第3弾が完結編になります。昔の人々は神様との関わりを、政治で管理していました。明治維新で更に多くの政策を実行し、日本は「天皇を中心とした神の国」になろうとしていました。もしも戦争に負けていなければ、令和の天皇は神様として存在していたことでしょう。
二十二社
二十二社というのも社格のひとつですが、延喜式神名帳の官幣社や国幣社とは違うものです。突然の災害や飢饉、反乱などの国家的一大事の際、まずは神に祈ることから始めていた平安時代初期のこと。朝廷から奉幣される神社が選ばれたのですが、朝廷的には遠くの神社では緊急時に不都合があるので、二十二社に選ばれたのは京都周辺の神社ばかりになっているという説があります。また、律令制の衰退によって平安後期になるに連れ、全国各官社への奉幣が行われなくなり、京都周辺の名社のみになり、それが二十二社という社格になったとも言われています。室町時代後半には二十二社に対しても奉幣が行われなくなり、江戸時代に何度が奉幣が行われましたが、制度として復興するには至りませんでした。
勅祭社
明治維新では神道の復興が図られ、明治元年に明治天皇が氷川神社の祭祀を勅祭として行いました。これをきっかけに祭祀に対して天皇が勅使を遣わされる神社は勅祭社として扱われました。現在は16社が選定されており、東京都では明治神宮と靖国神社があります。
明治3年に准勅祭社という東京内の12社が選定されましたが、この准勅祭社という制度は現在では無くなっています。昭和50年に昭和天皇50年を記念して、元准勅祭社から東京10社として観光的な目的で選定されています。
※ 勅祭社 明治神宮 (渋谷区)
別表神社
第二次世界大戦の敗戦によって、天皇を中心とした神の国はGHQの支配下に置かれました。天皇は神から人になり、近代社格制度も廃止されました。すると、これまで伝統と格式を守り続けてきた大社にとって、一般の神社と同様の制度では困ることが出てきました。主に神職の人事問題で、これまでの伝統と格式に合わない人事が行われることによって不都合が生じてしまいます。そこで神職の人事に厳しい規則を設けると、今度は一般の神社が着いていけません。そこで、ある程度の伝統と格式のある神社を、別の表に記載して規則を設けたことから、別表神社と呼ばれるようになりました。神の国だった日本ですが、GHQによって神と国が分断されて、神社側もあの手この手と対応しました。そこで発足したのが神社本庁という宗教法人で、現在も日本の神社の98~99%の神社が神社本庁に加盟しています。以降、別表神社の選定は神社本庁が行っており、神社本庁から離脱すると、別表神社ではなくなります。現在のところ約350社程度が別表神社となっています。
伊勢神宮
日本の神社の社格について解説してきましたが、伊勢神宮って特別感がありますけど、実際どうなの? という疑問が浮上してきます。答えは言うまでもなく、歴史上の様々な社格制度において、伊勢神宮は別格の立場にあります。
解説してきた順番に述べますと、「神階」ですが、伊勢神宮なら正一位でしょ! とお思いの方もいらっしゃると思いますが、伊勢神宮に神階はありません。神階を超越したまさに別格と位置付けられています。伊勢国「一之宮」でもありませんし、伊勢国「総社」でもありません。逆に「延喜式神名帳」では、伊勢神宮とその摂末社だけで実に約50社が式内社に指定されています。そして「近代社格制度」ではまたも別格扱いになり、官幣社ではなくなります。「勅祭社」でもなく(毎年五大祭に勅使が来るので別格扱い)、「別表神社」でもありません。しかしなぜか「二十二社」のひとつとなっています。総じて言うと、伊勢神宮は社格という観点では、超越していて別格扱いなっています。流石に天祖と呼ばれる天照大御神です。
それでは、地の神様の総本社、出雲大社はどうであるかと言いますと、延喜式神名帳では名神大社、出雲国一之宮で、近代社格制度では官幣大社、勅祭社であり、神社本庁の別表神社となっています。相当に格が高く位置づけられていますが、一応格付けの範囲内になっています。
さて、3部に渡って解説しておきながら、最後に全てをひっくり返すまとめですが、格なんて知らなくても、良いものを良いと思える心が大切だと思います。格が高いから素晴らしいのではなく、素晴らしいから格が高いのです。
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