東京ゲートブリッジが見える、東京都江東区の若洲海浜公園からスタートし、徒歩で荒川に沿って遡上してきました。今年の夏の酷暑のために埼玉県秩父市の和銅黒谷駅でずいぶん停止しておりましたが、ついに再稼働の日がやってきました。また、思い付き任せの行程で進んでまいりますので、どこがゴールになるかわかりませんが、お楽しみいただければ幸いです。
再起動
和銅黒谷駅のホームには相変わらず和同開珎のオブジェが置かれていて、またここから歩き出すのだなあと感慨深く思います。ただ、どこまで行けるかは不明です。調べると、この感じで歩いて進むには限界がありそうなのです。
さて、彩甲斐街道から「招木古墳通り」と名付けられた道路に入り、和銅大橋を渡ります。荒川もすっかり上流の雰囲気ですが、長瀞周辺の渓谷とはまた違う様相となっています。
和銅大橋を渡って左側に、わかりやすい形の古墳がありました。飯塚招木古墳群と言いまして、7世紀末から8世紀にかけて造られたもので、126基もの古墳が群集しています。こちらは89号墳で、移築復元された古墳なのだそうです。
89号墳の道路を挟んだ正面に、このような木々に囲まれた道があります。ここを奥に進むと稲荷社があるのですが、地元の方が稲荷社の祠の中を掃除している最中だったので、お邪魔せずに引き返しました。祠に供えられている大量のお狐様も一旦撤去していたので、本格的な清掃たったと思われます。
荒川 百所巡礼 第216番 地蔵尊
すると、89号墳の隣にお地蔵様がいらっしゃいました。土台もしっかりしていて屋根付きです。お供え物もきちんとされていて、路端の信仰はどこへ行っても衰えないなと思いました。
招木古墳通りから左折して「秩父児玉線」に入ります。この児玉は中世の武士団「児玉党」の児玉と一緒でしょうね。私の祖先を辿って行くと児玉党らしいので、少し親近感が湧きます。こんな風に畑の中にポツポツと建物があるような風景を進みます。
彼岸花の咲く道
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彼岸花(曼珠沙華)が綺麗に咲いています。路端の紅い花を辿って行くと、とある寺院に行き着きました。
荒川 百所巡礼 第217番 普門寺
彼岸花の咲く寺院は、普門寺でした。臨済宗南禅寺派の寺院で、立派な石垣が山門のようになっています。
臨済宗の寺院の本堂は横長で大きなお堂が多いです。普門寺もそんな臨済宗の特徴が見られる本堂です。本尊は観音菩薩だそうです。秩父には百観音巡礼の一部である「秩父三十四観音巡礼」コースがありますが、普門寺は関係ないみたいですね。
たくさんの石碑が並んでいます。庚申塔が多いのですが、月待塔やお地蔵様も見られます。
荒川 百所巡礼 第219番 地蔵尊
ディズニー映画だったら喋り出しそうな凄い木ですが、「寺尾のケヤキ」と称して保護されています。裏側に今にも崩れそうな建物があり、隣にお地蔵様がいらっしゃいます。このお地蔵様は近未来的スタイルと言いますか、何頭身あるのかという程頭が小さいです。よく見ると何度かは首が落ちたように見受けられます。
農村歌舞伎
荒川 百所巡礼 第220番 萩平諏訪神社
萩平諏訪神社の境内の左側にある「精進堂」と呼ばれる建物です。茅葺き屋根の小さなお堂です。若者組などが祭りの精進潔斎のために過ごす若者宿として、天保年間(1830-1844年)に創建されたそうです。
鳥居があって、その正面に諏訪神社の社殿があり、右側の茅葺き屋根の建物が「萩平歌舞伎舞台」です。江戸時代の中後期頃から、庶民の娯楽のために、農村に歌舞伎や人形浄瑠璃の舞台が作られました。現存するものも多く、こちらの萩平歌舞伎舞台は明治初期の建築とされており、市の文化財として保護されています。歌舞伎舞台は改修中なのか何なのか、シートに覆われていました。
左手前方に大きな山が見えています。こちらは武甲山で、標高1304mです。中腹あたりがハゲ山になっていて、石灰石の採掘が行われているそうです。なんだか痛々しいですが、採掘しすぎて元々の山頂は無くなっているのだそうです。日本武尊が武具を納めたから武甲山と命名されています。奥多摩や秩父エリアにはこの伝説を持つ山や寺社がいくつかあります。秩父神社の神奈備山とのことですが、開発している人にも大切な都合があるのでしょうし、文明と自然の両立を考えさせられます。
荒川 百所巡礼 第221番 宝光寺
宝光寺は真言宗智山派の寺院という他は、情報が無くよくわかりません。訪問時には近所の方がお墓参りに来られていました。
墓地の入口にも鮮やかな彼岸花が咲いていました。おそらく常駐の住職さんはいらっしゃらないのかなと思います。
あの日見た花の名前
秩父児玉線を進みますと、新旧秩父橋が見えてきました。こちらは旧秩父橋から見た新秩父橋です。1985年に架設され、埼玉県初の斜張橋だそうです。河口から120.6kmとのことですが、橋のかかるところでしか荒川が見えなくなってきました。もう紛れもない上流に差し掛かっているのですね。
こちらは旧秩父橋です。現在は歩行者専用になっています。昭和6年(1931年)に竣工したと言いますから、もうすぐ100年になりますね。コンクリートでガッチリ作られている感じがレトロっぽくて絵になります。アニメだとこの近くに超平和バスターズの秘密基地があります。
ふたつの橋の手前に、ちょっとしたスペースがあって記念碑やら案内板やらが設置されていました。「秩父橋ポケットパーク」と呼ぶそうですが、鬱蒼と木々が生い茂り、巨大な蜘蛛の巣だらけの場所でした。
橋の上から見た荒川です。遠くの山々と川面に突き出た大きな岩が良いです。あと少し時が経てば、紅葉して見事な景色になりそうです。
荒川 百所巡礼 第222番 稲荷神社
この稲荷神社は秩父市阿保町の公会堂の敷地にあります。田舎の神社やお社は、人が集まる集会所に遷したり、境内に社務所兼集会所を作って、荒廃しないようにしています。入口に道路工事のダンプが停まっていました。
荒川 百所巡礼 第223番 巳待塔
ここも公会堂の土地なのかと思いますが、巳待塔がありました。庚申塔や甲子塔をよく見かけますが、十干と十二支の組み合わせで、60日に一度やって来る日に人々が講を作って集まり、食事をしたり念仏をしたりして、厄災や招福を祈念した風習がありました。巳待塔(みまちとう)は十二支の巳の日か、干支の己巳(きし)の日に弁財天を祀っていたそうです。
荒川 百所巡礼 第224番 視目神社
名称を見ると、いかにも目の病や視力回復に御神徳がありそうですが、夜泣き・虫封じの御神徳で有名な神社なのだそうです。鳥居には「視目大権現」と扁額があり、神仏習合の神様を祀っていた歴史があることがわかります。
不動明王と刻まれた石碑です。不動明王は仏尊の一つですが、神仏習合の名残で神社にも祀られていることもあります。江戸時代では珍しくもない風景だったのでしょうね。
虫封じというのは、家にノミダニが湧いたりゴキブリが出たりするのを封じるのではなく、多くは子どもの疳の虫のことを指します。子どもって突然興奮して奇声を発したり騒いだりします。大人はその原因がよくわからないので、疳の虫の仕業だとして、呪術的なお祓いをして、疳の虫を抑えようとしていました。
この先は秩父市の中心部に向かうことになりますが、まだまだその雰囲気はありません。寺社を巡るだけでなく、移ろいゆく風景も楽しめたと思います。
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