2022年が過ぎようとしています。年齢に比例して加速度的に時間の経過が速くなり、あっという間の1年間でした。コロナ禍で仕事が激減して苦しい日々の中、夏頃には入院するやらしないやら、仕事と健康の充実度は低空飛行中です。さらにこれから増税とか、耐え切れず墜落しそうです。
さて、当ブログ的には、2022年は様々に頑張ったのではないかと思います。仕事がないので、寺社巡りや軽登山はお金のかからない良い時間の使い方だったように思います。ただ、なんとも浅はかで、もっとひとつひとつ深く体験し学ぶことができたはずだし、もっと読み物として楽しめるレポートが書けたはずとの後悔もあります。そんな2022年の当ブログ「寺社探訪」を制作する中で経験したことの中から、印象に残るベスト3を選んでみました。
第3位:終戦記念日の靖国神社
大袈裟な話をすると、第二次世界大戦を経験していなくても、日本人として生きていく人生の途中で、「この戦争とこの国」「この戦争とこの国の人々」「この戦争とこの私」という関わりについて、多かれ少なかれ、深かれ浅かれ、考えるときがやってくるのだと思います。人それぞれですが、私にもそのような時がありました。本を読んだり、映像を見たり、誰かの話を聞いたり、ネットで調べたり、戦争と日本を学び、現在の私に繋がるまで様々に思考を巡らせた私は、靖国神社に行き着きました。親族に戦争で亡くなった人がいるとは聞いていません。それでも戦争で亡くなった人たちが護ろうとした未来の日本で私は生きています。新興宗教の子どもだった私には多少の勇気と自己変革が必要でしたが、ひとつ踏み込んで、靖国神社の崇敬奉賛会に加入したのでした。
7月に行われている「みたままつり」には何度も行ったことがあって、当ブログでも去年訪れた様子をレポートしました。今年もみたままつりに行くつもりで、初めてシンボルでもある提灯を奉納をしました。ところが都合が合わずにみたままつりに行くことができず、それならばと8月15日の終戦記念日に参拝しに行こうと思い至りました。私のイメージでは終戦記念日の靖国神社は政治的・思想的な要素が強すぎて、戦没者を追悼することに「付随する何か」が気になってしまって、足が向きませんでした。みたままつりの方が平和的で良いかという感じ。
実際に訪れた感想としては、たしかに政治的・思想的要素は強いですが、猛暑の中列を成す人々の祈りは、それら要素とは関係のないところで、戦没者に向けられていると感じました。私はいつも「みたままつり」では昇殿参拝をしていたのですが、なんだかこの日は行列に並んでいる皆さんと一緒にお祈りしたいという気持ちが強かったです。行列に並んでいる途中で正午になり、隣の武道館で行われている戦没者追悼式典の音声に合わせてその場で黙祷しました。妙に心が深いところにあって、自分の心が追悼の気持で満たされていく感覚を覚えました。
第2位:高尾山の火渡り祭
お祭り好きで人生がお神輿やお囃子と共にあるような方はさておき、寺社で行われている様々な行事の中でも「火渡り祭」はかなり興味深い行事ではないでしょうか。火渡り祭に行った話を周囲にすると、「熱くないの?」「危険じゃないの?」と、普段はくだらない私の話にも結構食いついてくれました。
火渡りは13時からで、参加希望者には朝9時から整理券が配られていました。大胆に寝過ごした私が到着したのは12時半頃でしたが、まだ整理券が配られていました。「火渡りが始まっても1時間以上は待つことになりますよ」と言われましたが、せっかくなので参加することにしました。コロナの流行以来、比較的安全に屋外で過ごせる場所として、高尾山に都民が殺到しています。この日も大勢の観衆がいましたが、近くの方が全盛期に比べるとスカスカだと話していました。高尾山薬王院は真言宗智山派の寺院ですが、真言宗智山派の寺院は修験道との結びつきが深い宗派なので、高尾山以外にも多くの寺院で火渡りが行われます。当ブログでも川崎大師の火渡りをご紹介しています。そんな訳で実際に火が入るまで、様々な修験道の儀式が行われるのですが、魔を払うために矢を射たり、木を切り出すために斧を振ったり、かなり興味深く見学することができました。
実際の火渡りは予想通り、全く危険が無いように安全を確保した上で行われていています。火を渡る勇気など微塵も必要ないのですが、それでも穿った気持を捨てて真面目に参加すると、新鮮で心地よく、参加できて有り難いなぁという気持ちになれました。高尾山薬王院の新しい貫主様からお加持をしていただいたことも嬉しい経験でした。
第1位:多摩川最初の一滴
これまでの人生では、病気は治療すれば治るものでした。2021年の春先に近所のクリニックの先生が気付いてくれて、そこから病名がはっきりするまでの2ヶ月間、可能性という言葉付きですが、1・2年程で命が無くなるような病気の可能性を告げられていました。もうすぐこの世界に存在できなくなるかも、と考えた時に私の脳裏に閃いたことが、元気なうちに多摩川沿いを起点から終点まで歩いてみたいという変な願望でした。人はもっと大きな意義あることのために存在していて、存在が危うい時には、その大きな意義を具現化するようなことを望むのだと思っていました。
私の病気は治らないけど、すぐに命を無くすものではないと判明しました。それでも平均余命はぐっと短くなるようで、病気とうまく付き合っていかなくてはなりません。経過観察しながら何度か入院して、季節は秋になりました。そこで私は「もしも」の時に閃いた変な願望を叶えることにしました。その様子は当ブログの特別企画でレポートしていますので、よろしければご覧ください。羽田を出発点として、奥多摩湖をゴールにしました。正式には多摩川というのは奥多摩湖の出口が起点で、東京湾が終点です。川の流れのように下流へ向かうか、逆に遡上していくか、思案のしどころです。「海から〇〇km」というキロ杭が建っていることと、遡上する方が生命力を感じるということ、奥多摩湖のさらに上流へ遡ると多摩川源流とされる「水干」という場所があることのために、羽田空港から出発しました。
無事に奥多摩湖に到着して、それなりの達成感がありました。しかし、多摩川源流の水干には行っていません。季節は冬になり、私のような体力の無い素人が山に行くのは危険になりました。そして奥多摩湖からさらに奥へ遡上することは、日常生活に流されていきました。それでも宿題のように頭に残っていたことは事実で、いつかやる、と思いながら1年を過ごしました。そして、2022年の秋になって、ついに決行の時が来ました。電車もバスもないところを徒歩で繋ぎながら歩くのは難しいのと、歩道のない街道を歩くとドライバーの迷惑になるので、自家用車で笠取山登山口まで行きました。ここで妙なのは目的地が笠取山頂上ではなく、水干だということです。この傾斜( ↑ )を目の前にして、山頂に行くかどうか悩みました。山頂に行かずとも水干に行けば目的達成なのです。しかしながら、また宿題になってしまいそうで、ここまで来たのだから行ってしまおうと直登に挑戦しました。
すごい景色でした。山の地図には参考時間が書かれていますが、私はいつも遅いので参考時間を超過しながら歩いています。それでも1人なので誰かに迷惑かけることもなく、時間がかかってもいつか辿り着けることを経験しています。登山が苦手でも、こんな景色を見ることができるので、諦めず何でもやってみるとそれなりの結果が出るということですね。笠取山は人の手がきめ細やかに入れられている登山道があり、森の中なのに先々まで明るく見渡せて、広々とした道を歩けます。本当に快適で映画に登場しそうな森でした。そして山頂からはすごい景色を見ることができ、ぜひオススメしたい山です。
そして、1年越しの宿題となった水干に到着しました。土は乾き気味で、多摩川最初の一滴がポタッと落ちる様子は見れませんでしたが、ゴールに着いた感触を得ることができました。思い描いたことを完遂するというのも、久々の経験だったように思います。
2023年はすぐそこなのですが、特に何も予定や目標がありません。入っている予定は病院くらいで、2023年はこれまで2年間通った病院を移ることになっています。諸般の都合で大田区から目黒区の病院へ移ります。2023年の当ブログも、様々な挑戦と興味深い企画と楽しめる文章を心がけていきたいと思っています。きっと人生最速のスピードで過ぎてしまうであろう2023年を、何の準備もせず無防備に迎えようとしておりますが、とにかく年末まで閃きのまにまに、進んでいきたいと思います。
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