寺社探訪

寺社探訪とコラム

浄土宗 増上寺 1

目次

名称・寺格

三縁山 広度院 増上寺と称し、浄土宗の大本山となっています。

創建

9世紀に空海の弟子である宗叡が建立した真言宗光明寺が前身とされる。浄土宗第8祖の聖聡が、明徳4年(1393年)にこの光明寺を浄土宗に改宗し、増上寺と名付けたので、この年が創建、開祖は聖聡とされています。

本尊

阿弥陀如来像(室町期制作)。

安国殿に安置されている秘仏・黒本尊(恵心僧都作)が有名。

ご利益

各種ご祈願が受け付けられています。一般参加も可能な様々な祈願会も開催されています。安国殿の黒本尊は、徳川家康が持仏として戦場に持ち出していたもので、勝運のご利益が有名です。

アクセス

東京都港区芝公園4-7-35

JR・東京モノレール浜松町駅」から徒歩10分

都営地下鉄三田線芝公園駅」「御成門駅」から徒歩3分

都営地下鉄浅草線大江戸線「大門駅」から徒歩5分

車の場合、公園周辺に有料駐車場があります。

みどころ

徳川家の菩提寺で、徳川家の墓所があります。資料館に残されている当時の徳川家の墓所の模型など、江戸期における徳川家の繁栄ぶりが学べます。公園に隣接した広い敷地で、ゆったりとした時間を過ごすのにピッタリです。

探訪レポート

東京タワーのすぐ側という立地です。元々は千代田区にあったそうですが、徳川家の菩提寺に選ばれるというミラクルのおかげで、一気に隆盛を極めることになります。

歴代最長の第二次安倍政権は8年間、自民党政権は最長で38年間、そして徳川政権は265年間です。江戸時代の徳川家が、今の常識では想像つかない程の凄まじい権力を持っていたことが伺えます。徳川家康増上寺の住職だった存応に帰依したことから、増上寺は徳川家の菩提寺となり、江戸の裏鬼門を守るべく現在の芝に移されました。更に朝廷から常紫衣を賜り、朝廷の勅願寺となり、存応自身は「普光観智国師」という称号を贈られるといった、まさに将軍様の御威光を受けて発展を遂げる訳です。f:id:salicat:20210528200132j:plain今でも広い増上寺ですが、境内は1万6千坪あります。東京ドームより少し大きい感じです。ですが、当時の寺領は25万坪で、現在の15.6倍、まさに東京ドーム18個分弱という広大さでした。

これほど凄まじかった増上寺ですから、宗派の本山である知恩院を凌ぐ勢力を持っていたことでしょう。よく独立しなかったなぁと思います。日本の宗派ってすぐに分派独立するイメージです。同じ〇〇宗を名乗っても、後ろに違う△△派というのが付くと、それはもう違う宗派みたいに扱われます。増上寺の属する浄土宗も、何度も分派独立した歴史がありますが、増上寺は律儀なのですね。f:id:salicat:20210528200345j:plain増上寺へのアクセスは、JR浜松町駅か、地下鉄大門駅からがお薦めです。やはり大門を通って行くのが基本です。この大門は正面から見るとすごく立派で、はるか先に三門や東京タワーも見えて、いよいよ増上寺に来たぞとテンションが上がります。このあたりはビジネス街なので、多くの人が日常を過ごしている中、非日常を過ごす自分という状況を楽しめます。f:id:salicat:20210528200518j:plain増上寺の三門は境内の中でも最も古くて、江戸初期から存在しています。三門の三は、人の悪業を生み出す代表的な3つの煩悩「貪欲さ、怒り、愚かさ」を表していて、その3つの煩悩から解脱する門ということで三解脱門といいます。なので、そのつもりで通過すると良いです。少しお経に詳しい方ならご存知だと思いますが、各宗派で読まれている「懺悔文」という短いお経に出てくる貪瞋痴(とんじんち)というやつです。懺悔文そのものを体現できる門なのです。f:id:salicat:20210528200725j:plain三解脱門の左に黒門という通用門があります。これは徳川三代家光が建立したものです。最初は広大な寺領の然るべき場所にあったはずなのですが、寺領が狭くなっていくに連れ、都合の良き場所に移転を繰り返して、最終的には通用門となってしまったのです。巨大で荘厳な三解脱門の真横にあるので、どうしても貧相に見えてしまいます。家光もそんなつもりで建立したのではないでしょうに、時代のイタズラというものです。f:id:salicat:20210528200951j:plain増上寺のコンセプトは、大門→三門→大殿とまっすぐ進むことで、煩悩から解脱し、極楽浄土へたどり着くというものなので、三門を入ると、まずは大殿を目指してまっすぐ上がっていくと良いと思います。ただ、現在大殿は改修中なんですけどね。ところで増上寺は、この大殿の屋根瓦の葺き替えに総工費のほんの一部ですが、クラウドファンディングを利用したのです。もちろん、増上寺が費用の捻出に困っていた訳ではなく、世界中のできるだけ多くの方と縁を結びたいという思いで、総工費約7億5千万円のうち200万円分を、クラウドファンディングを利用したということらしい。実際には773万円集まったそうですが、当然ながら増上寺からのリターンがあって、瓦に記名だとか、増上寺の見学ツアー参加とかいうものです。普通に瓦を寄進しても同じことなのですが、意味合いが違うじゃないかと腑に落ちないのは、私の寛容さが足りないからでしょうか?f:id:salicat:20210528201034j:plain大殿の右側には安国殿があり、ここには有名な黒本尊が秘仏として安置されています。家康が戦場まで持ち出したと言われている阿弥陀如来像で、結果的に天下統一し、260年以上の政権の礎を築いた訳ですから、凄まじい御利益です。しかも、みんな大好き皇女和宮が御百度を踏んだと言われる本尊ですから、もう大殿の本尊を黒本尊にしたらいいんじゃない? と私などゲスい発想になってしまいますが、増上寺はその辺りは律儀なのです。秘仏の開帳は年3回あり、1月5月9月の15日です。f:id:salicat:20210528201120j:plainこの黒本尊は恵心僧都の作だそうですが、恵心僧都は私の理想の僧侶です。会ったこともないのでイメージだけの理解ですが、このような人を僧侶というのだと思います。「この世をば・・・」という句で有名なあの藤原道長が帰依した僧で、道長の権力で地位も名声も得られたはずなのに、辞退してひたすら仏道に専心したという人物です。天下人の御威光で隆盛を極めたどこかのお寺とは真逆な印象が・・・。また、恵心僧都の師匠である良源も人気の僧なので、どこかで書くことになると思います。f:id:salicat:20210528201155j:plain安国殿の更に右側にたくさんのお地蔵さんが並ぶエリアがあります。ここには小さいですが観音堂が建っており、聖観音が安置されています。素通りしてしまいがちですが、この聖観音は味があるというか、「長年信仰を集めてきた感」が滲み出ています。f:id:salicat:20210528201236j:plainお地蔵さんの群衆を抜けて安国殿の裏側に行くと徳川家の墓所があります。徳川15代全ての将軍が増上寺に眠っている訳ではなく、2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の6名です。本当に残念なのですが、戦前は現在の増上寺の境内の南北に墓地があって、将軍ごとにそれぞれ霊廟をあったそうです。霊廟には墓所、本殿、拝殿などの建物があったそうで、それぞれ当時の技術の粋を集めた壮麗な造りだったそうです。今、増上寺の南北にあるプリンスホテル芝公園の敷地が墓所だったとすると、すごい敷地面積です。これが実存していれば圧巻の光景だったと思います。実際国宝にも指定されていて、昭和初期までは存在していたのです。が、戦争を憎むべきかアメリカを憎むべきか、先の大戦で消失してしまったのです。寛永寺の将軍家の墓所も大戦で消失してますから、本当に取り返しがつかないものを失ってしまいました。f:id:salicat:20210528201358j:plainただ、消失したために、徳川家の墓地を掘り起こして学術調査して改葬するという大胆なことが行われました。ちなみに改装する前に桐ヶ谷斎場で火葬したそうです。すごいですよね。この学術調査はすごく興味深いことがたくさんあるので、歴史や和宮が好きな人には本が出てますのでそちらをどうぞ。高価な本で、私には手が出せませんが。

この徳川家の墓所には皇女和宮も埋葬されていて、皇族でありながら武家に嫁ぎ、夫を失っても徳川家ために力を尽くし、夫の側に埋葬されることを望んだというあっぱれな人で、何度も小説や映画になっています。そんな和宮の誕生日を祝うイベント(法要)が、毎年5月10日に増上寺で開かれています。

大殿にある宝物展示室に、消失した2代秀忠の霊廟の1/10スケールの模型が展示されています。この宝物展示室の拝観料が700円で、徳川家墓所の拝観料が500円で、お得なセット価格は1000円になっているそうです。(増上寺2 へ続く)

 

 

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