浄土宗 太宗寺 目次
名称・寺格
霞関山 本覚院 太宗寺と称する浄土宗の寺院です。寺格は特にありません。
創建
慶長元年(1596年)頃に、僧太宗が開いた太宗庵が前身であり、寛文8年(1668年)内藤家の帰依を受けて太宗寺として創建されました。
本尊
ご利益
境内に塩をかけると願いが叶う塩かけ地蔵が安置されています。
みどころ
都会の喧騒のど真ん中にあります。何かのついでに立ち寄って手を合わせると、特別な時間と空間が現れることでしょう。
アクセス
東京都新宿区新宿2-9-2
探訪レポート
このあたりは内藤新宿と呼ばれていましたが、内藤とは三河からの徳川家の家臣である内藤家のことです。高遠藩内藤氏の江戸屋敷があったので、菩提寺として太宗寺が誕生しました。新宿は新しい宿場町だから新宿です。江戸時代は日本橋から各方面に街道が通っていて、主要な街道のひとつ、甲州街道の最初の宿場町が高井戸宿でした。高井戸では少し遠いので、青梅街道との分岐点に当たる地が新しい宿場町として開設され、新宿となりました。
江戸から伸びる主要街道の入口に、それぞれ地蔵菩薩が安置されて江戸六地蔵として信仰されていました。江戸の主要街道と江戸六地蔵については、近いうちに特別企画で掘り下げたいと思います。江戸六地蔵のひとつとして、太宗寺には銅造地蔵菩薩坐像が鎮座されています。2m67cmありますが、これでも六地蔵の中では一番小ぶりなのだそうです。お地蔵様というと赤い頭巾なのですが、帽子をかぶっているのがいい味を出しています。
こちらは閻魔堂です。中には東京都内で最大のド迫力の閻魔様と脱衣婆がご安置されていますが、真っ暗でよく見えませんでした。後日知人から教えていただいた話によると、ボタンがあって、押すと電気がついて中が見えるそうです。同時に閻魔大王が話し出す仕組みになっているらしく、安易に押して辱めを受けなくて良かったと思っています。これは九品仏の焔魔堂と似たパターンですね。(* 更に後日訪れた際に、思い切ってボタンを押したら、電気は点きましたが、お説教はありませんでした)江戸時代の宿場町は今で言うフーゾク街のような感じで、色街としても賑わっていました。太宗寺の閻魔様や脱衣婆は、新宿で働く飯盛女(女郎)たちの心の拠り所として信仰されたそうです。しかし、結局幕府は風紀を取り締まるために1度新宿を廃止しています。
稲荷社かあります。最初から境内にあったのか、どこかからやってきたのかわかりませんが、場所柄、たくさんの方が祈りを捧げできたのだと思います。
こちらは塩かけ地蔵です。以前訪問した両国の回向院にも塩地蔵がいらっしゃいましたが、こちらの方が強烈です。お地蔵様が見えないくらいに塩まみれになっていました。仏事で塩を使うことがありますが、そもそもは神道の風習だと聞いています。神道には死を忌み嫌う死穢思考があり、穢れを祓う手段に塩が用いられています。それが仏教の領域に及んでいるだけだと思うのですが、こんなに塩をモリモリにするのはどういう理由なんでしょう。
太宗寺の前の通りは不動通りというのですが、おそらくこの不動堂に安置された不動明王像にちなんでのことかなと思います。浄土宗の寺院に不動尊はなかなか珍しい気がします。というのも、こちらの不動尊はそもそもは高尾山薬王院に奉納されるべきものだったのだそうです。移動の途中で太宗寺に休憩に寄ったところ、頑として動かなくなったという、散歩中の犬みたいな理由でこの太宗寺にご安置しています。額に銀製の三日月があるので、三日月不動尊と呼ばれています。
本堂はこのようなモダンな建物です。私が訪れている間、若いカップルが一組と、中年女性の一団が一組、諸堂に手を合わせていました。江戸時代に宿場町として栄えた新宿は、今やこの国の繁栄の象徴のような街となっています。特にこのあたりはゲイやレズビアンなどLGBTの先端を行く街として有名です。新宿の歴史を辿ることのできる場所として、これからも人々が訪れる寺院でありますように。
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