名称・寺格
金龍山 信松院と称する曹洞宗寺院です。寺格は特にありません。
創建
天正18年(1590年)に卜山舜越によって創建されました。
本尊
みどころ
戦国甲斐武田家のファン必見です。松姫の生涯にロマンが感じられます。おしゃれなカフェも併設されています。
アクセス
東京都八王子市台町3-18-28
JR中央線「西八王子」徒歩12分
探訪レポート
JR八王子駅から歩いて訪問しました。道路を挟んだスペースに交通安全のためのお地蔵様がいらっしゃいました。こちらも信松院の関係施設なのでしょうね。
交差点には信松院が経営する金照庵というカフェがあります。食事はこだわりのカレーがバラエティ豊富にあります。他にも材料からこだわった甘味が用意されています。外から見た佇まいも、いかにも落ち着きのある雰囲気を感じます。金照庵というのは、武田信玄の四女松姫が武田家滅亡後に落ち延びた、八王子恩方村の小庵の名前です。
寺院の入り口に向かうと、外壁に仏旗の説明がありました。これは1950年にスリランカで開かれた第一回世界仏教徒会議において、国際仏旗として採択された旗です。国や宗派に関係なく、仏教徒として心を寄せ合う旗印ということです。日本でも所々で見かけることがあります。
信松院の入口右側に松姫の銅像がありました。武田家と織田家の同盟のための政略結婚で、松姫は7歳で織田信長の長男の奇妙丸(信忠:11歳)と婚約します。しかしその後、武田家と徳川家が合戦し、織田家が徳川家に援軍を送ったことを発端に、同盟も婚約も破綻しました。そして武田信玄が没した後、松姫は実兄の仁科盛信を頼って、高遠城の館に移り住みます。
しかし、家督を継いだ武田勝頼も、実兄の仁科盛信も、織田家徳川家の連合軍に打ち敗れ、武田家は滅亡します。松姫は盛信の子と勝頼の子、武田家臣の小山田信茂の子を連れて甲州を離れ、八王子に逃げ延びました。その後は織田信長も、そして元婚約者の信忠も本能寺の変で自害しました。豊臣秀吉の世では、後北条氏の庇護を受けていましたが、松姫は卜山舜悦を師僧として、心源院で出家します。秀吉の小田原攻めで八王子城が陥落し、後北条氏は滅亡します。松姫たちは、現在信松院のある地の草庵に移り住み、この時が信松院の創建とされています。
徳川家康が世を治める時代になると、元武田家臣の大久保長安が幕府の要職につき八王子に所領を得たり、元武田家臣が多い八王子千人同心が配備されたりと、松姫を取り巻く環境も変わってきました。元武田家臣たちにとって松姫はお館様(武田信玄)の実子ですから、大きな心の支えとして過ごしたことでしょう。
本堂の正面にこのようなものがありました。左の石碑には「狗子有仏心」と刻まれています。狗は犬のことで、直訳すると犬にも仏心が有るという意味ですが、禅問答に用いられる言葉なので、もっと深く深く考察されています。右側の演台のようなものには、舎利礼文が刻まれていました。
というのも、演台に立つと正面に見える観音堂の2階部分が、仏舎利殿になっているそうです。タイの有名寺院の仏舎利(釈迦の遺骨)をひと粒奉安されたと書かれていました。この演台に立って舎利礼文を唱えるということなんでしょうね。
四諦・八正道の手洗石と呼ばれています。この世は苦しみに満ちていて、苦しみを滅するには正しい道(八正道)の実践が必要だとする仏教の根本的な教えが刻まれているそうです。
仏殿です。本尊釈迦牟尼仏と刻まれています。観音堂が本堂のように見えますが、おそらくはこちらの仏殿が本堂のような位置づけなのかと思います。
右手に境内社がありました。鳥居の扁額には穴守稲荷神社と書かれています。羽田の穴守稲荷神社だと思いますが、どうしてこちらに勧請されているのかはわかりません。
青と白と赤と金という派手な色使いの観音堂です。御所水観音堂と呼ぶそうです。聖観世音菩薩をご安置しています。地下には八王子七福神めぐりの布袋尊がご安置されていて、2階には仏舎利殿があります。
左の石碑に「心身脱落」と刻まれています。これは身も心も社会から脱落していくという意味ではなくて、煩悩を捨て自我意識までも捨てたところに悟りはあるという意味です。禅宗だと更に裏の裏みたいな考察が繰り返されるので、深い意味になります。
足元に小さなお堂がありました。こちらは「松姫出世地蔵」と呼ぶそうです。松姫の没後400年祭が行われた年に、境内整備をした時に松の木の地中から出てきたそうです。長く地中にあり知られることがなかったお地蔵様は、どことなく尼僧のように見え、松姫400年祭の年に出土したことから、松姫出世地蔵と命名されたそうです。
墓地に向かう通路に、道祖神が祀られていました。
こちらは墓地にある松姫の墓です。市の指定史跡となっています。八王子織物という産業がありますが、これは松姫が里人に伝えた織物の技術から始まったものです。松姫は元和2年(1616年)に56歳で亡くなります。松姫が甲斐国から連れて逃げた武田家の子たちは、それぞれ嫁いだり、徳川家の旗本として仕えたりと、松姫が立派に育て上げました。武田家と言えば信玄と勝頼が有名ですが、武田家を背負って強く生きた尼僧がここに眠っていると思うと、心動かされる思いでした。
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