代々木八幡宮 目次
名称・旧社格
創建
建暦2年(1212年)、鎌倉幕府二代将軍源頼家の側近近藤三郎是茂の家来の荒井外記智明によって創建されました。
御祭神
みどころ
代々木八幡駅のすぐ近くですが、縄文時代の遺跡が再現されています。緑に囲まれた別天地のような境内が魅力的で、パワースポットとしても注目されています。
アクセス
東京都渋谷区代々木5-1-1
小田急線「代々木八幡」徒歩5分
探訪レポート
小田急線の代々木八幡駅から山手通りを少し歩くと、通り沿いに入口があります。中まで入らなくても、階段の前で頭を下げて通過する方々もいらっしゃいました。結構な階段を上がった後も登り坂になっていて、お参りするだけで足腰の運動になりそうです。
坂を上がりきると、そこに二之鳥居があり、まっすぐな参道が本殿に向かって伸びています。おそらくこんな風に真正面から撮影するのは良くないことで、参道の中央は正中と言って神様が通る道なので、空けておくべきとされています。私自身も慣例に従って鳥居で頭を下げたり、参道の端を歩いたりしていますが、こういう作法は正解のない慣習だと思うので、あまり正しき作法にこだわり過ぎないようにしたいと思っています。神様の通り道と言っても、神様はお祭りの時に神輿に乗って通るだけで、常時中央を空けておく必要はないのではないかと思いますけど。
そんな正しき作法を発揮すべき手水舎がありました。昨今の手水舎は作法を発揮するにも、柄杓がないので略式です。ただ、私は手水舎の水で口を濯いだことがありません。次に使う人がいるのに、足元に濯いだ水を吐くことが不潔というか、失礼なのではと感じてしまいます。やったとしても手にすくった水で唇を濡らす程度で、すぐハンカチで拭いてしまいます。このあたりは正しき作法に実直な方も、自己流の方もいらっしゃいますね。
社殿の屋根がまだ新しいですね。葺き替えて間もない感じです。年月が経過すると緑青(ろくしょう)といって、銅が酸化して緑色になります。八幡神社なので八幡神=応神天皇を祀っています。日本で最も神社の数が多いのは言わずと知れた稲荷神ですが、八幡神は2番目に多い神社です。農耕や商売の神様である稲荷神が信仰される理由は想像に難くありませんが、武神として知られている八幡神が2番目に信仰を得ているのは、どういう訳でしょうね。争いを好まない日本人でも、人生の勝負をたくさん抱えているということなのでしょうか。
社殿の右側には境内社があります。この出世稲荷者は、出世ご利益を得るために伏見稲荷から勧請したというものではありません。稲荷神は日本で最も信仰されている神様で、各家々でも祠を造って祀られていました。昭和20年、戦争による空襲で無惨に破壊された各家々の稲荷社の祠や御神使のお狐様を集めて代々木八幡宮の境内社としてお祀りしたのだそうです。出世稲荷社と本殿の間に長屋風の境内社があります。稲荷社(豊受大神)・天神社(菅原道真)・榛名社(日本武尊)の三社がお祀りされています。他に本殿の相殿に天祖社と白山社が合祀されていて、これらを合わせた五社宮祭を5月23日に行っているそうです。
社殿の左側には回廊があって、中庭も整備されて良い味を出しています。結婚式で衣装を着た新郎新婦が赤絨毯を敷いた回廊を歩くと絵になるでしょうね。
回廊の先には参集殿がありました。
神楽殿です。ラジオ体操会場と書かれていますが、神楽殿の上で体操するのでしょうか。私が子どもの頃は地域のおじさんが高台に上がって見本として体操してくれましたが、それを神楽殿の上でするとなると、ちょっと滑稽に思えます。
神輿庫には一基のみ保管されています。入口の階段を上がったあたりにガレージのような建物があったので、各氏子町会の神輿はそこに保管されていると思われます。この神輿庫に保管されているのは代々木八幡宮の宮神輿なのですが、元々は大正12年に氏子町会の神輿として作られたものです。都市化に伴う地域人口の現象のために維持が難しくなって来たので、永久保存できるように代々木八幡宮の宮神輿として奉納されました。平成3年に鎮座780年祭を記念して、氏子崇敬者の奉賛によって2千万円をかけて修復したそうです。
表忠碑と書かれています。こちらは日露戦争の戦没者の慰霊のために作られたものですが、昭和になって第二次世界大戦後は軍国主義の象徴だと取り壊されそうになり、代々木八幡神社の境内に避難してきたそうです。その手前の御神木があまりにも立派で意識を惹かれます。代々木八幡宮はパワースポットとして有名らしいのですが、最もパワーがありそうなのはこの御神木でした。ただ、私は霊感とかスピリチュアル的なものが全くわからなくて、パワースポットと言われても、そう言われたらそんな気がしますね、という感じです。
この代々木八幡宮は縄文時代の住居などの遺跡が発掘されています。このガラス張りの展示は近くに寄るとライトが付くシステムです。縄文の生活にも聖なるものに対する信仰があって、宗教儀礼的なことも行われていました。ただ狩猟・採集して生きていただけではないところに、悠久の歴史浪漫を感じるのですが、このように人形にされると一気に興醒めしますね。
再現された竪穴式住居跡です。歴史の教科書や資料集で見たままです。「古代住居の作り方」という写真パネルが展示されていましたが、鉄の刃物も無い時代、こんなにキレイに揃えて刈り込むことはできなかったと思いますが、現代の職人さんはいつも丁寧に仕事しているのが、ついつい出てしまうのでしょうね。
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