寺社探訪

寺社探訪とコラム

山+神「三室山+愛宕神社」

JR青梅線二俣尾駅から出発です。青梅線って私が思うより本数が少ないということを知っているはずなのですが、つい時間を調べずに出発してしまい、青梅駅で40分も待つ羽目になってしまいました。暇つぶしにスマホでニュースを見ていると、神が逝ったことを知りました。

既に病に冒されていく肉体が、燃える魂の宿りとして耐えられなくなっているのが目に見えていました。そしてこの日、静かに闘魂の炎を消してしまいました。本日訪れる神社は、奇しくも火を司る神「火産霊神(ほむすびのかみ)」を祀る愛宕神社です。子どもの頃から大好きだった燃える闘魂への感謝と祈りの追悼登山となりました。

この日は土曜日で、二俣尾駅から奥多摩の山々に入る方はそんなに多くはありませんが、様々な登山道や縦走の起点になる駅なので、人類皆無という訳ではありませんでした。奥多摩橋を渡り、吉野街道へと向かいます。今日のルートは、登山をしないカップルの初登山デートに良いのではないかと思います。それほど厳しくなく、慣れて無くても運動不足でも登れるルートです。

吉野街道沿いにあるセブンイレブン青梅柚木店の目の前に入り口があります。巨大な鳥居がありますので、とてもわかりやすいです。まずはセブンイレブンで行動食や飲料など買い物をして、トイレを済ませておきます。それにしても、山間部の神社にしては立派すぎる構えです。

住宅が途切れると、分岐に差し掛かります。今回のルートは厳しくない代わりに、分岐が多くて注意が必要です。事前にルートを確認しておくことと、道中に地図で確認できる準備をしておくことが重要です。この分岐は、真っ直ぐ進むと不動尊があり、左に進むと愛宕神社境内へ続きます。とりあえず、ここは不動尊に行って引き返してこようと右のルートを進みましたが、思った以上に時間がかかりそうだったので、ちょっと進んだだけで引き返してきました。寺社探訪者がそんなことでいいのか? と自問しましたが、予定していた出発時刻が相当遅れていて焦っていました。当初の予定など狂ってしまっているのだから、もう一度予定を組み直しても時間的には十分余裕があるのに、今思えば行けばよかったです。巨石とお堂が重なるように存在している神秘的な場所だそうです。愛宕神社別当寺だった真言宗豊山派の即清寺の境外仏堂で、神仏習合の時代、即清寺はこの不動尊だけでなく、これから登る愛宕山愛宕神社奥宮までのルート)全体を聖域としていたのだと思われます。

3つ目の鳥居をくぐると、どこかで見たような階段が現れました。港区の愛宕神社にも「出世の石段」という急な階段があります。愛宕神社と階段には切れない縁がありそうですね。

階段を登りきっただけでそこそこの爽快感があります。眼下の視界が開けて、目に鮮やかな緑が映ります。手水舎がありましたが、ただ水盤の水は流れている様子もなく、この水に手を付けるのはちょっと憚られました。柄杓もないので手水は省略させていただきました。

立派な狛犬です。この愛宕神社の創建は880年とのことで、千年を超える歴史を持っています。第五代天台座主の智証大師円珍が結んだ草庵の守護のために山頂に愛宕社を建立したことが始まりだそうです。円珍といえば円仁や源信と共に天台宗を代表する僧です。思わぬ高僧の名が出てきてびっくりですが、この場違いにも思える立派な鳥居や社殿は江戸末期から明治にかけて完成し、更に昭和から現在まで氏子の方々によって熱心に修繕改築されできたものです。

地元の方なのか業者さんさのか、草刈り機の準備をしている人がいるだけでしたが、社殿の扉が開けられていて、管理している方が開け閉めしていることを伺わせます。毎日開けているかどうかはわかりません。社殿の中は御幣が捧げられていました。

社殿にお参りをすると、ふと気づきます。「愛宕山」と書かれた扁額の下、何枚ものCDが貼り付けられています。よく見ると、9人組のアイドルっぽいCDジャケットです。私にはその正体はわかりませんが、長い階段を登ったところにある、地上と天空の間のような神聖な場所に、なぜCDジャケットを掲げているのか、理由があるなら教えてほしいものです。

社殿を左に進むと登山道に入ります。歩き始めていきなり分岐が現れます。まっすぐ進むと即清寺方面で、右が進行方向ですので右に進みます。

木々に覆われた森の中を進みますが、東京都下ですし低山なので、山の涼し気な感覚はありません。午前10時半頃だったので、もっと早ければ爽快さもあったと思います。

結構分岐があるのですが、前半部分は即清寺方面に進むか、日の出山・御岳山方面に向かうかの2択になります。分岐には案内板があるのですが、三室山とは書かれていませんので注意が必要です。しばらくは日の出山・御岳山方面を選択することが正解となっています。

途中、このような石碑がポツポツと現れます。こちらは即清寺の「四国八十八か所お砂踏み霊場」となっています。お砂踏み霊場は、四国八十八か所お遍路の各霊場から持ち帰った砂を、それぞれの石碑の前に敷いて、その石碑を巡ることで四国八十八か所お遍路と同様のご利益を得ることができるというものです。真言宗の寺院では大小様々な規模ですが、設置されていることが多々あります。都内で私のオススメのお砂踏み霊場練馬区三宝寺です。この即清寺のお砂踏み霊場巡りは、かなり大変そうです。

ここは、案内標識が無い分岐です。写真の右側(森のように見えますが)から急勾配を上がってこの尾根道に当たります。右を見るとこんな感じ( ↑ )で先が2つに分かれています。しかし、これは両方不正解で、尾根に出たら右ではなく左に行きます。写真で言うと、背中方面です。正解の順路の写真を撮っていないという痛恨のミスです。正解方面は急勾配なので右に行きたくなりますが、山登りなので頑張って左にいきましょう。(わかりにくくてすみません)

少し急な登りが済んだあたりで、四国八十八か所お砂踏み霊場がまとめて置かれている場所がありました。山中にひとつずつ点々と置いていたところ、最後の方に面倒になりまとめて置きました的なまとまり具合です。大体70番台から80番台のお砂踏み所が集まっています。

尾根道になると、とても歩きやすくて快適な登山道です。上り坂の道と緩やかな尾根道が順番に訪れます。しんどさが続かず、アメとムチのアメが多めという状況が、とても歩きやすい登山道となっていますが、全体的に植物が登山道を塞ぐほど迫っている場所が多くあります。藪の中の道を進むような感覚で、道を間違えていないか不安になると同時に、蜘蛛の巣などが体に引っかかります。

第88番のお砂踏み所です。ここが即清寺の四国八十八か所お砂踏み霊場の終着地となり、他の石碑と比べると一際立派になっています。ここで腰を下ろして休憩しました。

即清寺が用意した善意の杖の置き場がありました。この山内八十八ヶ所お砂踏み霊場巡りに挑戦する方は、出発地の即清寺にも同じ杖の置き場があります。おそらく、スタート地点とゴール地点に杖が置かれているシステムなのだと思いますが、この日はゴール地点には杖がなかったです。私は登山道に入って間もない段階で、既にトレッキングポールを使用していました。以前はあまり使用してなかったのですが、一度使い始めるとクセになるというか、やめられない止まらない感じです。

更に上り坂を登っていくと、展望台の案内があります。ルートから外れますが、ほんのちょっとの寄り道で済みますので、立ち寄ってみることにしましょう。何より、この看板を立てた「愛宕山即清寺88盛上げ隊」という名称が気になりました。一体何名くらいで構成されている隊なのでしょう。

記載のとおり鐘がある開けた場所に到着しました。ここでもリュックを下ろし、腰を下ろして休憩です。今回は分岐が多いと知っていたので、万が一に備えて雨具、予備食、予備飲料、懐中電灯、着替えなども装備してきたのでリュックもちょっと重めです。

こちらが展望台からの景色です。お昼前でしたが、もっと時間が早ければ遠くまで見渡せたのかなと思います。それでも良い天気で気分爽快になります。せっかくなので幸福の鐘をひと叩きしてみました。カラーンとかなり大きな音が響き渡りました。想像以上に音が大きかったので、1回でじゅうぶんだと思っていたら、看板にこんな事が書いてありました。1打目はそっと自分のために、2打目は心を込めて大切な人のために、3打目は大きくみんなのために。※数を守らなかったり、強く叩きすぎると幸せが逃げていきます。なんと、1回でじゅうぶんだと思っていたら、自分大好きエゴイストになってしまいます。響き渡るので恥ずかしい思いを抑えながら、2打目、3打目を打ち鳴らしました。大きく皆様のためになっていれば幸いです。

スカイツリーが見えると書かれていましたが、最大にデジタル望遠撮影してみるとこんな感じの写真です。遠くにうっすら都心のビル群が見えますね。スカイツリーが見えているかどうかはちょっと判断つきませんでした。

さて、登山道に戻りどんどん登っていきます。こちらはまたまた分岐なのですが、杭には左方向に矢印がついています。杭に貼り付けてある横長の板に、手書きの図が書いてありまして、左へ向かうと愛宕神社奥の院を迂回する順路で、まっすぐ登る道(ヤブに覆われて見えませんが)が奥の院方向です。ここは奥の院へ向かうべく、藪の中に特攻です。一応道は判別できますので大丈夫ですが、植物に迫られてちょっと心配になります。

さて、少し登るとまた分岐に差し掛かりました。ここは真っ直ぐではなく左です。写真の左側中央辺りに細長い手書きの看板があります。めちゃくちゃわかりづらいですよね。

愛宕神社奥の院をネットで調べると、これまでレポートしてきた天聖神社奥宮や、武蔵御嶽神社奥の院のような祠ではなく、かなり立派な神社になっている様子です。周囲の景色を見渡しても、ここまで登ってきた過程を振り返っても、果たしてこんな山奥にそんな場所が存在するのかと不思議になります。

存在しました。石垣が組まれていて、塀で囲まれています。石垣の階段や神門も設置されています。この境内は江戸末期から明治、昭和に至る期間、整備されてきたものだそうですが、場所を考えるとすごい情熱です。さすが火を司る神です。

神門の裏側にも丁寧な彫刻があります。

境内に入るとすぐ右側に手水舎があります。流石にここで手を清めることはないですが、石灯籠が左右に一対あり、正しき神社の雰囲気を漂わせています。さすがに草ボーボーではありますが、全く手が入れられていない訳ではなさそうです。

社殿は、拝殿の裏に本殿がある構造で、正式な神社の形になっています。祀られているのは火産霊神(ほむすびのかみ)です。この愛宕神社は即清寺の守護のために建てられたものですので、そもそも神仏習合の思想の中にあった神社です。京都の愛宕神社や港区の愛宕神社も同じく神仏習合の歴史を持ち、愛宕大権現を本尊として仰いでいたのですが、この愛宕神社は即清寺を見る限り愛宕大権現とはあまり関係なさそうな感じがします。即清寺の本尊は不空羂索大憤怒明王という全国でも即清寺にしか無い仏様です。愛宕大権現は馬に乗ったお地蔵様という形相をしていますので、この山の中に安置されているなら見てみたいと思っていましたが、ここにはなさそうです。ちなみに港区の愛宕神社別当寺だった円福寺明治維新で廃寺になっていて、愛宕大権現像は愛宕神社の隣りにある真言宗智山派総本山別院の真福寺に移されていますので、馬に乗ったお地蔵様を見たい方は訪れてみてください。

ここにはCDジャケット貼ってないですね。流石に神聖さが削がれる感じがするので、無い方が良いです。ファンの方にとっては神聖さが増すとは思いますけど、それは里宮だけで我慢いただいて…。境内で座っていると、他の登山客が何組か入ってきて、お参りを済ませるとすぐに出て行かれました。私にとっては追悼登山なので、燃える闘魂が安らかに鎮まり、伝承した人々の行く末を見守っていただけるようにお祈りしました。

拝殿の横を通ると、柵の中に本殿が見えます。本当にちゃんとしている神社です。ここまでの造作を仕上げた熱意と努力はすごいですね。

社殿の左側に非常にリアルなお顔の石像が建っていました。見た目は僧侶のようです。役行者かと思いましたが、もっと仏教っぽい格好です。前にある石塔の文字を解読しようとしましたが、結局はわかりません。〇〇大僧都という文字が見えましたが、真実はわかりませんでした。

その横にまた正体不明の石像が建っています。〇に玉と書かれた意味深きものが置かれていましたが、ピンと来ることなく、何者かよくわかりませんでした。格好を見るからに数珠も持っていますし、仏教の僧侶のように見えます。この登山道は御岳山(武蔵御嶽神社)にも通じているので、やはり神仏習合山岳信仰の影響の濃い神社だとは思います。

愛宕神社奥の院を出て、三室山頂へ向かいます。倒木が道を塞いでいます。今回のルートではこのような場所が3箇所ほどありました。

さて、分岐です。ここはそんなに難しくはありません。写真の右側が登ってきた道です。進行方向から折り返して左側の道に行くのは不正解です。

こちら逆方向、つまり進行方向で、右側は三室山山頂を迂回して御岳山方面へ向かう道で、左は三室山頂へ向かう道です。左の坂道を登っていきます。

そしてさらに分岐です。左が三室山、右が日の出山と書かれていますので、左に向かいます。山頂まで50m。もうすぐですね。

山頂に到着しました。残念ながら、木々が視界を遮っていて、眺望はありません。8名程の団体さんがひと組、頂上の広場で円になってお昼ごはんを食べていました。頂上は狭いので、ひと組だけの団体さんが盛り上がっている中にいると、流石に居づらい感じです。それでも隅っこにリュックを下ろし、水分補給をして少し休憩しました。団体さんは平均年齢70歳くらいで、年齢の話で盛り上がっていました。私はそもそも登山が得意ではなく、仲間と登山をしても着いていけないから、ひとりで登っています。30代の頃に仲間と北岳に登ったときもバテてしまって、通りすがりの70代のおばあちゃんに、「若いのにだらしない」と説教されました。70歳になっても仲間と一緒に登山して、楽しそうに盛り上がっているのを見ると、羨ましいなぁと思います。

ちなみに山頂からの景色を撮ろうとすると、森になってしまうので、だんだんカメラを上げていくと空になってしまいました。646mですので、そんなに山頂気分は味わえません。無事に着いたな、という程度で山頂を後にします。

下り坂はこんな感じ。結構急なのと、下り坂には分岐があっても案内板が出ていないことが多かったです。基本的に日向和田駅方面に向かいます。登山道さえ外さなければ、どの道を通っていても里にたどり着けるような感じはしましたが。私は下りも遅いので、何人かの登山者に抜かれました。追い抜かされるのもなかなか難しくて、すれ違うのに良き場所で、すっと横にズレて先に行ってもらうのですが、なかなか良き場所がなければ、だんだん間隔が詰まってあおり運転のようになり、焦って転けそうになりました。

ここは豪快な倒木があり、登山道にロープが張って回り道してくれと看板が出ていました。この坂を日向和田駅に向かうルートは琴平神社の参道になっていて、私は下っていますが、逆に登ってく来る方とも多くすれ違いました。この上りは分岐が難しそうです。

琴平神社に到着しました。説明書きがありましたので読んでみますと、御祭神は大国主命崇徳天皇となっていますので、四国讃岐の金刀比羅神社を総本社とする金刀比羅信仰の神社ですね。金刀比羅神社は海運の守り神的要素が強いですが、こちらの琴平神社は土着的な感じで、地場産業だった養蚕の神様として信仰を集めていたそうです。

讃岐の金刀比羅神社の御祭神は大国主命ではなくて大物主命なのですが、日本書紀では同一視(和御魂)されているので些細な差異です。そもそもは金刀比羅信仰ですから、明治維新までの主祭神は金刀比羅権現でした。猫が養蚕の天敵であるネズミを退治してくれることと、商売繁盛を願って、たくさんの招き猫が社の中に奉納されていました。なぜかガンダムも奉納されていましたが。

森の中に鳥居がポツン。琴平神社の二の鳥居です。神秘的ですね。この鳥居から登ると、かなりゴツゴツの岩場となっています。他の道から巻いて琴平神社に行くこともできます。

ここ。中郷と書かれているこの分岐、本当に悩みました。もうかなり下ったので、どちらでも大丈夫な気はしますが、迷いたくはありません。右に下る道は( ↑ )の写真の道です。この道をゆけば、どうなるものか。

左に下る道は( ↑ )こんな感じ。どっちなんだか、持っている地図でも、GPSでもそこまで詳細はわかりません。危ぶめば道はなし。もう行ってしまえと右側の広くて緩やかな道を選びました。踏み出せば、その一足が道となる。おそらくどちらを選んでもまた合流するような道だったのではないかと思います。

左側にゴルフ場のフェンスがある道に着きました。今回の登山もそろそろ終了ですね。歩きやすくて、それほど厳しくもなかったので、他の人よりゆっくりですが私でも登れました。息が切れる場面や足が覚束ない場面は多々ありましたが…。

最後の階段を降りると、琴平神社の鳥居があります。こちらが逆ルートの登山口になります。この先はアスファルト舗装された集落を歩いて、日向和田駅に向かいます。

なかなか立派なお寺の横を通過します。こちらは曹洞宗天澤院という寺院です。「お願い地蔵尊」というのが有名なんですね。去年多摩川百所巡礼企画で訪れた海禅寺の末寺だったそうです。何となくこのあたりは曹洞宗寺院だらけだったことを思い出しました。ここは吉野梅里の向かいになりますので、天澤院の正面は、巨大な梅の公園の入口になっています。

神代橋の手前に中曽根康弘の句碑があります。あのお方は群馬ですよね。なんでこんなところに句碑があるのでしょうかね。と思っていたのですが、後日教えていただいたお話によると、日の出荘という中曽根さんの別荘があって、ロン・ヤスの日米首脳会談が行われたことで有名になったそうです。中曽根さんの別荘は今でも記念館として保存されていて、一般公開されているそうです。

いろいろと、考えながら歩いている間に日向和田駅に到着しました。奥多摩エリアの玄関口のような場所ですが、結構ちゃんとした山歩きと寺社探訪ができたことに満足です。奥多摩エリアの神社といえば武蔵御嶽神社が人気ですが、他にも魅力的な「山+神」を探っていければと思っております。まぁ、体力的な限界が非常に低いレベルにあり、紹介できる山はその低い基準を下回る山になってしまいますが、静かに闘魂を受け継いでいければ良いと思います。

 

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