神社や寺院への参拝について、私たちが気になるのは「通常は~」「正式な~」というものですよね? 葬儀業界で仕事をしていると、この部分をいかに人々が知らないかということと、知らないのにいかに人々が拘るかということがわかります。そして、実際にはその「通常は~」や「正式な~」がいかにいい加減であるかというのを学ぶことになります。
さて、新年になりました。残念ながら私の部屋には除夜の鐘は聞こえてきませんでした。今回も除夜の鐘は一般参加なしというのが多かったのでしょうか。私は年末は30日まで仕事をして、年始は4日からの稼働です。人々が揃って休む時に、割高な仕事を得てこそフリーランス。去年も一昨年も元旦からガツガツ働いていましたが、今年はひと休みです。
お正月に働かないのならと、初詣に行くことにしました。ところで、「正式な初詣」のお参りの仕方はご存知でしょうか? いつ、どこへお参りに行けば良いのか? どのようにお参りすればよいのか? 先述の通り、実際には「いかにいい加減であるか」というのが真実なら、どこへどんな風にお参りしてもOK、ということなのでしょうか?
混雑する場所が苦手なので、1月3日の午後を狙ってやってきました。それでもかなりの混雑ぶりです。さすが観光地ですね。人が映らないように写真を撮ると、天井の写真になってしまいます。
ところで「正式な初詣」は神社に行くのか? お寺に行くのか? どっちなのでしょう? 全国の初詣の参拝者数TOP3は、明治神宮、成田山新勝寺、川崎大師です。神社、寺、寺となっていて、今更正式にはこちらですと言われても困ります。なので、どっちでも良いといういい(良い)加減の答えでOKですね。
初詣の原型は「年籠り」という風習だそうです。大晦日から元旦にかけて家長(家系の代表者)がその土地の氏神様を祀った神社に集まり、夜通しで祈願したそうです。年籠りの最も古い文献は平安時代末期のものだそうですが、現代でも違和感ないですね。現代の神社や寺院には氏子や檀家の代表者会があって、その役員を務める人は、だいたい氏子地域・檀家地域の地主である〇〇家の当主や長老、いわゆる家長だったりします。総代さんたちが大晦日に集まる寺や神社は今でもあると思います。
年籠りという風習が、大晦日と新年のふたつの祈願(お参り)という意味合いになって、新年のお参りの要素のみが普及したのが、現代の初詣の形となっています。そうなると、神社に行くのが正式ではないか? と思うかも知れませんが、平安末期~鎌倉時代というのは、神仏習合真っ盛りの時代です。どちらか一方という答えは無くて、どっちでも良いというのが正解という訳です。ちなみに日本で最初の初詣とされているのは、鎌倉時代に源頼朝が鶴岡八幡宮を参拝したこととなっています。
ところで、明治神宮には氏子地域というのが無いので、氏神神社に参るのが「正式な初詣」なら、明治神宮はガラガラであるはず。また、江戸時代には縁起が重要視されていて、お参りをするのは、縁起の良い方角にある寺社で、その寺社の縁日に訪れるという「恵方詣り」をする習慣がありました。それが現代のような三が日に有名寺社へ出かけていく初詣になったのは、明治時代中期以降だそうです。
現代でも近所の氏神神社に初詣に行く方は多いと思いますが、明治時代中期以降、鉄道網の発達により、各鉄道会社が沿線にある寺社に初詣に行きましょうとキャンペーンを張ったことで、有名寺社に出かける風習が国民に浸透していったそうです。そう言えば、年末になると中吊り広告や駅のポスターに寺社の初詣のポスターを見かけますね。
この度訪れました高尾山薬王院は真言宗智山派の寺院で、京王線沿線の初詣スポットですが、山中にあるので初日の出とセットでお参りできるのが魅力です。今年はコロナウイルス蔓延防止のため、初日の出の時間は山頂が立入り禁止になっていたようですが。古き良き伝統と思っていた初詣が、明治中期以降と意外に新しい習慣で、しかも鉄道会社のキャンペーンで一般化したということは少々驚きですが、それでも初詣は素晴らしい習慣だと思います。
以前別のコラムに書きましたが、私の両親は新興宗教の信者で、私は18歳になるまで一般的な初詣に行ったことがありません。以前職場の方が、元旦は家族全員で家から歩いて大きな神社にお参りに行くというのを毎年やっているが、何歳まで子どもたちが付き合ってくれるか案じていると語っていました。薬王院にも家族連れがたくさんいました。大人になれば遠い昔の記憶になる今日の初詣が、この子たちの人生のどこかで蘇ってくるんだろうなと思うと、なかなか素敵なノスタルジーではないでしょうか。
30~40分くらい歩いて、景色の良い場所に辿り着きました。参道のお店も大繁盛で、焼き団子の香ばしい匂いやカレーライスの美味しそうな匂いが辺りに漂っていました。お昼の1時半頃だったと思いますが、下りのリフトやケーブルカーには大行列ができていました。とにかく混むと聞いていたので、日が暮れても帰れるように懐中電灯まで持参していました。高尾山薬王院の境内の堂宇や由緒については、個別にレポートしていますので目次からそちらを参照してください。
仁王門もお正月仕様になっていました。境内では丸い輪を潜って巨大な錫杖を叩くアトラクションが人気で行列ができていました。仁王門の前には警察車両が並んでいて、警視庁の山岳救助隊の車もありました。境内にも警察官が多くいて、特別な寺院なのだなと実感がありました。初詣では今年の祈願をするだけでなく、去年いただいたお守りや破魔矢を納めて、新しいものをいただくということをしますよね。破魔矢って神具というイメージですが、神社でも寺院でも扱っているんですね。前回私が訪れた際は入院の前日というタイミングで、護摩祈祷を受けました。「正式な~」はよくわからないのですが、その時の護摩符は「当病平癒」で、まだ加療中なのでとりあえず1年経つか治療が済むまでは家に置いておきます。
新春の護摩供を受ける方も多かったようですが、私は今回は本堂の外からお参りすることにしました。前回「当病平癒」のご祈祷をしていただいて、まだ平癒しておらず治療中なものですから、このタイミングで何を祈祷していただくべきかわかりませんでした。階段下の境内から行列に加わって、20分くらい並んで本堂までやってきました。本堂前には高ーいポールがあって「南無飯縄大権現」という垂幕が掛けられていました。神と仏、そもそも全く違うものを誰かが無理やり一緒にして、合体で威力アップしました的な信仰をしていたものを、明治政府が神は神、仏は仏と元に戻そうとしました。それでも令和の空にたなびく「飯縄大権現」。ちょうど最前列まで来たところで、例の法螺貝の音がブォーっと聞こえて、護摩供に向かう僧侶たちが行列を組んで本堂へ入っていきました。変わらない薬王院の営みに、心が澄んでいく気がします。
結局、護摩供も受けず破魔矢も御札もお守りも買わずに、本堂の賽銭箱にジャラ銭投げて祈願して、私の初詣は終わりです。ケーブルカーはそうでもなかったのですが、リフトは大行列でした。毎回歩くつもりで来る訳ではないのですが、何故かケーブルカーで登ったことがありません(下りたことは一度だけあります)。今回もなんとなく徒歩で下りました。澄んだ空気の中を歩いているのが心地よく、明日から下界で私が経験していく今年という日々が鬱陶しく感じられ、いつまでも高尾山を歩いていたい気分でした。
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