田無神社 目次
名称・旧社格
田無神社と称します。旧社格は村社です。
創建
正応年間(1288-1293年)、現在地より1kmほど北の谷戸の宮山というところに「尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)」として鎮座していました。江戸時代に宮山から田無に分祀された後、本宮も田無に遷座しました。明治時代に田無神社に改称します。
御祭神
大国主命(おおくにぬしのみこと) 級津彦命(しなつひこのみこと) 級戸辺命(しなとべのみこと)
御神徳
厄除けの他、五龍神方位除など、五龍信仰による祈願などを受けられます。地域の氏神として人生儀礼や各種御祈祷に対応しています。
みどころ
東京都の文化財に指定されている拝殿・本殿の彫刻が素晴らしいです。「開かれた神社」を自称していて、市民が参加するイベントも多く、立地も良いので境内が賑わっています。境内に点在する五龍を巡りながら、自然と信仰に触れられる神社です。
アクセス
東京都西東京市田無町3-7-4
西武新宿線「田無」徒歩6分
探訪レポート
細長い境内です。五つの龍が境内に点在していて、それらを見つけてお参りして回るという楽しみもあります。これは古代中国の五行思想に基づいていています。万物は火、水、木、金、土の五元素から成り立っていて、影響を与え合い、変化し、循環するという思想ですが、これに十二支などの暦、九星や方位などを陰陽道のように組み合わせて生滅盛衰の理を読むというような、占いやら信仰やらが混ざりあった不思議パワースポット感が神社に漂っています。そもそもこの神社は神仏習合の尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)として創建されたので、神道、仏教、陰陽道、場合によっては修験道なども混在する信仰があったのかもしれません。
境内を南北に貫く通りに面した白龍神です。五行思想では秋を象徴する西方の守護神だそうです。秋は収穫に季節なので、金運や飲食、良縁成就のご利益があるそうです。この手前を右に入り込んだ場所に赤龍神がご安置されています。こちらは夏を象徴する南方の守護神だそうで、学業成就、勝負運、出世運などのご神徳があるそうです。
こちらは道祖神です。道祖神というのは神様なのですが、日本神話の神様というよりは民間信仰に近い感じで、庚申塔と似たジャンルのものだと把握しております。集落の入口や辻に建立して、目印となると共に、邪なるものの侵入を防ぐ目的があるもの。それでも日本神話の神様と習合してしまうので、庚申塔でもおなじみの岐の神様である猿田彦命と、妻である天宇受売命の二神を男女一対の形でお祀りして、良縁成就、子孫繁栄などのご神徳があるとされています。他にも文字だけの石碑とか、庚申塔のようにいろんなパターンがあるのですが、この田無神社にお祀りされているのは、男女一対の石碑の道祖神です。
「開かれた神社」というのが田無神社のコンセプトのようです。地域社会との繋がりを大切にして、様々な発信を行っていくという意味のようです。FM西東京というローカルラジオ局で「田無神社ラジオ」という番組を提供していて、宮司自ら出演してゲストを迎えてのトーク番組を放送しているそうです。
こちらが参集殿なのですが、何やら仰々しい感じがします。調べてみると、この参集殿は国の文化財に指定されているそうです。昭和10年に、旧宮家の北白川宮家の御用邸を建設した端材を使って建てられたものだそうです。端材というところが、なんとも言えない苦笑いを生み出します。それでも中に飾られている歴代宮司の肖像が不思議な説得力を与える建物でした。
この日は境内でイベントが行われていたからか、手水舎は花できれいに飾られていました。こちらは水道水ではなく、地下から汲み上げられた御神水だそうです。中央に白龍が祀られています。このあたりでふと思いましたが、おそらく鎌倉時代~江戸時代も五龍信仰があったのだと思いますが、このように龍を全面に押し出して神社のあちこちに祀りまくったのは最近のことなのでしょう。どの龍も新しそうできれいです。
こちらは龍神池と称します。水生植物が繁る、湧き水を使ったビオトープになっていて、メダカを飼育しているようです。橋がかかっていますが、渡れないようになっています。
神輿庫には写真( ↑ )のような獅子頭の神輿が二基(一対)と、中央に本社神輿が並んでいます。中央の本社神輿は、例大祭に氏子地域を渡御するそうです。両端の獅子頭は雨乞いにご神徳があるとされています。江戸時代に制作された室町様式の色濃いものとして、市の文化財に指定されています。
撫で龍だそうです。結構撫でられまくってツルツル感が出ています。天満宮の牛を代表格に、神社や寺院では撫でることで願いが成就するといわれるものが結構あります。特に病を患っていると、良くなりたい部分を撫でると効果があるというパターンが多いです。私はいくつかの内臓の臓器に病気を抱えているのですが、この龍のどこが胃でどこが肝臓でどこが膵臓だとか、全くわからない始末です。おそらくは全然違う部分を撫でてしまっていたと思われます。
こちらは神心の碑というものです。紙垂が張られた微妙な角度の石の中央の真正面に立って、自分の姿を石碑に写すと、身体が清められるというものだそうです。新しいタイプの参加型芸術のようですが、いろんなものがあるんですねぇ。こういうのは、穿った見方をしないで、言われた通りにやってみるというのが良いでしょう。何かしら心が動けば、やった甲斐があるというものです。
拝殿には行列ができていて、昇殿参拝する方も順番待ちになっていて、結構混んでいました。田無神社の主祭神は大国主命、級津彦命、級戸辺命です。大国主命は出雲大社の主祭神で、地の神を司る神として有名です。級津彦命と級戸辺命は、二柱で尉殿大権現の垂迹神という位置付けです。田無神社では、この二柱=尉殿大権現=五龍の金龍神として本殿に安置しています。
創建以来、尉殿大権現として存在していましたが、明治5年に神仏分離令によって田無神社に改名しました。拝殿や社殿は、彫刻が素晴らしく、東京都の文化財に指定されています。田無神社のように駅前で周辺地域の中心地にある神社にありがちなのは、都市化の段階で区画整理などで同じ地域の違う神社が合祀されていくことです。田無神社本殿には上記の主祭神の他に、須佐之男命、猿田彦命、八街比古命、八街日売命、日本武尊命、応神天皇、大鳥大神がお祀りされています。
舞殿は、奉納演芸の実演や練習に利用されているそうです。ちなみに舞台上の中央に置かれているのは一楽萬開札の巨大なもので、これの小さいものが授与品として販売されています。この札によって、龍神から最初の楽をいただくことができます。この最初の楽を一楽と言い、ひとつの楽が、次の楽を呼び、次々楽が集まって、萬の楽となって人生が開けていく、という意味で「一楽萬開」というそうです。
田無神社にはたくさんの境内社があります。こちらは一番立派な境内社で、津島神社です。写真には写っていないのですが、茅の輪のようなものが鳥居の位置に経っています。身を清める意味があるのだと思います。ちなみに、両柱にそれぞれ龍が彫刻されていますが、この龍は柱と一体となっていて、一本の木から削られているそうです。素戔嗚尊をお祀りしていて、厄除けや子どもや家畜の守護というご神徳があるそうです。
境内の片隅にポツンと親子犬の木彫り像が安置されています。犬は子だくさんで安産だということで、子授けや安産のご神徳が得られると信じられてきました。十二支に犬(戌)がありますので、犬の日にお参りするとご神徳が上がるとされています。
境内には五龍の御神木がありますが、本殿の横に特別感をもって囲われている巨木があり、こちらが五龍のうち金龍神にあたるそうです。天保13年(1842年)から嘉永3年(1850年)に植樹されたいちょうの木で、西東京市の天然記念物に指定されたそうです。
本殿の横、御神木の裏側に、少彦名命が祀られています。大国主命と少彦名命は共に葦原中国(あしはらなかつくに≒日本の大地)を整備した神々として、よく一緒に祀られています。少彦名命は特に人々に医療を広めたことから、病気平癒のご神徳が得られるとされています。
野分初稲荷大社という境内社です。野分というのは台風のような嵐のことです。室町時代、白い狐が村に現れて、珍しいので若い衆が捕まえようと追い込むと大嵐になったという伝説があります。この野分初稲荷大社の社殿は、安政5年(1858年)に建て替えられた田無神社の旧本殿だということが、後の調査で判明したそうです。神仏習合の名残でしょうか、のぼり旗には稲荷大明神と称されています。
右側が鹽竈社(しおがましゃ)で、塩土老翁(しおつちのおじ)をお祀りしています。潮流の神とされていて、神武天皇の東征を導いたことから、航海や遠征の守護神とされています。鹽竈神社や白髭神社の主祭神として祀られていて、様々に知恵を授ける神として存在しています。山幸彦が海幸彦の釣り針を失くした際に知恵を授け、そのことから海幸彦が豊玉姫と出会って子を授かったという説話から、田無神社では安産の神としてもお祀りしているようです。
左側は煩大人神(わずらいうしのかみ)を祀っている煩大人社です。伊邪那岐(いざなぎ)が黄泉の国から戻った時に禊を行ったのですが、その際に脱ぎ捨てた衣から生まれた神とされています。どういう感覚でそのような伝承になるのか不思議ですが、日本神話では吐瀉物や尿からも神が生まれたりします。脱ぎ捨てた衣=煩いということで、厄除けの神として祀られています。
奥まったところに階段を登っていくと、七福神の大黒天と恵比寿天をお祀りしている社
があります。社殿内に置かれている像を見ると、右側が大黒天で左が恵比寿天ですね。大黒天は田無神社の主祭神である大国主命と同一視されています。田無神社では恵比寿天は少彦名命と同一視されています。神田神社と同じですね。大国主命も少彦名命も境内にお祀りされていますが、別にここで大黒天と恵比寿天としてお祀りされています。余すこと無くご神徳を拝受するためでしょうかね。
こちらは五龍のうち青龍神です。春を象徴する東方の守護神とされています。風や樹木を司る神で、スポーツや芸能の技能の向上や就職成就など、自分の能力を発揮するご神徳をいただけるようです。
突然に楠木正成の石像が祀られていました。楠木正成は鎌倉幕府を打倒した日本史上最高の武門の神として神戸市の湊川神社に祀られています。楠木正成の子孫が田無の尉殿権現付近に住んでいて同社を守護したという伝説から、石像が祀られるようになったということです。第二次世界大戦へ出征していく地元の若者たちが、この石像を少し削ってお守りにしたと書かれていました。
土俵があります。相撲は発祥と発展の経緯に、神社と密接に関わっています。相撲で使用される小道具や力士の所作や行事の格好など、神社のものとよく似ています。この土俵は名横綱の名を借りて、大鵬土俵と名付けられています。境内の奥に大鵬親方自身が寄進した大鵬親方と同じ大きさとされる石碑が安置されています。大鵬親方は田無神社の崇敬会の初代会長を務め、その後名誉会長として神社を支えてきそうです。
神楽殿の横に、弁天社があります。弁財天の垂迹神は市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)というのが定説なのですが、田無神社では須勢理比売命(すせりひめのみこと)を祀っています。須勢理比売命は田無神社の主祭神である大国主命の妻神であり、素戔嗚尊の娘神です。関係性が深いことから弁財天として須勢理比売命を祀るという稀な状態になっているそうです。
さて、こんなにも境内が賑わっているとは思っておらず、特に若い方々が多かったので少々驚きました。写真( ↑ )は、この日行われていたイベントで、「七夕てるてるトンネル」というものです。特にこのイベントで賑わっていたという感じではなくて、日頃から週末には人が多く集まる神社なのだと思います。多くの人の心の拠り所となっていて、神社側でも人々を受け入れる姿勢が見られました。信仰と生活が融合している空間というものは、もう少し不自然というか、特別感があるものだと思っていましたが、意外にも清々しい気持ちになりました。
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