穴八幡宮 目次
名称・旧社格
穴八幡宮と称します。そもそも高田八幡宮と称していましたが、江戸初期から穴八幡宮と称しています。旧社格は村社です。
創建
康平5年(1062年)に、源義家がこの地に八幡神を祀りました。
御祭神
応神天皇(品陀和気命)・仲哀天皇(帯中日子命)・神功皇后(息長帯比賣命)
みどころ
学生で賑わう早稲田の中心に神社です。高台にある境内は、周辺地域から切り離された静けさ漂う特別な空間に感じられます。
アクセス
東京都新宿区西早稲田2-1-11
東京メトロ東西線「早稲田」徒歩5分
探訪レポート
東西線の早稲田駅から地上に出ると、鮮やかな朱色の鳥居が目に入ります。早稲田大学の近くですから、通りを歩く学生たちの話す様々な国の言語が聞こえてきます。階段を上がると少し広いスペースがあります。よく整備された清潔感の漂う境内です。ここに石造りの二之鳥居があります。
また階段を上がるようになっています。オレンジ色近い朱色が本当に鮮やかに目に映ります。穴八幡神社は八幡太郎の異名を持つ源義家が奥州の乱を鎮圧した凱旋の途中で、日本武尊に倣ってこの地に太刀と兜を納めて、氏神の八幡神を祀ったのが始まりです。江戸時代には徳川家の庇護を受けて大きく発展しました。
こちらは平成10年に再建された室町時代の様式の隋神門です。正面に随身像、裏側には馬がご安置されています。
隋神門を入ると、広い境内地が広がっています。二段階で階段を上がったからか、下界と切り離された特別な空間を感じます。左側に石造りの鳥居があり、その奥に石塔が祀られています。石塔には「神武天皇遥拝所」と刻まれています。八幡神つまり応神天皇は第15代の天皇です。神武天皇は初代天皇です。同じ天皇の系譜だから祀られているのかなと思います。遥拝所というのは、遠くから拝礼するための場所ですが、神武天皇陵は大和王権ですから奈良県の橿原市にあります。すごい距離ですね。
神武天皇遥拝所の隣に鼓楼があります。これは府中市の大國魂神社に同様のものを見たことがあります。鐘楼は鐘を鳴らしますが、鼓楼は太鼓を叩いて時を知らせるための建物です。朱色と黒のコントラストが目に鮮やかで美しいです。
手水舎と布袋尊社が並んでいます。朱塗りの豪華な屋根が二つ並んで厳かさが倍増します。江戸を代表する大社として名を馳せた頃の資料を元に、往時を偲ばせる境内を整備・再現しているのだそうです。
この水鉢は江戸城吹上御苑に置かれていたものが、徳川家光によって奉納されました。区内最古の水鉢として新宿区の文化財に指定されています。布袋尊のトレードマークである大きな袋から水が出ています。布袋尊は日本では七福神の一神として神道でも仏教でも祀られていますが、そもそもは中国(唐)に実在したとされている仏教の僧です。
隣にも布袋尊が祀られています。特徴でもある太鼓腹がぼっこり出ています。撫でられている場所が真っ黒になっていますが、布袋尊舎の前に布袋尊記として布袋尊を祀るようになった由緒が刻まれた石板が建っています。こちらの布袋尊像も江戸城内にあったものを家光が寄進して、境内の別の場所にあったが、手水舎の改築に際してここに移したとのこと。
社殿もすごく立派です。特に祭事は行われていなくても、お参りの方々が絶えずいらっしゃいます。穴八幡神社に対する信仰でとても有名なのが、「一陽来復御守」です。これは金銀融通の金運アップの御神徳がある御守りとして、大変な人気があるそうです。
一陽来復とは、冬が終わり春が来ることです。冬至で陰が極まり、春にかけて陽が生じていくことから、物事が良い方へ向かうことを意味します。この御守りは冬至から節分の間授与されていて、家や会社にお祀りするのですが、お祀りすることができるタイミングが決まっています。冬至、大晦日、節分どれかを選び、その日が終わる0時にお祀りします。お祀りする方角(恵方)もその年によって変わります。画鋲やテープを使用してはならず、和糊で壁や柱に直接貼り付けます。落ちてしまった御守りを再度祀ることはできず、すぐに神社にお返しします。
こちらは出現殿といいまして、穴八幡の名の由来となる「穴」がある場所です。別当寺の放生寺を建立するために境内地の南の崖を整備したところ横穴を発見し、中から金剛仏や人骨が出土したそうです。そこを神穴としてお祀りしていますが、一般の立ち入りは禁止されています。
穴八幡宮は鮮やかな朱色が目に映える美しい神社です。高台に位置し、周囲の喧騒から切り離された特別な空間で、自然の摂理に厳密に従っているという印象を受けました。
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