名称・寺格
補陀山(ほださん) 長谷寺(ちょうこくじ)と称する、曹洞宗寺院です。曹洞宗の総本山である大本山永平寺の東京別院です。別名、麻布大観音と称しています。
創建
慶長3年(1598年)に、門庵宗関によって創建されました。
本尊
見どころ
屋内で見る高さ10mの観音菩薩は、圧倒的な存在感があります。
アクセス
東京都港区西麻布2-21-34
探訪レポート
「大本山永平寺別院」と書かれた門を入ると、やはり身が引き締まるというか、あの永平寺なのだという感慨があります。京都や奈良も遠いのですが、福井はまた別の遠さがあります。何かのついでに永平寺に行くということがまず無さそうです。雪深い僧堂で雲水が慎ましやかな生活をしながら修行に励むイメージが浮かびます。さて、門を入ると左手に手水舎がありました。手水舎には花が浮かんでいました。通常、寺院の手水鉢に刻まれるのは漢字二文字が多くて、「浄心」とか「清心」とか「洗心」とか「奉納」などを見かけます。長谷寺の手水鉢には「具一切功德 慈眼視衆生 福聚海無量 是故應頂禮 」と書かれていました。これは観音経の一部です。漢字を見るとなんとなく意味がわかると思いますが、観音菩薩様は素晴らしいので、敬ってお縋りいたしましょう的な内容です。
法堂です。いわゆる本堂にあたる場所で、釈迦三尊がご安置されています。室町時代、長谷寺はそもそも観音菩薩を安置した観音堂から始まっています。長谷寺の観音像は、奈良の長谷寺の観音像と同木で作られたものと伝わっています。寺院として拡大したり縮小したり移転したり細かな移ろいはあったでしょうが、創建時より大体このあたりにずっと存在しています。さて、鎌倉にも有名な長谷寺がありますが、鎌倉の長谷寺の観音像も奈良の長谷寺と同時に作られた観音像だと主張しています。奈良の長谷寺は全国に300はある「長谷寺」という同じ名前の寺院という関係のみだとの意見です。現代ではそれぞれ宗派も違う3つの長谷寺に、それぞれ歴史深い観音像が伝わっています。何かしらの関係かあったのか無かったのか、歴史ミステリーですね。
平安仏教や鎌倉仏教などの伝統的な宗派をはじめ、日本には多くの宗派がありますが、当ブログでご紹介した真言宗智山派の真福寺のように、京都にある総本山の別院を東京に置く宗派は結構たくさんあります。寺院丸ごと別院として機能している場合もありますし、池上本門寺や増上寺や護国寺のように、大本山という寺格を持って単独の寺院として機能しつつ、その組織内に全国の宗務を統括する部門を持っていたりする寺院もあります。今回訪問している長谷寺は、曹洞宗の福井の永平寺の別院です。
こちらが僧堂です。永平寺というと雲水(修行僧)が床を雑巾掛けしたり、托鉢に歩いている姿が思い浮かびますが、曹洞宗に限らず、僧侶が修行するための施設を持つ特別な寺院があります。曹洞宗の僧侶の修行はメディアに多く登場するので、想像しやすいですね。壁に面して細長い椅子のような畳が敷かれた場所で、座禅を組んだり食事をしたりというような構造になっています。数十名の修行僧が暮らしているそうです。
鐘楼堂です。長谷寺では、並べば全員が除夜の鐘を突くことができるそうです。やはり永平寺別院ですから、一般寺院では行われない特別な行事も多い印象があります。大切な仏事を粛々と済ませている感じですが、墓地もありますし檀家もいますから、一般衆生が参加する行事も行われています。
寺務所も立派です。長谷寺は創建時から永平寺の別院であった訳でなく、最初はよくあるパターンで、当地に武家屋敷を置いた大名が江戸での菩提寺とすべく建立します。開山した門庵宗関は徳川家康とも親交が深く、高輪の泉岳寺も開山しています。そんな関係性の中、徳川家の庇護を受けて発展し、禅僧の修行の場となり、永平寺の別院となったという経緯です。
観音堂です。大きな観音菩薩像は、屋外に白い石像として建てられることが多いです。当ブログで訪れた練馬の三宝寺にもありましたし、千葉県富津市には個人の発願で建設された高さ56mの東京湾観音があります。長谷寺の観音像は「麻布大観音」と称され、約10mですが屋内なので余計に大きく感じます。そもそもは小さな観音像だったそうで、正徳6年(1716年)に2丈6尺(8m弱)の大観音を建立し、小さな観音像をその胎内仏としたそうです。例によって第二次世界大戦の東京大空襲で焼失してしまい、昭和52年に(1977年)3丈3尺(約10m)の観音像が建立されました。再建された観音菩薩の顔は、香淳皇后がモデルとのことです。現代の美智子上皇后や雅子皇后に比べて、表舞台に立つイメージは無いですが、こういう所に登場していたのですね。確かに柔和でふっくらしたお顔は観音様のイメージです。やはり麻布大観音ですから、人々の信仰は観音様に向けられますので、毎月定期的18日の観音菩薩の縁日に観音堂でご祈祷が行われています。ご祈祷を申し込むと所願成就の御札がいただけます。
真新しい堂宇ですが、麻布稲荷と書かれたのぼり旗が立っています。曹洞宗と稲荷神といえば豊川稲荷が思い浮かびますが、仏教の世界には天部という仏教の守護神としての神が存在する場所がああるとされています。帝釈天や弁財天など、〇〇天と称する神が天部の神々です。仏教では稲荷神を荼枳尼天(だきにてん)という狐を使いとする天部の神として祀っています。この堂宇の中はベンチがあって東屋のような造りです。高いところに神棚風に稲荷神が祀られていました。
その前にあったお地蔵様です。このタイプのお地蔵様はよく見かけます。刻まれた文字の部分が、それぞれオリジナルな量販品だと思います。「十億の人に十億の父母あれど、我が父 母に優る父母あらめやも」と書かれています。実はこの台詞、かつてはお葬式のナレーションで流行していました。今では使い古された感がありますが、正に言い得て妙な言葉です。
天気の良い午前中に訪れたので、気持ちがスッキリする良い拝観になりました。日本は葬式仏教になってしまっていますが、長谷寺は衆生に対して法縁を結ぶ門戸を開いている寺院で、様々な行事への参加を呼びかけています。お葬式のような15年に一度の非日常ではなく、宗教とは日常の支えになってこそだと思います。そんな衆生の願いに応えるべく、住み込みで修行をしているであろう雲水たちの姿を思いつつ、観音菩薩に手を合わせました。
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