五色不動尊巡礼
※目黒不動尊は本編で個別にレポートしていますので、そちらをご覧ください。
江戸五色不動尊巡礼に挑戦してみました。とある寺院で不動明王の絵に五色不動尊の寺院の御朱印を押した掛け軸が飾ってあるのを見つけました。いつかは行ってみようかと思っていたのですが、目黒不動尊を訪問したことで、他の寺院も行ってみようと思いました。一日で全てを巡ることも可能だと思いますが、何日かかけて訪れました。五色不動尊巡礼の由来について、台東区三ノ輪の目黄不動尊の入口に掲げてあったものをご紹介させていただきます。
江戸五色不動とは目白、目赤、目黒、目青、目黄の各不動尊のことで、寛永年間(1624~43)の中頃、徳川三代将軍家光が寛永寺創建で知られる天海大僧正の具申により、江戸府内の名のある不動尊を指定したと伝える。
不動明王は、密教ではその中心仏とされる大日如来が、悪を断じ、衆生を教化するため、外には憤怒の形相、内には大慈悲心を有する民衆救済の具現者として現れたとされている。また、宇宙のすべての現象は、地、水、火、風、空の五つからなるとする宇宙観があり、これらを色彩で表現したものが五色といわれる。
不動尊信仰は、密教がさかんになった平安時代初期の頃から広まり、不動尊を身体ないしは目の色で描きわけることは、平安時代(784~1179)すでに存在したという。
との解説文がありました。後の研究によると、この五色不動尊巡礼は明治末期また大正初期に始められたことで、江戸時代に江戸五色不動尊として巡礼していたとは考えにくいとのことです。民間の言い伝えですから、深掘りせずにロマンを求めましょう。
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