寺社探訪

寺社探訪とコラム

鳩森八幡神社

鳩森八幡神社 目次

名称・旧社格

正式には八幡神社と称します。通称で鳩森八幡神社千駄ヶ谷八幡神社と呼ばれています。旧社格は村社です。

創建

貞観2年(860年)、慈覚大師円仁によって八幡社として創建されました。

御祭神

応神天皇

神功皇后

見どころ

境内には実際に登山できる富士塚があります。創建当初の場所にある富士塚としては都内最古です。将棋が強くなると言われている将棋堂もあります。

アクセス

東京都渋谷区千駄ヶ谷1-1-24

JR総武線千駄ヶ谷」徒歩5分

都営大江戸線「国立競技場」徒歩5分

東京メトロ副都心線北参道」徒歩5分

 

探訪レポート

代々木公園・明治神宮新宿御苑神宮外苑と、周囲の広大な施設に囲まれたエリアに鎮座していますが、1000年を優に超える歴史ある神社です。木々が茂る参道を入りまして、まっすぐ進むと手水舎があります。こちらが表参道なのですが、大通りに面しているのは裏参道(北鳥居)の方です。鳥居にはお知らせが張り付けてあります。渋谷区では「どんど焼き」が禁止されているとのことで、注連縄や正月飾りを受け入れることができないというお知らせでした。23区ではどんど焼きを実施している神社は本当に少なくて、塩を振って清めて一般ごみと一緒に出してくださいと自治体が推奨しています。しかし、鳥居に張り出すようなお知らせでしょうか。手水舎は、コロナ以降一気に普及したセンサー式でした。

木々の緑が目に映える拝殿前です。しかし、張り紙が多いですね。親切なのかもしれませんが、こんなに必要なのでしょうか? 八幡神社なので、お祀りされているのは応神天皇です。仲哀天皇神功皇后の夫婦神もお祀りされることが多いのですが、こちらでは仲哀天皇は含まれていませんでした。創建の由緒に慈覚大師円仁が登場します。慈覚大師円仁は第3代天台座主を務めた高僧で、遣唐使として唐に渡った入唐八家のひとりです。とにかく全国津々浦々の寺院や神社の歴史に登場しまくりますので、たぶん円仁は100人ほどいたんじゃないかと推測されます(嘘)。創建以前からこの地は不思議な雲(瑞雲)が立ち込める神聖な林だったそうで、村人が立ち入ると白い鳩が群れを成して西の空に飛んで行ったとのこと。このことに因んで、小祠を設けて鳩森と称したそうです。その後に円仁がやってきて八幡神社としたという歴史です。

境内社神明社です。そもそも千駄ヶ谷太神宮と称して、神宮外苑の向こう側の権田原にあったのを、境内社として遷したとのこと。神明社ですので、天照大御神をお祀りしています。

千駄ヶ谷富士塚」は、見た目も立派で、東京都の文化財に指定されています。寛政元年(1789年)に築造されました。山頂に奥宮があって、富士塚の横に里宮もあり、七合目には洞窟があり身禄像が安置されています。須走まであるそうで、富士山を再現する富士塚の真骨頂ですね。

能楽殿です。神楽殿ではなく、能楽殿です。毎年5月に薪能が行われ、能と狂言が披露されています。開催時期でなくても、ガラス張りで中の様子がよくわかります。例大祭は9月に行われています。

六角形のこちらのお堂は、将棋堂と称します。神社の裏に将棋会館があるので、毎年行われる祈願祭では有名棋士の参列もあって、将棋の聖地のようになっています。昭和61年に日本将棋連盟から巨大な駒が奉納され、将棋の技術向上や将棋界の繁栄を願って、お堂が建立されました。

反対側から富士塚を見ると、ごつごつ感がよく見て取れます。

こちらは境内社甲賀稲荷社です。甲賀甲賀組という江戸時代の鉄砲足軽百人組のことです。甲賀組の組屋敷の武士たちが崇拝していた神社で、明治18年遷座、合祀されました。合祀されていたのですが、昭和45年に復興を望む声に応えて、社殿を再建して遷座したとのこと。

こちらは裏参道の北鳥居を入った広場です。この御神木は第二次世界大戦の空襲を生き抜いた大銀杏です。大銀杏が作る日陰に腰を下ろして、静かに時間を過ごすことができます。

初夏というよりも暑い季節で、濃い緑が目立つ境内でしたが、よく見ると多くの種類の植物があることに気づきます。これらが花をつける頃は、順番に咲いていく様子を楽しんだり、季節の移ろいを感じられるのではないでしょうか。