寺社探訪

寺社探訪とコラム

「お葬式と音楽」

農業関係の方から、のらぼう菜をいただきました。初めて聞く名前です。関東の春特有の野菜だそうで、栄養たっぷりでレシピも簡単なので食べてみてよとのこと。翌週私が入院するのを知って、体を気遣ってくれたようです。パスタに混ぜて食べましたが、とても美味しかったです。何より季節を感じられて嬉しかったです。

 

さて、先日仕事で携わったお葬式で、お囃子の生演奏がありました。若い人がやらなくなって廃れてしまうという話も聞く中、今回のお囃子連は本当に若い人が多くて、揃いのハッピを着た方々が式場ロビーに溢れていました。複数の式場がある市民斎場だったので、ロビーで演奏すると普段なら他の式場の迷惑になってしまうのですが、ワンデー葬儀が流行の昨今、たまたまこの日のお通夜はこの1件だけだったので、斎場の管理者から承諾を得て、ロビーでお囃子を披露していただきました。全館に響き渡る演奏で、僧侶の控室にもその音色が聞こえていました。司会の打ち合わせに伺うと、「これ、生演奏だよね?」と僧侶から聞かれました。たまたま他の式場の通夜がないことを伝えると、「これこそ、御縁というものだねえ」としみじみ聞き入っていました。法話は、檀家として寺を支え、神楽を奏じて神社を支えるというように、仏教と神道の両方を支える人には、神通力が宿ると昔の人は考えていたというお話でした。翌日の告別式では、お花入れの際に、お棺の蓋を開けた状態から出棺までの間、すぐそばでお囃子を演奏していただきました。駅前の商店街でお店を営んでいた故人に、僧侶が「お囃子の音を聞いていると、◯◯さんの顔や姿と一緒に、お店や商店街の町並みが思い出されました。◯◯さんはこの町の風景そのものだったなあと思いました」とおっしゃっていました。お囃子連の皆さんも涙を流しながらの演奏で、心に残る感動的な葬儀になりました。

結婚式のように、お葬式でも生演奏の演出をすることがありますが、お金を払ってプロ演奏家を入れて演出するよりも、御縁のあった方が演奏する方が強く印象に残るお葬式になります。ものすごく長い前置きでしたが、心に残るお葬式での音楽を3つ選んでお伝えいたします。

 

③ ジャズシンガー

とある無宗教葬儀の通夜の進行を担当したときのこと。関係者が思い出を語ることをメインにしたいという通夜式でした。順番に思い出を披露していただく予定でしたが、その中に故人の姪御さんがいて、その姪御さんが「amazing grace」を歌うことになっていました。その姪御さんは歌に関しては親族の誰もが認める存在のようでしたが、式場には備え付けの音響しかありません。一応、マイクを見せてみると、「ああ、マイクですか? 何でも良いです」と確認すらしませんでした。そこで私が「あーあー」とマイクを通してみて、こんなのですがと言うと、「あ、それで良いです」とのこと。

そして、伴奏のCD等もなく、アカペラで歌い出した「amazing grace」は、ひと声でタダ者ではないと感じる歌でした。後で調べてみると、アメリカの音楽学校で基礎から学んで、いくつかの賞を取っているジャズ界の新星で、アルバムも出しているプロのジャズシンガーでした。弘法筆を択ばずと言いますが、市民斎場のマイクで誰をも感嘆させる、凄い歌声を聞かせていただきました。

 

② 木遣

建築関係の事業を営んでいて、江戸消防睦に所属している方々、つまり鳶組合の方々の葬儀では、木遣が披露されることがあります。お祭りなどの伝統行事や各種団体の祝典などでも披露されることがありますね。小池都知事の最初の出陣式でも披露されていました。

葬儀では出棺の際に、昔ながらの鳶の格好に揃いのハッピを着た方々に棺を先導していただきながら、木遣を披露していただきます。私は司会をすることが多いので、「〇〇睦 第◯区 ◯番組の皆様にご先導いただきます」と紹介することが定番になっています。私は建築関係の家系でもなく、両親が新興宗教を信仰していて、伝統的な行事にほぼ触れないで生きてきました。それなのに、木遣を聞くと懐かしさと言うか、日本人としての遺伝子が揺さぶられるような気持ちになります。鳶組合の葬儀は、独特のしきたりがあって大変な部分もありますが、そんなしきたりを大切に守るお手伝いができて嬉しくも感じます。

 

津軽三味線

とある葬儀で、親族の方が故人に対して三味線の献奏を行うということがありました。予めその演奏者の方のプロフィールを拝見しましたが、複数の流派の名取になっているような方でした。私は人生で三味線の生演奏を聞くということが無かったので、三味線というと祇園の舞妓が踊る横で伴奏をしているようなイメージが強かったです。しかし、始まってみると、三味線って打楽器ではないかと思う程に、バンバンとバチの叩く音が響きます。その迫力は凄まじく、演奏されていたご本人の心が打ち叩かれているように感じました。そして叩かれた心が響き出し、だんだんと魂の演奏のようになっていきました。恐らくこの演奏者さんにとっても、辿り着けなかった新境地のような演奏になっているに違いなく、ド迫力で聞く者の心を直接揺さぶるほどに音が響き渡っていました。

演奏が終わると同時に、演奏者さんは両手で顔を覆い、その場で泣き崩れてしまいました。そりゃこんな凄い演奏をしたらこうなるでしょうと、私でも思いました。隣りにいた花屋さんや返礼品屋さんも魂を抜かれたように呆気にとられていました。後で演奏者さんと話す機会があり、皆口々に「凄かったです」と繰り返しました。まさに魂の演奏で、故人に対して湧き上がる感情の全てを、そのまま表現する技術を持っていたから、こんな凄い演奏になったのでしょう。

 

故人が好きだったCDを流して「音楽葬」というのも聞きますが、やはり生演奏は迫力があって心に残ります。CDと言えば、こんなことがありました。お母様の葬儀で喪主様から「このCD流しておいてください」と渡されたジャズのCDを流していました。どうも聞き覚えのある歌声だったので、「あの、この歌、喪主様ですか?」と聞くと、ニヤッと笑って「よくわかりましたね」とのこと。CDのタイトルは「Mother」でした。他にもバイオリンやピアノなどの生演奏や、海外留学中のお孫さんがオペラを歌う葬儀もありました。御詠歌にも亡き人を送るための追弔和讃があります。仏教だけでなく、キリスト教でも葬儀で賛美歌を歌います。きっと有史と変わらない大昔から、世界中で葬送と音楽は共にあったと思われます。大切な人を失って心揺さぶられる時、その心の揺らぎに音楽が染みやすくなるのでしょう。

 

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