葬儀業界の仕事仲間が父親の3回忌になるというのだが、コロナ禍で法事も難しいと言っていました。彼の父親は鹿児島生まれで、菩提寺も墓も鹿児島にある。彼は東京生まれの東京育ちなので、緊急事態宣言の中、鹿児島への移動は控えることになったそうです。そこで、ふと思いついたので聞いてみた。もし彼が亡くなったら、住んだこともない鹿児島の墓に入るのか? と。彼曰く「そりゃ、そうでしょう」とのこと。菩提寺が鹿児島にあるのだから、それもおかしな話ではない。では、彼の嫁は鹿児島の墓に入るのだろうか? 「そりゃ、そうでしょう」と彼は言うが、嫁にとっては全く縁のない土地で、しかも、彼らには子がいないので、墓を継ぐ人はいません。
また別の日にラジオを聴いていたら、「旦那さんの家のお墓に入りたいですか?」というテーマでリスナーからのメールを募集していました。聴いていると、やはり舅や姑さんと一緒が嫌という人が多かったです。かと言って新たに墓を建てれば、子どもに負担をかけてしまう。嫌々旦那の墓に入るか、もしくは実家の墓に入れてもらうか、海洋散骨や樹木葬などの埋葬方法を希望する方が多かったです。
さて、お墓にまつわる現代事情を考えるにあたり、その事情が生まれた原因を探っていきましょう。原因の一つは江戸時代の寺請制度です。幕府がキリスト教を締め出すために、全ての民衆にどこかの寺院の檀家になるように強制し、寺院に宗門人別改帳を管理させ、戸籍のように活用しました。これによって寺院は民衆に対する権力と経済力を手にします。江戸初期には、ほぼ廃寺だった寺院が次々と甦り、強力な寺檀制度が確立されました。
もう一つの原因は家制度の衰退です。財産や職業、祭祀権などを世襲していく制度が、時代の流れとともに崩壊してしまいました。家系を基礎にする生活が個人主義の生活に変わりました。今でも、老舗の商店や農業・漁業などでは、財産や職業や祭祀権の家系による継承が続いている場合もあると思いますが、むしろ維持できなくなって、個人主義にならざるを得ない場合もあります。大学→就職→結婚→子育て→退職→老後と生きていく中で、ずっと生まれた土地に留まる人の方が珍しくなっていると思います。
寺檀制度は、家制度に基づいて代々継承されることが前提ですから、前提が崩壊しているのに制度を維持しても、無理が出てくるという訳です。ましてや、キリスト教を信仰する権利は憲法で保障されていて、戸籍は役所が管理しています。寺壇制度が生まれた理由も無くなっています。
極論を言えば、今、寺壇制度が必要なのは、寺院側だけなんです。江戸初期の寺請制度で増えすぎた寺院は、安定した継続収入を得て生き残るために、檀家制度を家系で継承してくれなければ困るのです。本ブログのコラム「三宝に帰依する」で書きましたが、日本の僧侶の目的は悟りや解脱ではなく、自坊を維持して子に継がせることですから、檀家制度の維持は譲れません。なので、墓じまいや離檀の話になると、まるで墓が人質のように扱われ、揉める場合があるのです。
一生独身で過ごしたい、見知らぬ遠方の墓や夫の家の墓に入りたくない、子供や孫や甥姪に負担をかけたくない、山や海の自然に返りたい。など、価値観が多様化しています。ただ寺檀制度の継承を押し付けている寺院だけではなく、人の事情や望みに応じようと、様々に動いている寺院もあります。
そもそも無縁仏や供養されてない人をまとめて供養する「合祀墓」というのは、大抵の寺院墓地には存在していましたが、それはあまり入りたいと思えないような感じのものでした。それが、需要が高まったことで、新たに建設したり、改装したりして、豪華だったり、美しかったり、スタイリッシュだったりと、魅力的な合祀墓やロッカー式の墓を作る寺院が現れ、かなりの好評を得るようになりました。するとそこへ民間霊園や埋葬ビジネス関連会社が参入し、独自だったり、寺院と業務提携したりして、様々に工夫を凝らした永代供養塔やロッカー式の墓が一気に普及していきました。今では大寺院も参入し、大きな流れとなっています。更に時代のニーズに合わせ、年間管理費なしは当たり前、個別供養→合祀供養のタイミングを生前にチョイスできたり、個別供養の仕方も、ロッカー式の納骨堂だけだなく、継承しない個人墓や夫婦墓を建立できたりと、利便性はますます広がっています。継承しない檀家に頼らず、継承しない墓を求めて浮遊する人たちを獲得しようとシフトしているお寺もあります。
ただ、家系墓→個人墓の流れが進んでいく中で、プライスレスな価値のあるものが、失われつつあります。家系の継承するものは、例えば衣服や宝飾品、美術品などの物品や、旅行や行事や日々の記憶という思い出、誰かが達成した偉業など、いろいろあるとは思います。その中でも墓というのは人生に関わり、数十年、数百年受け継いできた家系のモニュメントなのですが、それを失ってしまうことになります。もうひとつは、お墓参りという文化です。年季法要などで、家族全員が集まってお墓参りに行き親から子、子から孫へと、家系を築いてきた先祖の墓を大切にする心を繋いでいく。そんな素晴らしい文化がなくなるかもしれません。また、墓は単なる遺骨の収蔵所ではなく、両親や先祖と語らい、悩んだ気持ちを整理したり、前へ向かう力を得たり、墓参りにはそんな力があります。他人と一緒に大勢が合祀される納骨堂が、後に残る配偶者や子どもや孫たちにとって心の拠り所となるかどうかわかりません。また、檀家制度の家系の継承が行われないことで、寺院は収入が失われます。過疎化と大都市への人口集中が進んで、檀家が継承されず、墓をしまって都会へ移してしまう人が増えると、地方の寺院は生き残れません。自分の家系の墓だけでなく、これまで先祖を供養してくれた、祖父も父も世話になった寺そのものが無くなってしまうかもしれません。現実に、過疎地域の廃寺化はかなり進んでいると聞きます。
「千の風になって」という歌が流行った時期があります。余談ですが、葬儀業界ではこの時期はどこの式場でも毎日この曲が流れていて、あまりのヘビーローテーションに、旋律が頭から離れなくなっていました。さて、「千の風になって」の歌詞は「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」となっています。これは墓石業界からずいぶん恨まれたでしょうね。でも、素敵な歌詞だと想います。亡くなった父の墓が遠く田舎の地にあっても、父は風になって私の頭上の空を吹き渡っているんだと思うと、墓に行けなくても、お寺との関係や継承の難しいことを考えなくても、風が吹けば「ああ父さんかな」と想いを巡らすことができます。
様々な事情を抱えて、思い切って先祖代々の墓を「墓じまい」した人たちは、やはり悩んで決断して行動したケジメを得ることができます。遠隔地の寺や墓地からの解放、夫の先祖からの解放。大きな重荷からの解放。放置しないで、最善だと思う方法を執り行ったことで、スッキリした気持ちで、前向きに生きていけるのだと思います。墓じまいをサポートする様々な団体があり、工夫を凝らした様々なシステムの永代供養塔があります。そんな自分のお墓を求める人は、ぜひ実際に足を運んで見てみることをお勧めします。「ここだっ!」という場所があるはず。永代供養塔に申し込んだことがきっかけで、そのお寺の様々な行事に積極的に参加して、仏教と出会い、住職と出会い、帰依すべき三宝を手に入れた人もいます。そうでなくとも、自分の最後の居場所を探すことは、思ったよりも有意義で楽しいはずですよ。
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