寺社探訪

寺社探訪とコラム

「神仏:釈迦如来」

寺や神社で頭を垂れて手を合わせて拝みますが、その対象は何なのか? 自分の欲望を訴えることには一生懸命なのに、誰にお願いしているのかすら知らないというのも失礼な話です。神社や寺院に安置されている神仏について、触れてみたいと思います。

仏とは

仏教の信仰対象となる仏とは、狭義では「如来」のことです。如来は悟った存在。つまり、修行を達成し、輪廻から解脱した存在です。仏教を開いたお釈迦様も、ブッダ仏陀:目覚めた人)という名の通り、修行を達成し悟った存在ですので、釈迦如来になりました。お釈迦様以外にも如来という最高位にいる仏は複数いらっしゃいます。薬師如来阿弥陀如来大日如来などが有名です。

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(八王子市 高尾山薬王院:八大龍王像) 

仏教の信仰対象となる仏は、広義では如来だけでなく、如来に準ずる存在も含まれます。「菩薩」や「明王」や「仏教の守護神」や「仏教指導者」などがいらっしゃいます。広義では仏様と呼んでいますが、実際にはまだ悟り切っておらず、輪廻の中に存在して修行中なのです。「菩薩」では観音菩薩地蔵菩薩が有名です。「明王」では不動明王愛染明王など、「仏教の守護神」では弁財天や八大龍王十二神将など、「仏教指導者」では阿羅漢と呼ばれる聖者、空海日蓮など宗派の始祖や高僧が信仰の対象になっています。

釈迦如来

それでは今回は「如来」の中の「釈迦如来」にスポットを当てましょう。

釈迦如来は仏教の始祖なので、その教えの目的を達成した最高位の仏様です。ゴータマ・シッダールタというインドの釈迦族の王子として生まれ、結婚し子どもをもうけてから、29歳で出家して修行生活に入りました。「四門出遊」という伝説があり、王子である釈迦が初めて城から出たときに、最初に老人と出会い、次に病人と出会い、3度目には死人に出会い、この世には避けられない生老病死の苦しみがあることを感じました。4度目に城から出たときには修行者に出会います。避けられない苦しみとは違う修行者の道に進もうと、釈迦が出家を決意したという伝説です。

f:id:salicat:20210717012634j:plain (豊島区 護国寺:釈迦如来坐像)

出家した釈迦は高名な仙人や高僧を尋ね、その教えを受けたり教えの通り苦行をしたりしたが、どれも不満足に感じました。釈迦はこれら師僧の元を離れ、独自でさらなる苦行に励みました。断食修行で骨と皮になった時、スジャータの施し(乳粥供養)を受けます。そこで過度の快楽と同様に過度の苦しみも悟りへの道には不要だとして、苦行を辞めます。そして35歳で菩提樹の木の下で瞑想に耽り、瞑想によって悟りを開きました。

釈迦はこの悟りを理解できる人は誰もいないだろうと自分の悟りを伝えることはしませんでした。すると梵天が「もしかしたら、悟りの考えに近い人もいるかもしれず、そんな人なら釈迦の悟りを理解できるかもしれない」と釈迦を説得します。「梵天勧請」という伝説として知られています。梵天とはインドの仏教以前のバラモン教の神で、仏教と習合して仏教の守護神と位置付けられています。その後は布教のために遊行したり、竹林精舎・祇園精舎などを拠点に弟子を育成したりしていましたが、遊行の途中80歳で亡くなりました。

 

釈迦如来を本尊とする寺院

仏教の始祖なので、日本に伝わった大乗仏教の中でも、ほぼ全ての宗派で釈迦如来を信仰の対象としています。釈迦如来を本尊とする寺院が多いのは、曹洞宗臨済宗などの禅宗です。禅宗では釈迦牟尼仏釈迦牟尼世尊という呼称が多いですが、釈迦如来と同じ意味です。釈迦如来をご安置する場合、釈迦三尊という安置の仕方をすることが多いです。特に決まりはないそうですが、中央に釈迦如来、両脇侍に文殊菩薩普賢菩薩を配するものが最もポピュラーです。また、本尊としてではなくても、境内に釈迦堂を建てて釈迦如来をご安置しているのは、多くの宗派に見受けられます。

 (葛飾区 帝釈天題経寺:釈迦堂)

釈迦如来像を安置する他に、寺院には仏舎利塔という、釈迦の遺骨を納めた塔が建立されています。仏舎利は釈迦の入滅後、釈迦に帰依していた八大国に分けられました。そこから更に分散して、日本にも仏舎利塔はたくさんあります。タイやスリランカの政府から、公式に分与された遺骨もあります。東京だと浅草寺仏舎利塔がそうです。日本の寺院に見られる五重塔は日本式の仏舎利塔として建造されたのですが、最近ではよりインドのストゥーパに近い形の仏舎利塔が多いです。全ての仏舎利塔に釈迦の遺骨が納められているはずもなく、代わりに経本や宝物を納めた仏舎利塔もあるそうです。

 

東京都の釈迦如来

東京で釈迦如来像をご安置している寺院はたくさんありますが、おすすめの釈迦如来像を選んでみました。

銅造釈迦如来倚像:深大寺調布市

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東日本最古の国宝仏で、7世紀後半の白鳳時代に作られたものだそうです。当時は歴史区分的には飛鳥時代で、日本の中心は奈良です。仏教と仏像が大陸から日本に伝わって、段々と仏教も仏像も日本風に変化が現れて来た頃だと思われます。深大寺の釈迦如来倚像は、そんな日本式の変化を思わせる独特な姿をしています。飛鳥時代の仏像がなぜ東京にあるのかも大きな歴史ロマンです。

 

木造釈迦如来立像:大圓寺(目黒区)

 東大寺の僧ちょう然が、宋(中国)で一目惚れして持ち帰った釈迦如来像を、京都の嵯峨に庵を設けて安置し、その庵が清凉寺になります。清凉寺の釈迦如来像は人々の信仰を集め、多くの模刻が造られ、清凉寺式と呼ばれました。中でも、大圓寺の釈迦如来像は指先まで忠実に模されており、国の重要文化財に指定されています。秘仏になっていますが、正月7日間と灌仏会と甲子の日と大晦日にご開帳されています。拝見できる機会は結構多いですね。

 

釈迦牟尼仏坐像:九品仏浄真寺(世田谷区)

九品仏は9躰の阿弥陀如来像が有名ですが、本堂の本尊は釈迦如来像なのです。九品仏浄真寺の良い点は、特に行事などのない日は、本堂に自由に上がれることです。靴を脱いで本堂に上がると、思いのほか天井が高いことに驚きます。他の参拝の方もいらっしゃるので、少し端の方で畳の上に正座して本尊の釈迦如来像を見上げると、思わず合掌してしまうほどに存在感が放たれているのを感じ取れます。そのまま少し細面の釈迦如来の前で、日頃は見せないようにしている心の内側を吐露してしまうと、すっきりした気持ちでまた前に進めることでしょう。

 

※ 仏教の解釈は宗派や学派によって様々です。日本に伝わった大乗仏教の教義を軸に、私自身が教わったり学んだりしたことを、人生の寄す処になるように消化してきた内容に基づいて記述しています。

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