寺社探訪

寺社探訪とコラム

「ロスタイムは何分だ!?」

昨年11月の入院では、壁とカーテンに囲まれたベッドで悶々と生死について考えて、うっかり解脱しそうになりました。前回の入院は窓際のベッドで、気が紛れて良かったです。特に心が和む何かが見える訳でもないのですが、空が見えるだけでも気分が違います。

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入院初日、担当してくれた看護師さんが、やたらとお礼を言うのです。指を出してとか、腕を上げてとか、言われたらその通りにしますよね。その度に「ありがとうございます」とお礼を言われます。これはこの看護師さんが身に付けた処世術だと思いますが、「すみませんが、今から点滴させていただいていいですか?」とか、私のためにしてくれるのだから、私がお願いして私がお礼すべきです。こんなに下から接するように、いったい誰がしたんだと悲しい気持ちになります。入退院を何度もしているとよく見かけますが、消費者感覚で上から圧をかける患者がいかに多いかということですね。金払ってるから、金貰ってるからという考え方では通用しない世の中になっています。東京都では独自のカスハラ条例を制定する方針のようですが、看護師さんを守るためにも、是非早く施行してほしいと思いました。と同時に、自分が今よりもっともっと辛い病状になっても、看護師さんを傷つけない覚悟をしておかねばと思いました。

私にとって人生の一大事となる手術が4月に決まりました。大きな手術の前には患者側もいろいろ準備しなくてはならず、自分に合う保湿剤を使い慣れておくこと。肺を鍛える装置で呼吸のトレーニング(毎日90回)。歯磨きの回数を増やして口腔内を良い状態にしておくこと。など、宿題がいろいろ出ました。

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さて、先日訪問した寺院に「ぴんころ観音」という石像がありました。奥多摩の山中にもぴんぴんころり観音がありました( ↑ )。衆生に寄り添うお地蔵様にも、ぴんころ地蔵というのが各地にあります。「ぴんころ」というのは、ぴんぴんしていた人が突然ころりと死んでしまうことを意味しています。死ぬ直前まで健康体でありたいという願いと、長患いをして痛い辛い思いをすることなく死にたいという願いを持つ人が古今東西たくさんいるのだと思います。知人に聞くと、やはりピンコロしたい人が多くて、病気でボロボロになるのは嫌だと言う。若い人でもそうなのでしょうか。たぶん、若くて健康な人は具体的に考えもしないことだと思いますが。

私自身は「ピンコロ」は嫌だと思っています。「死ぬまでにしたい10のこと」という作品がありますが、私も余命を告げられるような病気の疑いが2ヶ月間ほど続いたことがあります。結局あらゆる検査をしてその疑いは無くなったのですが、そのあやふやな2カ月の間に、死ぬまでにしたいことを箇条書きにしました。10では足りませんでしたが・・・。ブログを始めたのも、多摩川沿いを歩いたことも、箇条書きにした中のひとつでした。コロナ禍で入場制限がある中、東京ドームに巨人阪神戦を観に行ったりもしました。

現在では病気を抱えていても、自分が近いうちに死ぬとは思ってないので、死ぬまでにしたいことだけを意識して生きている訳ではありません。かつて同じ病室になった患者さんが仰っていましたが、事故や災害、脳梗塞心筋梗塞で突然亡くなってしまう人も多い世の中、突然人生が終わるよりも、癌で余命を告げられる死に方は、その間にやりたいことややるべきことができるから、幸福な人生で、幸福な死に方だと思うと。私はまだ余命も告げられておらず、そんな覚悟もできていません。その考えに至るまでの葛藤も知らないので、わかったようなことは言えないけど、突然人生が終わるよりも、いつまでなのか知りたいと思います。それが幸福かは状況にもよるし、人それぞれ違うと思いますが、幸福だと感じられるような人間性を持って、できれば大きな感謝を感じながらこの世を去りたいです。

 

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