寺社探訪

寺社探訪とコラム

「新興宗教の葬儀」

江戸時代の寺檀制度が現在も機能していて、信仰が親から子へ受け継がれ、一族全員が同じ寺院の檀家になってきた歴史が続いています。そんな一族の信仰から抜け出して、自分が信じる宗教を信仰するには、それなりに気持ちの強さが必要です。

例えば自分の配偶者や両親や子どもを同じ新興宗教に入信させたとしても、その他の親族まで同じ新興宗教の信者になるかというと、それはなかなか難しいです。すると他の親族からは、「一族の信仰を裏切った者」「変な宗教にのめり込んだ家族」という目で一線引かれ、疎外されてしまいます。

先祖代々〇〇寺の檀家という家系に生まれ、人生の途中で新興宗教に入信した人がいたとします。信念を持って自分の道を進むことは、素晴らしいことだと思います。ただ、その方が喪主で葬儀をするとき、元の〇〇寺の司式で葬儀を行うことがしばしばあるのです。

せっかく一念発起して新興宗教に入信して、親族からは一線を引かれ、疎外されても貫いてきた信仰なのに、元の宗派の儀式で葬儀をするのです。これは、故人の信仰を尊重したのではなく、たとえ故人が同じ新興宗教の信者であっても、元の〇〇寺に葬儀の司式を依頼するのです。

このようになる原因は、寺檀制度にあります。その寺院の墓地に多くの先祖が眠っていて、離檀するならその墓から先祖の遺骨を全て別の場所に改葬し、墓石を除いて墓地を更地にして返却しなくてはならない事情が生まれるからです。場合によっては離檀料まで請求されるかもしれません。また、新興宗教の司式で葬儀をした遺骨を、菩提寺の墓に納めることはできません。新興宗教に改宗するなら、宗派不問の墓地を新たに購入する必要があります。檀家制度とはまさに先祖たちの遺骨が人質としてお墓に保管されているようなもので、檀家の心が離れても寺院からは離れられないという制度なのです。

f:id:salicat:20240801080346j:image

費用を支払って墓じまいや離檀をするなら、とりあえず葬儀は元の〇〇寺の司式で行って、〇〇寺のお墓に納骨しよう。という方法を選ぶ方々が結構います。菩提寺の〇〇寺としても、その家が新興宗教を信仰していると知っていても、あなた方は〇〇寺に墓地を持つ檀家なのだと主張したい。だから、葬儀を頼まれれば引き受けます。家系で受け継いでいく檀家制度に支えらている寺院は、離檀や墓じまいはなるべく避けたいのです。

すると寺院と檀家の間に、檀家の務め(主にお布施)さえ果たしていれば、新興宗教を信仰していても良い。という暗黙の協定が結ばれます。そんな win×2の大人の関係の下、信仰心が伴っていない、上辺だけのお葬式が行われるのです。

f:id:salicat:20240801080719j:image

私のように新興宗教の子どもとして生まれ、親族や社会からの疎外感を受けて育ち、退会した後は家族からの疎外感を受けて生きている立場から見ると、これは憤りを感じる事態です。生まれて間もない赤ん坊に信仰を押し付けるくせに、自分が喪主になれば、信仰心に蓋をして葬儀を行うなんておかしい。私はずっとそう思っていました。しかし、彼らも境遇は私と同じなのですね。生まれる前から宗派と菩提寺が決まっていて、自分で宗教を選んだら、不都合なことを背負わされる。

信教の自由は憲法で定められた権利ですが、実際に個人の信教の自由を守ることは難しい場面もあります。親子で信じる宗派が違ったら、親の葬儀は親の信じる宗派で送るのか、喪主となる子の信じる宗派で送るのか、という問題も浮上します。面倒な宗教に関心が無くなったり、形だけの葬儀が蔓延したりする前に、信教を自分で選べて、それで問題が生じないような世の中になることを期待しています。

 

( ※ 写真はイメージのためのフリー素材です)

ーーーーーーーーーーーーーーー

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

神社・仏閣ランキング