寺社探訪

寺社探訪とコラム

「神社の格付 ①」

どこの神社にお参りしたら、良いことが有ったとか無かったとか、人それぞれなのが神頼みの現実です。そうであっても、昔の人々はそんな神様にランク付けをしていました。これは願いを叶えるパワーの順番ではなく、古き伝統に基づいた格式(政治力説あり)順で、神階と呼ばれています。

 

神階

神階は正六位から正一位まで15段階あって、神社ではなく、神様に与えられます。律令制の時代から始まり、最初は神階に応じて特典があったのですが、次第に名誉的称号になりました。天武天皇元年(673年)に壬申の乱で神威を現した3柱の神に神階が授与されたのか最初とされています。

 

日本書紀などの国家が編纂した、一連の正史6編のことを六国史と言いますが、その時代の神階が纏められています。それによりますと、最高位の正一位に16柱が列せられています。正一位の更に上に位階なし(位階を超えた別格の神)というのが、伊勢大神はじめ3柱指定されています。この時代以降、天皇の即位や辛酉革命のために、神威の授与や神階の一斉格上げが乱発され、数多くの神社が正一位に達しました。現在、正一位といえば稲荷神が有名です。稲荷神社に行くと、正一位と書かれたのぼり旗がたくさんあります。しかし、六国史時代の稲荷神の神階は従三位でした。それに、基本的には勘定された神に神階は受け継がれないとされています。

正一位賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと) 山城国 上賀茂神社

ちなみに実在の人物が亡くなって、神様として祀られることがありますが、そのような神にも神階が与えられて来ました。柿本人麻呂豊臣秀吉徳川家康などです。ただ、時代が進むにつれて、神に与えられる神階よりも、神社に与えられる社格の方が重視され、明治時代に神階の制度は廃止されました。

勲六等:畔切神(あきるのかみ) 武蔵国 阿伎留神社)

 

また、位階だけでなく勲位も授けられました。勲一等から勲十二等まで、神様に対しても与えられました。ちなみに( ↑ )の賀茂別雷命は、勲位も勲一等です。勲位は同じ律令制の時代の7世紀半ばから始まり、11世紀以降は授けられなくなりました。

 

社格(一之宮)

次は神階とは違って、神様ではなく神社に指定された社格です。律令制の時代、各国の中で最も格式の高いとされる神社を「一之宮」に定め、更に「二之宮」「三之宮」と指定されていました。諸説ありますが、国司(現在の県知事)が国内の諸社を巡拝する順番というのが有力説です。たくさんの神社を巡拝するのは大変なので、効率化・簡略化が進む中で、主要な神社を一之宮・二之宮と選定していったそうです。これが進むと、総社という神社が定められ、「総社に参れば、全ての神社を巡拝したことになる」というミラクルを編み出しました。

f:id:salicat:20210523041933j:plain (武蔵国 総社 大國魂神社

 

東京埼玉神奈川に跨る武蔵国を例に挙げますと、武蔵国の一之宮は多摩市の小野神社とされています。他に二之宮から六之宮まで定められています。都心よりも郊外や山間部の神社ばかりなのですが、当時のは国府(現在の都庁)が府中市にあったので、現在とは全く違う土地感覚だったのでしょう。武蔵国総社に定められたのは、まさに国府がある大国魂神社で、六所宮と呼ばれていました。

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武蔵国 一之宮 小野神社)

 

指定されるのは良いですが、できれば三之宮より二之宮が良いし、二之宮より一之宮に指定されたい。と思うのは人の欲でしょうか? 「うちの神社こそ一之宮だ」という一之宮論争が各国で行われることもあったそうです。武蔵国でも小野神社が一之宮とする資料の他、大宮の氷川神社を一之宮とする文献もあり、現在はどちらも「武蔵国一之宮」を名乗っています。この手の争いは決着つかないものですね。

 

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