました。かなり重いようで、周囲から笛と手拍子と掛け声で囃し立てながら「もっと、もっと」「がんばれっ」と囃し立てる掛け声が飛んでいました。どちらかというと、見物者に対して魅せるというより、同じ町内の人同士で楽しむという感じで、内輪で盛り上がっているように見えました。蚊帳の外に押しやられた感はありますが、同じ地域で暮らしてきた人同士の世代を超えた絆のようなものが垣間見えて、なんとも眩しく映りました。

社務所と社殿の方はこんな感じで、特に社殿で神事が行われている様子はありません。参拝の列は数十名程度の短い列が常にあるという感じです。谷保天満宮といえば、大きくて立派な鶏が数羽放し飼いになっていたのですが、ネットで拾った話によると、野生のキツネに襲われて亡くなってしまったとのこと。キツネより強そうな鶏だったのですが、やはり放し飼いはダメなんですね。悪いのはキツネでなく、放し飼いにしていた人間の方です。写真( ↑ )の中央と左奥に紅白の杭が立っていますが、特別な大万灯を結びつける杭とのことです。

拝殿の賽銭箱の右側にのぼり旗が立っていますが、これには各町会の名前が書かれていて、ゴールした町会ののぼり旗を順番に掲げていました。谷保天満宮の御祭神は菅原道真で、関東三天神のひとつと称され、東日本最古の天満宮でもあります。

こんなふうに中央の階段を降りてくるのですが、途中で竹の垂れている部分をバキバキ折りながら下りてくる万灯もありました。頭と周囲の飾り部分は、壊れても良いのかもしれません。と思っていたら、境内で突然万灯同士をぶつけ合う喧嘩神輿のようなものが始まりました。何の予兆もなく始まったので意味がわかりませんでしたが、ただ喧嘩神輿的なものをやりたかっただけのようです。すぐに終わって拍手が湧いて満足そうでした。万灯は各町会でひとつずつあって、基本的に担ぐのはひとりのようです。担ぐ人はその瞬間だけ町のスーパースターになって、皆から掛け声をかけられて力を発揮します。期待外れだと容赦なくイジられていました。この階段を上がったり下りたりを繰り返すのが勇者の証のようで、「もう1回行けっ」と周囲の方々に囃し立てられていました。

こちらは子ども万灯で、少し小さなサイズで絵の部分はドラえもんでした。子どもも選ばれた人が順番にひとりずつ万灯を担いで揉んでいました。周囲の大人たちが写真やムービーを撮りながら掛け声をかけていました。

こちらは女性専用のようです。幾らか小ぶりのようですが、結構大きいですね。女性もこれをひとりで担いで上下に振り回していました。

万灯行列が終わってしばらくすると、階段に錫杖を持った集団が現れて、地面を突きながらシャンシャン音を鳴らし始めました。錫杖は仏教のものなので、神道だと別の呼び方をするのかもしれません。錫杖部隊の後ろから、天狗が金銀の巨大な天狗の団扇と銀色の太縄を持って現れました。

天狗の後ろからは獅子舞が3つ。この獅子頭はかなりの歴史的な由緒があります。村上天皇から下賜された獅子頭3基と天狗面で古式獅子舞が初めて舞われたのは、天暦3年(949年)と言い伝えられています。千年を超える歴史があり、国立市無形文化財に指定されています。

獅子頭の後には笛を吹く方々が続いて、どこへ行くのかと付いていくと、先程の土俵でした。大勢の人に囲まれて見物もひと苦労です。まずは宮司さんが大幣を振ってお祓いをします。

盛り土に刺さっていた御幣を宮司さんが取って、おそらくお祭りの実行役の方々が盛り土を均して土俵に広げます。天狗の立ち位置からして、天狗はこれら一連の行事に責任ある立場のようで、しっかりと土俵がお祓いされた土で均されているか見届けているように見えます。

これは「棒使い」という儀式で、やはり土俵を清める意味があるそうです。地元の小学生が選ばれているようです。大勢の観客に囲まれた晴れ舞台で、親御様方は嬉しいでしょうね。

そしていよいよ舞が始まりました。しゃがんだり立ち上がったりぐるぐる回ったりと、かなりの運動量で大変そうです。この舞が舞えるのは相当経験が必要なことが伺えます。この獅子頭を持つ方のおひとりが19年間獅子頭役を務めているそうで、今日が最後の舞になるのだと放送されていました。この舞は50分ほどあると説明されていましたので、感慨深いフィナーレになったことでしょう。

こちらは舞のクライマックスで、雌獅子を巡って二頭の雄獅子が戦う場面を舞っています。ひょっとこおかめのお面を被った道化も現れて、この戦いを囃し立てます。その道化を天狗が追い払おうとする姿が面白かったです。この場面は舞も激しくなり、勝敗が決して収まっても、二度目の戦いが始まります。獅子舞の途中で浴衣を着た関係者の方々が声を揃えて歌ったり、笛の演奏があったりと、伝統的な要素がたっぷり含まれています。長時間で暑い中大変だろうなぁと察しますが、獅子舞は全然飽きることなく見学できました。

参集殿の前あたりで大万灯の飾りの花を求めて人々が群がっていました。節分の豆のように、花を一つずつ取って周囲に投げて、それを人々が奪い合います。縁起物なのでしょうね。私はまったくの余所者ですが、人生で初めて地域の秋祭りというものを訪れてみました。幼い頃は覗くことも許されなかったお祭りは、やっぱりその地域の方々のためにあるものなのだなと感じました。地域の繋がりが親から子に孫にと受け継がれ、人々の暮らしが豊かに実る特別な空間に触れさせていただいた気分です。

 

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