寺社探訪

寺社探訪とコラム

赤城神社

赤城神社 目次

名称・旧社格

赤城神社と称します。旧社格は郷社です。明治維新以前は赤城大明神、赤城明神社と呼ばれていました。

創建

正安2年(1300年)、赤城山麓の豪族であった大胡彦太郎重治が牛込に移住した際に、本国の赤城神社の分霊を祀ったことが始まりとされています。

御祭神

磐筒雄命(いわつつおのみこと)

赤城姫命(あかぎひめのみこと)

みどころ

壮大なプロジェクトにより再建された、時代に合わせたスタイリッシュな社殿や境内、穏やかな時間を過ごすためのカフェなど。

アクセス

東京都新宿区赤城元町1-10

東京メトロ東西線「神楽坂」すぐ

 

探訪レポート

赤い鳥居の横に「赤城大明神」と看板が建っています。そもそも群馬県赤城山山岳信仰の影響が強い赤城神社からの分霊で、神仏習合の歴史がありますから、神社と寺院の両方の性格を持っていたと思われます。

広くきれいな境内です。「赤城神社再生プロジェクト」というものを実行して、時代に合った神社を目指して各所を修復工事していました。平成22年9月頃に全ての工事を終えて、神社は新しい姿を見せることとなりました。このプロジェクトでは、神社の在り方から考え直し、かつてのような村人の心の拠り所としての神社ではなく、現代では地域に限らず人々が集まる価値を創造し、神楽坂という立地からも、観光的に人々が集まる要素を持つ神社であるべきとのコンセプトを確立しました。「あかぎカフェ」「あかぎ寄席」「あかぎマルシェ」など、慌ただしい社会の中で、人々がひと息ついて心を落ち着かせる場所という、新しい現代の神社の在り方を模索しています。

拝殿も現代の神社らしく、明るくきれいでガラス張りで中の様子が見えます。お祀りされている磐筒雄命はあまり馴染みのない神様だと思います。日本神話に登場する、イザナギが炎の神であるカグツチを刀で切った時に生まれた神です。殖産興業、厄難消除、学問芸術、火防の神とのことです。しかし、こちらは明治維新神仏分離令のために便宜上祀られた神で、赤城山の太古からの精霊信仰と山岳信仰と仏教が習合した赤城大明神が信仰の対象でした。赤城山周辺を統治していた豪族の大胡氏から牛込に移住した方が、本国の鎮守であった赤城大明神を祀ったことが始まりです。大胡氏の後裔にあたる牛込氏が、現在の地に移しました。

特徴的な狛犬です。これは江戸時代に「加賀白山犬」として流行した狛犬で、再建前のデザインを踏襲したそうです。江戸時代には日枝神社神田明神と共に、江戸の三社と称されていました。この三社だけは祭礼の際に出る山車の練行列が、江戸城の竹橋から内堀に入り半蔵門に抜けることを許されていたそうです。

本殿の左には末社として蛍雪天神があります。ここから少し南側の横手町に鎮座していた朝日天神を、明治9年(1876年)に境内に移したのだそうです。戦火で焼失してから、再建されたのが平成17年(2005年)とのことなので、長い間復興されずにいたのですね。この社殿は、神楽殿を兼ねているそうです。言われてみると、そう見えますね。

映画やテレビ番組のヒット祈願をした御札がたくさん掲げられていました。これは赤城神社の御祭神の磐筒雄命が殖産興業・厄難消除・学問芸術の神様だからだそうです。しかし、そのような御神徳を掲げる神社は他にもたくさんあるのですが、なぜ赤城神社なのでしょうか。積み重ねてきた信頼と実績があるのでしょうね。

珍しいものがありました。いきなりナウシカの世界観です。ムカデが山の周りを飛んでます。どういうことでしょうか。昔の言い伝えで、赤城山の神様がムカデに姿を変えて、マムシに姿を変えた二荒山の神様と、中禅寺湖の領有をめぐって争ったそうです。奥日光の戦場ヶ原の名前の由来は、その戦いなのだそうです。ピカピカのムカデですが、このムカデの体を撫でると、その御神徳をいただけるそうです。

神社に観音菩薩像があります。これは廃寺となった近隣の寺院(宝蔵院)から移設したそうです。非常に柔和なお顔立ちで、いかにも観音様という感じです。

境内の一番奥に境内社が3つ共同住宅方式でお祀りされています。八耳神社には聖徳太子を祀っています。聖徳太子は仏教推進派として有名ですが、神様にもなっているのですね。上宮之厩戸豊聰八耳命(うえのみやのうまやどのとよとやつみみのみこと)と言うそうです。そもそも神仏習合の神を祀る神社なので、かつて境内に大師堂があり、再建されたという訳です。そして、出世稲荷神社には宇迦御霊命(うかのみたまのみこと)を祀っています。赤城神社がこの地に移る前から、牛込の鎮守だった神社だそうです。3つ目は徳川家康を祀る東照宮です。観音様がいた宝蔵院にあったそうですが、明治維新神仏分離令赤城神社に移されたそうです。
赤城神社は再生プロジェクトによって甦り、神楽坂らしい都会的な神社になりました。社務所やカフェがある建物は「パークコート神楽坂」という6階建のマンションになっています。赤城神社再生プロジェクトの終着地は、65年後にこのマンションを解体し鎮守の森を復活させることなのだそうです。私はそれを目にすることができませんが、どんな森になるのか楽しみな気持ちがします。

 

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