寺社探訪

寺社探訪とコラム

三鷹八幡大神社

三鷹八幡大神社 目次

名称・旧社格

八幡大神社と称します。通称、三鷹八幡大神社と呼ばれています。旧社格は村社です。

創建

寛文4年(1664年)、明暦の大火で土地をなくした神田連雀町の一部住民に新田開発農民として移住し、連雀村を開拓しました。連雀村の人々の氏神として拠り所となるべき寺社を建設しました。

御祭神

応神天皇

みどころ

縦に長い境内は、奥に進んでいくに連れ神域となっていきます。最後にたどり着く本殿のあるエリアは、塀に囲まれた特別な空気が漂う場所です。

アクセス

東京都三鷹市下連雀4-18-23

JR中央線三鷹」徒歩10分

探訪レポート

お隣の禅林寺は葬儀会館を併設していますので、幾度となく仕事で訪れていますが、隣の八幡大神社に初めてやってまいりました。神社の塀で、寄進者の名前を刻んだ御影石を並べて組むパターンの柵というか塀というか、ありますよね。その工事中で一之鳥居の足元に重機が作業中でした。こちら( ↑ )は二之鳥居です。明暦の大火で江戸の大半が消失したために、その教訓を生かして延焼を遮断するために、火除地や広小路が造られました。すると、元の土地に戻れない人々も多くなり、幕府は武蔵野台地を開拓して移住することを推奨しました。この地には神田連雀町の住民が移住し、連雀村として開拓しました。村人たちの心の拠り所として、寺社の建立を幕府に願い出て、この地に八幡大神社が建立されました。武蔵野八幡神社の創建の由緒とほぼ同じですね。

社務所は2階建ての立派なコンクリート造りの建物で授与所も立派ですが、人の気配がなく開いていませんでした。心の拠り所のためにと書きましたが、江戸時代には寺請制度があり、寺院が発行する寺請証文がないと生活できません。心の拠り所以前に寺院は必要不可欠なので、無いと困るのです。そんな訳で禅林寺の前身である浄土真宗本願寺派築地本願寺の「松之坊」が建立されます。

こちらは手水舎です。さて、江戸時代は神仏習合の時代ですから、八幡大神社は松之坊によって運営されていました。いわゆる別当寺です。元禄12年(1699年)に台風で松之坊が再建不能になって寺領を村方に変換し、村方の協議によって翌年に黄檗宗に改宗し禅林寺が建立された。ということが禅林寺の由緒に書かれています。個人的な感想ですが、この流れはちょっと強引で一方的に思えます。おそらく八幡大神社側から見ると、違う由緒になっているのではと思います。

立派な神楽殿です。例大祭の日にはお囃子など演奏されます。

御太鼓庫です。こちらの太鼓も例大祭で打ち鳴らされます。

寺社巡りをしていると、「すだじい」という御神木をよく見かけます。常緑の広葉樹で20m以上になるのが特徴です。三鷹市の天然記念物に指定されています。

真新しい楼門です。平成23年(2011年)に建立されました。左右の開いたスペースには随神像が入るのかどうか、訪問時は表も裏も何もない状態でした。ネット上の写真を見ると、ここに提灯が下がっている時もあるようです。楼門の左右には御神輿庫があります。右が一之宮、左が二之宮で、神輿と獅子頭が保管されています。二之宮神輿の鳳凰の目には3カラットのダイヤを使用していて、日本一のダイヤとギネスに登録されたそうです。現在は富岡八幡宮の神輿にもっと大きなダイヤがついているそうです。

楼門を入ると、石畳が整備された広い空間が現れます。ここは本当に人気のない時間に行ってみてほしいです。なんだか、特別な空間に来た感じがします。ベンチに腰掛けて数分でも過ごすと、気持ちがスッキリすると思います。

社殿も非常に綺麗です。よくよく見ると、新しい部分と古い部分が混ざっています。昭和35年(1960年)建立とのことで、おそらくは楼門を建立した頃に組み直して、傷んだ部分を新しい木材に替えたのかなと思います。お祀りされているのは応神天皇です。ちなみに八幡宮の総本社は大分県宇佐神宮で、八幡神を祀った神社は全国に44000あると言われています。天皇や皇族が神として神社に祀られているのは多々ありますが、ここまで全国に広がった信仰となっているのは珍しいです。どうして15代天皇応神天皇がそこまで信仰されるのか。実は八幡神応神天皇が同一だということは、古事記にも日本書紀にも書いてありません。奈良時代から平安時代にかけて、同一だと言われ始め習合してしまいます。武神として武家の信仰を集め、当ブログで特集した平将門が「新皇」を名乗ったのも、八幡大菩薩によって新皇の地位を保証されたという理由が付けられています。天皇家の系譜として伊勢神宮がありますが、八幡神武家の守護神ですから、天皇と対立したり天皇の威勢を疎ましく思う武士が信仰を深めたのかもしれません。

これはお百度参りの数を数える札ですね。普通は少し離れた場所にお百度石が置いてあって、そこに数を数えるものが一緒に置かれているパターンが多いので、拝殿側にあるのは珍しいですね。

異様な建物ですが、こちらは氏子地域の神輿庫のようになっています。氏子地域の神輿庫を境内に置くことはよくありますが、ここまで厩舎のようになっているのは珍しいです。すごい数ですね。八幡大神社の例大祭は大きなお祭りですが、実はこの八幡大神社は、先日訪問した杵築大社の兼務社となっているそうです。杵築大社の数倍も立派な社務所があって、訪問時も神社の関係者らしき人が、境内の整備の打ち合わせのようなことをしていました。中央線の駅や繁華街からも近くて、常駐の神官さんがいてもやっていけそうな気がします。兼務社にすると運営コストが削減されますが、地元密着感が薄れるようで寂しい気もします。

 

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