JR五日市線の武蔵増戸駅からスタートです。今回は網代弁天山です。知る人ぞ知るレベルの低山になってまいりました。阿伎留神社、廣徳寺とレポートしたので、あきる野に行ったのだなと思った方は多いと思いますが、低山にも行っているとは意表を突いたことでしょう。
駅から網代橋を通ると登山口への近道なのですが、2019年の台風以来通行止めとなっています。多摩川が氾濫して二子玉川が水浸しになったり、日野橋が歪んでしまったあの台風です。網代橋がないと困る人々もいるでしょうが、どうやら自治体はこのまま直す気がないようです。
山田大橋を通って、大回りして登山口に向かいます。トラックやダンプが頻繁に通る道路です。少し登り坂になっています。
橋の上からの景色ですが、写真の左側には通行止めの網代橋、中央には臨済宗建長寺派の瑞雲寺、右側には八幡神社の鳥居が見えます。
秋川が流れています。秋川も渓谷美が有名ですが、この辺りはまだまだですね。もうちょっと上流の方が良いと思います。
トリコを呼べそうな電波塔が建つ角を曲がります。ここまでは町でここからは集落という雰囲気です。移住者が多いのか、おしゃれな家が建ち並んでいます。趣味趣向がたっぷり前面に出ているような家が並んでいます。
また橋を渡ります。夕日橋と言います。水が流れているのか流れていないのかわからない程度の沢の上に架かっています。
歩いていると防火用のホースの隣に塩カルが置いてありました。これからの季節、必需品でしょうね。あまり雪の降らない地域だと、備えがないから雪が積もると塩カルがホームセンターから消えてしまいます。
田舎とはいえ、網代弁天山はかつては網代温泉という一軒宿が営業していて、山頂へリフトが運行していた観光地だったそうです。集落を歩いていると、臨済宗建長寺派の禅昌寺が見えます。これから向かう山中にある貴志島神社の別当寺だった妙台寺が、明治時代に禅昌寺に合寺となっています。
さて、登山口の案内が出てきました。後ろに庚申塔が見えますね。あきる野の集落を歩いてきましたが、実際の山歩きはこれからで、1時間ほどの予定です。
赤い鳥居が登山口の目印です。ここから山道に入ります。一応、動きやすい格好をしています。登山靴ではないですが、雨の日の配達時に履いているしっかりした靴です。足首のホールド感があるので、スニーカーよりは山道向きです。私の登山時のスタイルは、配達の仕事時のスタイルとほぼ同じです。ワークマンに支えられております。
初めはこのように緩やかな登りになっています。階段ですので、膝を傷めないように注意が必要です。フラフラしないでしっかり歩きます。
階段が無くなり、単なる登り坂になりました。落ち葉が多くて地面の形がわかりにくいです。フカフカなので滑りやすいですし、落ちている小さな枝にバキバキ引っかかりながら歩きます。
昭和39年の福生新聞に「この夏、リフト完成」とあるので、観光地化を目指したのでしょう。どの程度賑わっていつ閉鎖されたのかわかりませんが、現在では廃墟マニアが記念撮影に訪れる程度かと思われます。ふと思いましたが、ここはリフト下なのかリフト上なのか、どうなんでしょう。
案内板が所々に建っていますが、わかりにくい分岐がいくつがありました。YAMAPのGPSを見ながら進むと大丈夫でしたが、何もないと迷うと思います。
貴志島神社の方へ向かいますが、下り坂になっています。低山とはいえ、ピークの前に下り坂はあまり嬉しくありません。それ以上に登り返さなければならないからです。
突然、神社が現れます。こちらは手水舎です。この神社は見るからに神仏習合の弁才天として存在していたものを、明治維新の神仏分離令で垂迹神である市杵島姫命を祀る神社に変えたという印象を受けます。しかし、社殿には市杵島姫命の説明と、足利尊氏のご母堂の守護神として勧請したのが創建の経緯だと書かれていました。
左が神楽殿で右が社殿です。やはり社殿は仏教っぽいですね。享保5年(1720年)に建てられたものだそうです。江戸時代は徳川家より御朱印を賜る貴志島弁才天として存在していた記録があるそうです。よく国や県や市が文化財を指定して保護していますが、こちらの社殿は自治会指定の文化財とのこと。地域で大切にしようとする姿勢が素晴らしいです。
やはり下れば登る運命には逆らえません。結構な登りとなっていました。すぐに息が切れますが、ゆっくり登ります。
こちらが弁才天の洞窟です。しめ縄が切れて落ちたのを誰かが枝に掛けたのだと思いますが、非常に気味悪い感じになっています。
一応、ハート型でパワースポットということになっています。中に入ってお参りして構わないのか良くわかりませんが、中は20畳ほどの広さがあり、大黒天や毘沙門天が安置されているそうです。
洞窟を過ぎると、難しい分岐があって、結構な登りを歩きます。崖っぽい感じで、頂上が近いのかなと思わせます。
急に視界が開けました。見えたのは東京五日市カントリー倶楽部です。ひと息ついて、また登ります。
結構な崖道になってきました。山頂はすぐそこです。やはりというか、ここまで誰にも会わなかったです。人類皆無の山ですが、こうして道が作られていて、私が通れるということは、これまでに何人もの方々がここを通ったということです。
山頂は岩がゴロっと置かれた場所でした。良さげな岩に座って、ひと息つきましょう。本日は恒例のコンビニおにぎりを持参してきましたので、ここでランチイムにしました。
弁天山292mです。眺望は期待できないかなと思っていましたが、良い景色でした。登山口からここまで30分ほどですが、もっと登った感覚でした。
山頂を過ぎると下ります。膝が心配です。ここから網代城山に向かうので、下るとまた登らなければなりません。なるべく下らないように進みたいですが、それでは山登りとしては下らないということでしょうか。
眼下に神社が見えます。よく見ると先ほど訪れた貴志島神社です。ぐるっと裏側に廻ったのですね。
さて登り返しです。眼の前に見える山の上まで行くことになります。さて、誰もいない山の中で気分爽快なのですが、低山で近隣に集落もありますので、自動車の排気音やクラクション、地域の放送や農作業の音なども聞こえてきます。
一旦フラットになりました。見えていた山だけではなく、更に続きがあるようです。周辺の人工的な音を掻き消すように、鳥たちのさえずりも聞こえてきます。先日、山中で鳥の写真を撮っていた方の葬儀の司会を担当しましたが、写真集も出されている方で、鳥を呼ぶための鳴き声CDというものも聞かせていただきました。
落ち葉がフカフカで滑りやすいのと、落ち葉の中に埋もれている小さな枝が引っかかるのが手間です。パキパキ音を鳴らしながら、しっかり足をついて登ります。
網代城山331mの頂上です。眺望はないと書かれていましたが、なかやか見事な景色です。ベンチもあって弁天山よりも広い頂上です。山城跡なので、堀切や虎口などの跡も見られるそうなのですが、無意識の私にはわかりませんでした。昔から山城として存在していて、戦国時代は小田原北条氏が八王子の滝山城の支城として活用していたそうです。
下りは長い階段で、膝に来ます。落ち葉でよく滑るし、それなりの靴があった方が良いです。これ、逆ルートだと単調な登りでしんどいだろうなと思いました。
ズルズルと滑りつつ下りてきました。もうすぐ山道も終わりです。ちょうど1時間ほどの山歩きでした。標高や時間は大したことないですが、その割にちゃんとした山登りで、私はじゅうぶん満足でした。シーズン初めの足慣らしや、新しい登山靴の試し履きとかに良いコースかと思います。
舗装された道に下りてきました。ここから武蔵五日市駅まで歩くコースですが、廣徳寺をレポートしたいと思い、寄り道に周辺を歩きます。
よく、時が止まったような……という表現をしますが、本当に時が止まっていますね。
長閑な風景です。都会人振る訳ではありませんが、目に映る景色よりも空気の澄んだ感じが心地良いです。ただ素晴らしいだけでなく、住んでいる人にはそれなりの苦労もあると思います。
さて、武蔵五日市駅に到着しました。駅周辺は開けていますが、かと言って何か商業施設があるという程でもないです。青梅線の終点の奥多摩駅と比べると、観光地っぽさが控え目で、生活のための駅という印象が強いです。また、知る人ぞ知る低山にチャレンジしたいと思います。
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