寺社探訪

寺社探訪とコラム

「荒川 百所巡礼 7」

目次

土手からは荒川がほぼ見えない

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ということで、取水堰があったので、土手を降りて荒川に近づいてみました。ここは秋ヶ瀬取水堰です。取水堰は主要河川から近隣の地域に向かって農業用水などの水を取り込む水路を作って、水路に送る水量を貯めるために川の流れを堰き止めるものです。いわゆる、ダムのミニマム版です。この秋ヶ瀬取水堰は農業用ではなく、東京都が高度経済成長期に人口集中のために深刻な水不足になった際に、荒川の外側の利根川から荒川に水を引き、その利根川+荒川の水を取り込んで朝霞浄水場へ送るための取水堰なのです。つまり、都民の飲水や工業用水として利用されています。

 

荒川百所巡礼 第33番:庚申塔

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秋ヶ瀬取水堰のすぐそばに、庚申塔がありました。青面金剛の石像と、地蔵菩薩っぽい石仏が並んでいます。何だか無造作ですが、とりあえず花やら水やらをお供えしようとしている気持ちは伝わります。賽銭箱まで置いてありますが、誰かが管理しているのでしょうか。

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こちらは宗岡取水口と称するもので、秋ヶ瀬取水堰によって堰き止められた荒川の水を、朝霞浄水場へ送るための水門です。朝霞浄水場だけで、東京都水道局の全浄水場の施設能力の1/4もあるそうで、ここで取り込まれた水が、東京の上水道を通って我々に届けられているのですね。

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誰に頼まれた訳でもなく、何かが手に入る訳でもないのに、人里離れた土手をひたすら歩いていると、時間という宝物を無駄に浪費している気分になったりします。そんな時にこんな( ↑ )美しい景色を見ると、なになに、このためにここに来たのです、と気分が上がります。紅葉を見て高揚する訳です。失礼しました。もう言いません。

 

荒川百所巡礼 第34番:菖蒲沼の馬頭観音

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何やら重要文化遺産的なものがあることを思わせる立札と杭と看板です。志木市の指定文化財と書かれています。ちなみにその重要文化遺産的なものは、既に見えていて、右側の藪の中に薄っすら見えます。

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回り込んでみると、三面六臂馬頭観音でした。説明書きを読みますと、前回のブログで私が馬頭観音について解説した話が、浅はかな知識として浮き彫りにされてしまいました。馬頭観音は馬の供養のために建立されたと私は書きましたが、馬や牛などの家畜の守護仏として、墓標のように建立されたのは新しい時代の話で、そもそもは畜生道に落ちた人々の救済のために建立されていたのだそうです。この三面六臂馬頭観音も、馬の供養ではなく、宗岡村の念仏講の主導として天和3年(1683年)に建立されたそうです。

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土手上に戻ってきました。いくつになっても勉強ですね。土手上の道と同じで、果てしなく続く道という感じです。街とかビルとか見えませんね。では、歩きましょうか。

宗岡村の富士塚ふたつ

荒川百所巡礼 第35番:産財氷川神社

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またも氷川神社です。こちらは中宗岡にあるから別名「中ノ氷川神社」と称するそうで、上宗岡と下宗岡にもそれぞれ氷川神社があるそうです。説明書きによりますと、永享年間(1429-41年)の創建だそうです。宗岡村の鎮守として、村社に列格していたそうです。

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一応境内社も整えられていますが……

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仏頭らしきものが見えます。真ん中の小さな祠には甲子と刻まれた石塔が立てかけられていました。甲子(きのえね)は十干と十二支で構成される干支(えと)の読み名です。当ブログでよく訪れる庚申塔も庚申(かのえさる)という干支のことです。十干の最初の甲と、十二支の最初の子(ね)の組み合わせです。十干と十二支が1年ごと(1日ごと)にそれぞれ進むので、組み合わせは最小公倍数の60通りです。ちなみに来年(2024年)は甲辰(きのえたつ)です。

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本殿は厳重に覆われています。明治14年1881年)に完成したものだそうです。パッと見ただけでタダモノではないとわかりますが、彫刻や建築手法が類例のない見事なものなのだそうで、志木市文化財に指定されています。

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立派な富士塚です。松が良い味を出しています。富士塚といえば本家富士山に鎮座する浅間神社なのですが、こたらは御嶽神社だそうです。それだと御嶽塚じゃないのか? と屁理屈を行ってみますが、そもそも富士塚にはいろんな神様の石碑などがごちゃごちゃに埋め込まれているものです。こちらの富士塚は登れそうですが、立入禁止です。

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河川敷にしては立派な人工芝のグラウンドです。ここはNTT東日本のグラウンドで、隣には大宮アルディージャの芝グラウンドもあります。グラウンドの奥に畑があって、畑の奥にソフトボール場があって、その奥に荒川が流れています。河川敷広すぎでしょ。写真の奥に見えているのが羽根倉橋で、国道463号線が通っています。

 

荒川百所巡礼 第36番:羽根倉浅間神社

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産財氷川神社富士塚なんだか御嶽塚なんだか有耶無耶な状況を煽るように、上宗岡に入ると浅間神社が登場しました。しかも境内には正式な田舎の神社の象徴、児童公園もあります。創建は建久4年(1193年)に、源頼朝が富士の裾野で巻狩りをして、なぜか宗岡の里人が多数招集されたのだそうです。その見返りに年貢が免除になったので、記念に富士浅間神社を祀ったのが始まりとのこと。荒川に近く、洪水の影響を受けて移転を繰り返し、他の神社を合祀しつつ、現在も浅間神社として存在しています。

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そして、志木市文化財に指定されている富士塚もあります。完全に煽ってますね。明治5年に造られたものですが、当初は10mの高さだったそうです。移転を繰り返す間に5mになりましたが、神社の移転の度に富士塚も移してきたのは素晴らしい信仰心です。

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境内には仏像もあり、その右側には庚申塔もあります。神仏習合で信仰の名のもとに引き受けまくっていたのですね。

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こちらの石碑には成田山と書かれています。静岡県から千葉県まで、守備範囲も広いです。他に境内社もあり、ポテンシャルの高い浅間神社でした。

志木市富士見市さいたま市西区

荒川百所巡礼 第37番:川砂稲荷

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個人宅の一角を境内地にしています。こういうのは税金対策になるとかで、自分の土地の一角を削る感じで神社をお祀りしているのをよく見かけます。ただ、この場所で税金対策も何も無いとは思います。ここから富士見市に入っています。

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荒川は河川敷が広すぎて感覚が掴めませんが、こうしてみると川幅がかなり狭くなっていますね。川は河口に向かって川幅が広くなるので、もう上流に差し掛かっているということでしょう。川幅が狭くなると、次には水の流れに侵食された大岩が重なり合う渓谷のようになって来るのですが、その気配はまだまだありません。

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こちらが土手の町側の風景です。荒川側の風景と見分けつきませんね。町なんてありません。私は帰りのことなど心配せずに、陽が落ちるまで歩けばいいやと思っていますが、流石にこの風景では不安な気持ちが湧いてきます。

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こちらは南畑排水機場です。新河岸川の増水時に、新河岸川から荒川に放水する施設です。前回通過した朝霞水門とこの南畑排水機場で、新河岸川の水量を調整して洪水に備えています。

 

荒川百所巡礼 第38番:榎稲荷

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稲荷社がまた攻勢をかけてきました。ここからさいたま市西区に入りました。真新しい稲荷社です。近頃改修されたのでしょうね。榎の木のそばにあるから榎稲荷なのでしょう。石碑には稲荷大明神と刻まれています。新しそうな石碑なのですが、わざわざ神仏習合の明神にする理由があるのでしょうね。

 

荒川百所巡礼 第39番:八雲神社

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畑9割、民家1割のような土地を歩いていると、浮きまくって仕方ありません。あまり気にしていないように振る舞いますが、内心ドキドキします。さて、アルミサッシが特徴的な神社です。八雲神社とは珍しいです。氷川神社と稲荷神社の覇権争いに無関係に見えますが、牛頭天王スサノオを祀る神社同士なので、きっと氷川神社の味方です。

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小さな神社ですがちゃんとした歴史が石碑に刻まれていました。寛政年間に当地で疫病が流行り、村長が牛頭天王社を勧請したというのが始まりです。蘇民将来伝説の祇園信仰ですね。荒川の改修やら町の境界整備やらに翻弄されつつも、信仰を守ってきた方々によって、このように社殿が造られたとのことです。

 

スポーツの秋と正式な田舎の神社

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防風樹のように木々が並んで植えられていて、秋の色に彩られて綺麗ですね。このあたりは右岸も左岸もゴルフ場で、左岸には大宮けんぽグラウンドがあります。大宮けんぽグラウンドはサッカー、ラグビー、野球、テニスのグラウンドがとにかくたくさん密集しているエリアです。かつて私も、大宮けんぽグラウンドで行われた草テニス大会に出場したことがあります。
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さて、囲んでいる意味があるのか無いのかもわからない杭がありました。これはきっと海からのキロ杭と思われますが、何kmなのか全くわかりませんでした。

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見えているのは治水橋です。川が全く見えません。治水橋は河口から42kmとのことなので、先程の杭は40kmかもしれません。土手の左側には先ほどの南畑排水機場に向かうびん沼川が流れています。びん沼川はそもそも荒川の流路だったそうですが、荒川の直線化工事のために旧河川となり、下流部の南畑排水機場の手前にびん沼調整池が整備されています。そのあたりが関東一のヘラブナ釣りの聖地になっているそうです。

 

荒川百所巡礼 第40番:稲荷大明神

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畑の一角に造られた祠です。立派な鳥居があって、正一位稲荷大明神と書かれた扁額が掲げられています。正一位というのは、人や神に位を付けて階級を示すためのものです。正一位は最高ランクで、伏見稲荷大社正一位に叙されていることから、伏見稲荷大社から勧請した稲荷神社は、正統な稲荷社であることを示すために、正一位と付けることがあるのです。

 

荒川百所巡礼 第41番:稲荷社

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こちらは湯木町の自治会館と同じ敷地にあります。児童公園もありますので、正式な田舎の神社の姿を表現しています。赤い祠の左側には稲荷社建設の記念碑が建てられていました。

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同じ敷地に庚申塔が屋根付きで置かれています。右が青面金剛庚申塔で、下に三猿も刻まれています。左は何だかわかりませんが石仏が彫られています。おそらく季節の節目などに行われる行事には、自治会館に沢山の人が集まって、児童公園には子どもたちの騒ぐ声が響き、賑やかで特別な時間になるのでしょう。誰もいない広場に人々の喧騒を思い浮かべて、ほっこり気分になっている自分を気味悪く感じました。

 

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