JR青梅線御嶽駅から御嶽渓谷へ向かいます。朝の気持ち良い空気を吸って渓谷沿いの遊歩道を進みます。午前10時半過ぎですが、水と岩が生み出す絶景が素晴らしく、空気が冷たくて心地良いです。
橋を渡って吉野街道を歩くとほどなく、武蔵御嶽神社の一之鳥居が現れます。この一之鳥居は新しいもので、「旧一之鳥居」というものが、まだ存在しています。今も行けるのかどうかわかりませんが、山の中の使われていない古い道に、朽ち果てる運命をじっと過ごす鳥居が存在しています。ノスタルジーの極みですので、興味がある方は自己責任で訪れてみてください。
武蔵御嶽神社へのアクセスは、御嶽駅からバスが走っていますので、通常ならバスを利用するのが賢明です。今回のように歩くこともできますが、道中に何があるという訳でもなく、結構急で退屈な上り坂となっており、歩いている人はほとんどいません。
徒歩で向かう場合の立ち止まりポイントは、先程の一之鳥居と、いくつかある朱塗りの欄干の橋と小川、そして逆光で見にくいですが、( ↑ )こちらの祖霊舎です。祖霊舎の奥に墓地があります。歩くことが好きというのでもなければ、バスの窓から眺めることで済まして、ケーブルの滝本駅駅までワープした方が良いです。
ケーブルカー滝本駅に到着しました。付近にいくつか神社があります。パーキングも大小いくつかありますので、乗用車でここまで来ることもできます。ただ、紅葉のピーク時などは、混雑すると思います。
武蔵御嶽神社へ向かうケーブルカーは、関東最大の急勾配で、結構スリルがあります。京王電鉄が運営しているのですが、平均22度、最大25度あるそうです。このケーブルカーを利用すれば、一気に山頂近い標高まで上がることができます。
ケーブルカー「滝本駅」前に二之鳥居が建っています。ここでケーブルカーを選択するか、徒歩を選択するかで、体力と時間に大きな差が発生します。後悔している少し先の未来を頭に思い描きつつ、勢いで鳥居を潜って歩き始めます。意外にも徒歩を選択する方がそれなりにいて、前回の青渭神社のように人類皆無状態の山登りではない感じです。鳥居のすぐ後ろには大きな杉の木が建っています。
山道は舗装されていて、勾配以外の問題はなく安全に歩けます。歩き始めは勾配がきつくて、慣れるまでしんどいです。ケーブルカーの山上駅から武蔵御嶽神社までの間には集落があって、生活している人々がいらっしゃいます。宿坊がたくさんあって、まるでマチュ・ピチュのような町並みは、天空の宿坊と呼ばれています。山上に生活圏がありますから、この舗装された急な坂を結構な数の車が上がっていきます。広い道ではないので、四駆の軽バンや軽トラが多いです。私はフリーランス配達員の仕事をしているので、こんな厳しい坂の上まで、何度も切り返ししながら登っていく配達員さんには無条件でひれ伏してしまいます。
心を折る看板が、前回に引き続き、御岳山にも立っていました。この看板を通過する少し前、アプリで現在地を確認していたら、「もう、半分過ぎてるでしよ?」と、年配の方に声をかけられました。「もうすぐで半分です」と答えましたが、おじさんはこの看板を見て「まじなのかよ」とWショックを受けたことでしょう。
現在は舗装整備されて歩きやすい道ですが、かつてはもっと厳しい登山だったはずです。山でよく見かけることですが、登山道の所々に特徴的な名称がつけられています。こちら( ↑ )は、「おおまがり」というそうです。こういうのを辿りながら登ると、キツさも和らぎますね。
ケーブルカーと交差します。それにしても急勾配です。武蔵御嶽神社はお犬様をお祀りしていますので、このケーブルカーは愛犬と一緒に乗ることができます。私はひとり暮らしで叶いませんでしたが、一生に一度は犬を飼ってみたかったです。とても残念です。
「だんごどう」という看板とお堂のある休憩ポイントに到着しました。武蔵御嶽神社の創建は紀元前と伝えられています。神社に仕える神職さんたちが営む宿坊に泊まって、これまでに多くの方が御岳山に登ってお参りしたことでしょう。その方々の登山の安全を見守ってきたお堂なのかなと思います。中に安置されているのはお地蔵様のように見えます。このような山と共にあるような寺社は、仏教+神道+修験道という神仏習合の歴史を持つことが多く、この御嶽神社も、神仏習合の蔵王権現を祀っています。
木漏れ日が神々しいです。季節は冬なので、空気が冷たくて心地良いです。この辺りには他の神社なら御神木として祀られていそうな、立派な木がいくつも立ち並んでいました。
左側がケーブルカーの山上駅からやって来た道、右側が私が登ってきた道。ここで合流し、天空の宿坊集落へ向かいます。
宿坊自体が文化遺産のような素晴らしい町並みです。山の神社あるあるですが、御岳詣でとして何度も訪れた団体(講)が、節目の記念に記念碑を立てています。この数と範囲が半端なく、関東一円から御岳山へお参りに来ていたことがわかります。
ケーブルカーで登った方は、おそらくこの道を長く感じることでしょう。ケーブルカーを利用しても、山上駅から御嶽神社までは30分ほど歩くことになり、急な坂道もあります。
宿坊エリアを過ぎると、食堂やお土産屋さんのあるエリアに着きました。丼ものや蕎麦など、定番のメニューが見えました。コロナ禍で厳しいと思いますが、頑張っていただきたいと思います。
手水舎にたどり着きました。ここからはいよいよ武蔵御嶽神社の神域に入ります。武蔵御嶽神社の探訪は、個別に掲載していますので、是非そちらもご覧ください。今回はさらっと境内社などをご紹介しますね。
こちらは疱瘡社です。お祀りされている御祭神は山末大主神(やますえのおおぬしのかみ)です。疱瘡というのは天然痘のことですが、恐ろしすぎて神様にして鎮めようとしたのですね。
本殿までは常に坂になっていて、階段を上がって進みます。このエリアはたくさんの灯籠が奉納されています。
随神門です。とても立派な門で、色合いも渋く格好良いです。
三柱社(みはしらしゃ)にお祀りされている御祭神は大歳神(おおとしのかみ)、御歳神(みとしのかみ)、大山咋神(おおやまくいのかみ)です。御歳神と大山咋神は共に大歳神の子ですが、母が違います。大歳神は素戔嗚命の子で、大歳神と御歳神は豊作の神です。大山咋神は山の神です。
階段の両側には、参拝記念の石碑がたくさんあります。階段両端のチェーンが張られている支柱も寄進された方の名前が刻まれているのですが、本殿にたどり着く最後の方は、なぜか各地の農協の名前がズラリと並んでいました。農協も地域密着団体ですけど、武蔵御嶽神社は関東一円の農協と密接な関係にあるのですね。
拝殿に到着しました。まずはお参りをします。平日だったので空いていて人はまばらです。武蔵御嶽神社の公式HPからライブカメラの映像か見られます。本当に天空の社という美しいロケーションで、混雑具合などもわかりますので便利ですよ。
色鮮やかで美しい御嶽神社の拝殿は、元禄13年(1700年)に徳川五代綱吉の命によって再建され、そこから修復しつつ現在に至ります。
こちらは宝物殿で、空いている日時が決まっているので、見学する場合は事前に確認した方が良いです。宝物殿の前の広場で持参したおにぎりとお茶をいただきました。標高が高く視界が開けているので、コンビニのおにぎりですが手作りの握り飯のような美味しさを感じます。
拝殿の横、本殿のある場所はもう一段高いのですが、そこは犬を連れて上がれないようになっていました。お犬様=大口真神様はもっと奥にあるので、犬のご祈祷はこの遥拝所で行うそうです。
こちらは御嶽神社の本殿前にいらっしゃる犬です。日本神話に出てくる日本武尊の東征の際に、白狼が日本武尊の道案内をしたという言い伝えがあって、奥多摩や秩父の神社では眷属がニホンオオカミであることが多いです。この写真( ↑ )はオオカミというよりはワンちゃんですが。
本殿にお祀りされている神様は、櫛麻智命(くしまちのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)少彦名命(すくなひこなのみこと)・日本武尊(やまとたけるのみこと)・広國押武金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)です。櫛麻智命は太占(ふとまに)を司る神で、中臣氏の祖神とされる神です。大巳貴命(=大国主命)と少彦名命は、国土運営に功績を残した神としてセットで祀られることが多いです。日本武尊は景行天皇の御子で、西へ東へ派遣され、大和政権の支配を広げていった神です。特に東征の際のルートとして、奥多摩や秩父では日本武尊に縁の深い地が多くあります。広國押武金日命は、この御嶽神社では蔵王権現と同一の神格としてお祀りしています。
明治時代までの武蔵御嶽神社は、神仏習合の蔵王権現を祀っていた「御嶽大権現」という名称でした。今でも本殿の内陣に蔵王権現像が秘仏として安置されています。この柱を触ると、蔵王権現のご利益を賜ることができるというものです。
二柱社です。伊邪那藝命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が祀られています。国産み神産み神話で有名な生命の祖神です。
八柱社です。なんだか神様の長屋のようになっています。お祀りされている社名と御祭神をご紹介します。八幡社(品陀和気命(応神天皇))・八雲社(素戔嗚命)・月乃社(月夜見神)・八神社(高御産日神・神産日神・生産日神・五積産日神・足産日神・大宮賣神・御食津神・事代主神)・春日社(武御雷之男神・天児屋根命)・こかひ社(保食神)・ゐがずり社(生井神・福井神・綱長井神・波比祗神・阿須波神)・國造社(天穂日命・天夷鳥命・天太玉命)
左側が神明社です。伊勢神宮の御祭神(天照皇大神・豊受比賣神)を祀っています。右側が常磐堅磐社(ときはかきはしゃ)と言い、元々は本殿として使われていたものです。豪快にも全国一之宮の御祭神八十七柱をお祀りしています。真ん中奥が大口真神社です。日本武尊は、案内役となった白狼に、この山に大口真神として留まり、全ての魔物を退治せよと命じたとされています。先程遥拝所があった「お犬様」がこちらです。
こちらは北野社で、菅原道真をお祀りしています。
この坂の下の広場は、太占(ふとまに)祭場といいます。本殿の御祭神である櫛麻智命は太占を司る神です。太占とは、動物(鹿の肩甲骨)の骨を火で焼き、割れ具合から農作物の豊凶を占うのだそうです。現在でも非公開で執り行われている儀式で、非公開ですがお告げの結果を知ることはできます。
こちらは奥宮の遥拝所です。実際に奥宮まで行かなくても、ここから遥拝することができます。
中央に見えるきれいな三角の山の頂上に奥宮があります。広くはない境内ですが、まだまだ境内社がたくさんあります。今回は奥宮まで行くつもりでしたが、遥拝所から眺めると、私にはずいぶん遠くて高い山のように見えて、ここで遥拝して帰るというのもアリではないかと思い始めました。
という訳で、奥宮に向かいましょう。ここからは舗装されていない山道になります。武蔵御嶽神社から奥の山々は、様々なルートで結べるハイキングエリアのようになっていて、沢山の方々が山歩きを楽しんでいるようでした。
天狗岩、ロックガーデン、大岳山など、いろんなハイキングコースがあります。
こちらが奥の院へ向かう分岐ルートの入り口に立っている「天狗の腰掛け杉」です。確かに天狗が座っていそうな形状をしています。横には鳥居があって、ここからは道も険しくなっていきます。
こんな感じで、整備された登山道から一気に雰囲気が変わります。
こちらは途中にありました石というか岩というか。丸い鏡も置かれていますね。橘姫命と書かれていました。これは日本武尊の妃である弟橘姫のことだと思います。日本武尊が東征で東京湾を渡る際に海が荒れて、弟橘姫が入水して荒ぶる海を鎮めたとされています。日本武尊が大和国へ帰る際に、東京湾を振り返り「我が妻よ」と言ったことからその地を「あづま」と呼ぶようになったという伝承です。さて、なんだか疲れてきていて、ここが奥の院で良いんじゃないの? なんて心の病にかかり始めていました。
木の根がむき出しになっていて、結構歩きづらかったです。勾配はそこまでキツくなくて、バテる程ではありませんでしたが、何しろ体力がありませんから、着実に無理をしないように歩くようにしました。
鎖場もありますが、奥の院ルートは全体的にそこまで危険な感じはしなかったです。帰りに天狗の腰掛け杉のところで、年配者のパーティに鎖場の様子や、全体のキツさや所要時間を聞かれました。山に慣れている方々であれば、ゆっくり着実に歩けば、年配者でも登れるような感じは受けました。というか、私は30代の頃に北岳を登山中にバテてフラフラになり、通りがかった75歳の老女に「だらしない!」と説教された身なので、私が行ければ大抵の人は行けそうですけど。
朱色の社が目に鮮やかです。こちらは男具那社(おぐなしゃ)という摂社です。日本武尊をお祀りしているそうです。日本武尊がこの奥の院に武具を収めたことから「武蔵」という地名になり、この山を甲羅山(高良山)と呼んだという伝説があります。武蔵の地名由来については、この手の説がそこかしこに溢れていますが、おそらく武蔵の地は漢字が伝わる前から「ムサシ」「ムサ」的な地名だったと思います。
男具那社の横にあった石碑です。判読不能な状態でしたが、「男具那社から山頂まではすぐですよ」と読み取りました。ここからは傾斜がきつかったですが、一気に登りました。
木々があって視界がそれほど開けないので、山頂という感じはしませんでしたが、とにかく到着しました。この石でできた小さな祠が奥の院ということでしょう。
奥の院峰(1077m)という名称だそうです。
山頂のしるしらしきものもありました。
先日のコラムに「縄文時代の神」というのを書いたのですが、大昔の信仰を考えると、この山自体が神聖なもので、そこに神の拠点のような建物は必要なかったのだと思います。小さな祠があるだけで他にな何もない奥の院は、長居するには退屈な場所ですが、少し腰を下ろして休憩して過ごしました。まだ病気の方が経過観察中で不安もありましたが、ケーブルカーを使わずに奥の院まで来ることができました。
帰りは来た道を引き返しただけなのですが、着た時には気づかなかったこんな( ↑ )記念碑がありました。長谷川恒男さんは、私でも名を聞いたことがある超一流の登山家ですね。東京都内にあって昔から人々が登ってきたこの御岳山とその奥に広がるエリアは、山登りを趣味にして楽しんでいる人々と、超一流の登山家たちの接点みたいな場所なのかなと思いました。武蔵御嶽神社から一歩奥に踏み込んで奥の院まで登ってきた私に、長谷川恒男さんが「良かっただろ?」と言っているように感じました。
疲れたので、帰りはケーブルカーを利用します。前述した往路で通った登山道とケーブルカーからの道の分岐点を、今度はケーブルカーの方へ向かって歩きます。するとそこにあったのが三之鳥居です。一之鳥居や二之鳥居に比べると小ぶりです。
ケーブルカーの駅に着くとと田部井淳子さんの記念プレートがありました。こんな世界的な登山家とも御岳山は縁が深いのですね。ケーブルカーの瀧本駅からJR御嶽駅まではバスを利用しました。第1回で登った惣岳山よりはボリュームのある登山でしたが、やはり今回も初心者レベルです。私が登れる山はこの程度だと思いますが、また違う山にも挑戦していきたいと思います。
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