曹洞宗 泉龍寺 目次
名称・寺格
雲松山 泉龍寺 と称する曹洞宗の寺院です。寺格は特にありません。
創建
天平神護元年(765年)に、良弁僧正がこの地で雨乞いをし、法相宗と華厳宗の兼帯の寺院として建立したとされています。
本尊
釈迦如来
ご利益
江戸時代、まわり地蔵として、子授け・子育てにご利益がある子安地蔵が有名でした。現在も本堂にご安置されています。
みどころ
背の高い大きな木々が多く、駅のすぐ隣という立地ながら、周囲から切り離された神聖な領域を作り出しています。定期的に開館しているのかよくわかりませんが、仏教図書館もあります。
アクセス
東京都狛江市元和泉1-6-1
小田急線「狛江」徒歩1分
探訪レポート
狛江市は全国で2番に小さな市だそうです。「2位じゃダメなんですか?」というと、おそらくダメで、狛江市ではあまりそこを推してはいないようです。絵手紙発祥の地というのが、狛江市のセールスポイントのようです。そんな狛江市の中心部に、市内最大の寺院として、市民の拠り所となっている泉龍寺があります。小田急線の狛江駅からすぐです。山門には曹洞宗寺院らしく「不許葷酒入山門」の石碑が建っていました。匂いの強い食物や酒の匂いをさせて寺に入るなという意味です。
山門を入ると、左に大きなお地蔵様と、右に六地蔵にお迎えしていただけます。左のお地蔵様は延命子安地蔵尊と書かれていました。延命と子安は別の願いのように思えますが、二刀流は仏の世界にも存在するのですね。泉龍寺本堂にはまわり地蔵と呼ばれる厨子に納められた延命子安地蔵尊がご安置されています。この延命子安地蔵は近隣のみならず、本所や神田など江戸中に講が作られ、信仰を集めました。次の縁日までに各講中の家を一泊ずつしてまわり、泉龍寺に戻って来るそうです。戻ってきたら多くの方が参集して余興や露店で境内が大いに賑わったそうです。縁日が過ぎると、また各講中の家を一泊ずつまわるという巡行仏は江戸中期から第二次世界大戦まで大いに流行し、江戸市中の四谷神田日本橋から練馬立川や所沢の方まで講があったそうです。
手水舎です。泉龍寺という名のごとく、龍がいます。水と龍はワンセットなので、手水舎に龍はつきものですね。農業が経済のほとんどだった時代に、日照りが続くと死活問題ですから、人の力でどうにも出来ない切なる雨乞いの願いが、想像上の龍に向けられ、神のように祀られていたのだと思います。良弁僧正の雨乞いでも、龍が舞い上がったと言い伝えられています。
2階建ての鐘楼堂で、天保15年(1844年)の建築だそうです。泉龍寺の堂宇は江戸中後期の建築で、まとめて狛江市の文化財に指定されています。正確には鐘楼門と言って、山門と本堂を結ぶ参道の直線上にあり、門の役目も兼ねています。
本堂です。仕事柄泉龍寺を度々訪れますが、この境内の木々が無ければ、本堂前や境内はすごく広くなるだろう想像します。しかし、松雲山の名の通り、これらの木々がこの寺院の特徴で、何よりここまで大きな木を移動したり切り倒したりするのは大変だと思います。それでも年老いて危険な木は切らなければならないようで、時々無くなっているのを発見します。
本堂には釈迦如来がご安置されています。宝永3年(1706年)の建築です。本堂も鐘楼門も山門も、昭和30年代の改装までは茅葺屋根だったそうです。駅チカなので、何もない日でもぽつぽつお参りの方が来られます。
本堂の左側に開山堂があります。弘化4年(1847年)の建築です。本堂を小ぶりにした造りですが、こちらは賽銭箱もなく、使用されているのかわからない雰囲気です。泉龍寺を開山した良弁は、言わずと知れた奈良東大寺を建立した僧です。創建は765年で、都内最古の浅草寺の開基が628年で2番目の深大寺が733年ですから、泉龍寺もかなりの古刹ですね。
寺の玄関口に石のベンチがあります。所々に大きな木があって広場を取りにくい泉龍寺の境内ですが、結構様々なイベントを行っているのを見かけます。
更に右側は奥まっていて、ここに知られざる仏教図書館があります。こちらは大学の先生だった先代住職が館長をしているそうですが、毎日開館している訳ではないようです。会議室も備わっていて、たまに勉強会も開かれているようです。
境内から出て、道路を挟んだ駅側に弁天池の森林保存エリアのような場所があります。こちらも元々は泉龍寺の境内です。良弁僧正が雨乞いをしたのが開基というお話でしたが、その雨乞いによって湧き出したのがこの弁天池だそうです。周辺地域の農業にもここから水を引いていたそうで、まさに命の恵みですね。良弁僧正の雨乞いの際に、上空に聖観音菩薩が姿を現したという言い伝えと、平安時代に増賀ひじりが泉龍寺を天台宗に改宗した際に聖観音菩薩を安置したという言い伝えがあり、弁天池の北側に聖観音菩薩像がご安置されています。
更に奥へ行くと弁財天がお祀りされています。泉龍寺の湧き水は、良弁僧正の雨乞いで出現し、以来この地の農業用水としても利用されて来たのですが、昭和47年についに涸れてしまったそうです。
このあたりが興味深いですね。仏教の偉大な功徳を語る伝説として、いつまでも涸れることなく、地域の人々の生活を潤しましたとさ、めでたしめでたし。となるはずですよね。そして泉龍寺の泉が涸れた2年後、台風による大雨で多摩川が狛江市で決壊し、住宅が次々と流される大災害が発生しました。都市伝説のように書きましたが、涸れた翌年には狛江市の史跡第一号としてこの弁天池が復元され、狛江市民の拠り所として大切にされています。泉龍寺の現住職も先代住職も非常に聡明な方なので、近隣の皆様は一度勉強会に参加してみてはいかがでしょうか。いつ開かれているのかは謎ですが。
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