名称・寺格
創建
寛永2年(1625年)に、南光坊天海によって創建されました。
ご本尊
みどころ
現在の上野公園は江戸時代寛永寺の境内でした。徳川家の菩提寺として隆盛を誇った寺院の歴史を感じながら、公園内を散策できます。
アクセス
東京都台東区上野桜木1-14-11
JR山手線「鶯谷」徒歩10分
探訪レポート
徳川幕府が江戸の表と裏の鬼門に置いた寛永寺と増上寺。増上寺は既に一度レポートしていて、徳川家の権力がいかに絶大だったかということをお伝えしました。徳川将軍家の菩提寺として並び立つ両寺院ですが、おそらく、当時の寛永寺は規模も権力も、増上寺以上だったと思われます。
寛永寺が創建されたのは、徳川三代家光の時代です。家康のブレーンとして活躍していた南光坊天海という天台宗の高僧が、二代秀忠や三代家光から信頼を得て、1625年に江戸の鬼門を守るために建立されました。山号は東叡山、つまり東の比叡山です。比叡山延暦寺は天台宗の総本山であり、古くから数々の名僧を世に送り出している、日本仏教の起点のような寺院です。徳川幕府の加護を受けた寛永寺は、この総本山延暦寺をも飲み込んで江戸時代随一の寺院となります。
天台宗総本山の比叡山延暦寺は、桓武天皇が帰依した宗祖最澄が、京の鬼門を守るべく築いた寺院です。朝廷の加護を受け、延暦寺の貫主(いわゆる天台座主)には、天皇や皇室の親王が就くことが多く、朝廷との強い結びつきを作っていました。徳川の時代になり、まさに東の比叡山のごとく、寛永寺の貫主も親王が務め、ついに日光の輪王寺と延暦寺の貫主(天台座主)も兼務するようになりました。三山管領宮(さんざんかんりょうのみや)と呼ばれ、寛永寺に在住したのですから、まさに寛永寺は天下の大寺院となった訳です。
境内は30万5千坪あったそうですから、東京ドーム21.5個分です。現在の上野恩賜公園は寛永寺の寺領で、大きな噴水がある辺りに根本中堂があったそうです。ただ、徳川幕府の威光によって繁栄した寺院ですから、徳川幕府が亡くなってしまうと力を失ってしまいます。十五代将軍慶喜が戊辰戦争による江戸城無血開城で寛永寺に謹慎していたのですが、旧幕府軍だった彰義隊と新政府軍との衝突が、まさに寛永寺境内で起こってしまいます。寛永寺はこの上野戦争でほとんどの伽藍を焼失し、明治新政府によって領地も没収されてしまいます。
明治12年(1879年)に復興が認められ、少しずつ寛永寺は形を整えていきます。その後も、関東大震災や第2次世界対戦で被災しつつも、上野の杜の象徴的な存在であり、天台宗大本山としての現在の姿があります。長い前置きでしたが、このような寛永寺の大まかな歴史を頭に入れて、上野に行ってまいりました。明治時代からの寛永寺の復興は、将軍家菩提寺という歴史を守りつつも、東京都民に墓地を開放し、都民に愛される開かれた寺院を目指してきたそうです。
山門を入り、境内に踏み入った瞬間に、その言葉の意味を目と耳で理解しました。根本中堂に向かって左側に大きな幼稚園があり、たくさんの園児たちのはしゃぐ声と、お迎えのママたちの世間話に花開く声が、境内に響き渡っています。素晴らしく、開かれている・・・。
次に、墓地に向かいます。寛永寺の墓地はとても広く、一般の方の墓地と同じ敷地に将軍家の墓地があります。もちろん柵で仕切って進入禁止にはなっています。焼失してしまって昔ながらの霊廟の姿は見られないとしても、その御廟の門だけでも、これが個人の墓の門か? と思います。ちなみに寛永寺に眠っているのは、4代家綱 5代綱吉、8代吉宗、10代家治、11代家斉、13代家定の6名です。増上寺も6名で、このあたりは公平なのです。また、増上寺には国民的人気の皇女和宮が埋葬されていますが、寛永寺には同じく国民的人気で和宮の姑、篤姫こと天璋院のお墓があります。事前の申込みで特別参拝できるようです。
私事というか、遠い昔の記憶で、仕事で寛永寺の墓地に来たことがあり、その時に見て印象に残ったのが、長い塔婆です。塔婆とは墓石の後ろに立てる長板状のアレです。一般的なサイズは6尺(約180cm)だと思いますが、昨今ではもっと短い塔婆を使用する寺院が増えています。墓地の区画が小さくなっているのか、時代に対応していくと短くなっていくような気がします。5尺とか4尺とか。当時も塔婆の印刷機なんかが登場したりして、時代がどんどん進んでいる段階だったので。寛永寺の10尺あるんじゃないかという長い塔婆も、あと10年もしたら無くなっちゃうんだろうなぁと思っていました。が、令和3年にありました。さすが寛永寺。なんだか、全くの他人の墓を見て嬉しくなった瞬間でした。
さて、永代供養塔シリーズです。寛永寺にも後継者がいない方用の永代供養墓があります。おそらくまだできたばかりに近いかも。テントでよく見えませんが、すごくきれいでした。「光明閣」というそうです。木々に隠れて見えませんが、お堂の隣に聖観世音菩薩像が立っています。費用も明瞭で、合祀する費用が50万円です。納骨堂の中にはロッカー式の納骨壇があり、希望の年数を納骨壇に安置しその後合祀することもできます。納骨壇の使用は年間10万円で、納骨壇を使用する年数✕10万円+50万円が納骨費用です。即合祀なら50万円、7回忌までなら110万円、33回忌までなら370万円という計算になります。(寛永寺2 へ続く)
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