愛宕神社 目次
名称・旧社格
創建
慶弔8年(1603年)、徳川家康によって創建されました。
御祭神
火産霊命(ほむずびのみこと)
御神徳
火に関すること。防火。防災。印刷、コンピュータ関係。出世。商売繁盛。恋愛、結婚、縁結び。
みどころ
鳥居から境内へ上がる男坂は「出世の石段」と呼ばれていて、非常に急な階段です。自然の山としては東京23区で最も高い25メートルの愛宕山の山頂に境内があります。急で長い階段を上がった境内は、非日常感あふれる別天地のようです。
アクセス
東京都港区愛宕1-5-3
探訪レポート
虎ノ門ヒルズ駅から歩いてきました。とても天気の良い日曜日で、鳥居の前にはお参りの方がたくさんいらっしゃいました。鳥居の奥の階段の下で、皆さん一様に上を見上げています。
というのも、愛宕神社は愛宕山という海抜25mの天然の山の頂上にあります。写真(↑)の左の階段が男坂で、右が女坂。どちらにしても急勾配の石段で、足腰しっかりしていないと登れません。男坂も女坂も無理な方は、この他にも境内に上がれる道がありますので、そこから行くことができます。
男坂を登ります。「ここでトレーニングしないでください」という看板がありましたが、アスリートは血が騒ぐことでしょう。この男坂は「出世の石段」と呼ばれています。徳川三代家光が、増上寺へお参りに行った帰りに愛宕神社の前に差し掛かり、石段の上に見事に咲いた梅の花を見て、馬で取ってくるように命じたそうです。歩いて登るのも大変な急な石段を、馬に乗って登ることは命を落としかねないので、周囲の家臣たちは尻込みをしていました。誰も名乗り出ず、家光の怒りが爆発寸前のところで、ひとりの家臣が歩み出て、見事に馬を操り石段を駆け上がり、梅を家光に献上しました。男の名は曲垣平九郎。家光どころか周囲の近臣たちも知らない男の活躍に、家光は感激し「この太平の世に、馬術の研鑽を怠らず見事なり」と日本一の馬術の名人だと讃えたというお話です。
階段を登りきると、境内になります。虎ノ門ですから、周囲の建物の方が高いのですが、ここが愛宕山の頂上となります。昔はここから江戸の町が見渡せて、見晴らしの良い人気スポットだったようです。周囲の建物とのギャップによって、この境内が特別な領域であることをわかりやすく感じます。
愛宕山は天然の山なので、三角点もあります。25mというと相当に低いですが、東京都23区で最も高い自然の山なのだそうです。
日曜日ということもあって、境内は多くの人が参拝に訪れていました。境内に上がってすぐに鳥居があり、そこから本殿へ向かって参拝の列ができていました。
まずは、手水舎でお清めをします。羽子板絵馬というのは、愛宕神社の縁起物だそうです。周囲で手を清める方の中には、まだ息が上がってはぁはぁと言っている方がいました。そのくらい急な階段を上がった場所にこのような場所が開けていると、本当に異空間という感じがします。
列に並んで少しずつ進みます。丹塗りの門を通ります。丹というのは金属を原材料とした顔料で赤い色が特徴です。サビや虫食いに強いので、多くの寺社で用いられています。6月23・24日のほおずき市の際に、この門に茅の輪が設置されます。茅の輪と言えば6月30日の大祓が有名ですが、この愛宕神社ではほおずき市の日に設置され、この日茅の輪をくぐってお参りすると、千日分のご神徳をいただけるということになっています。
門をくぐって左側に、招き石があります。これは招き猫の石バージョンなのかどうかわかりませんが、そのように見えなくもないです。得体は知れませんが、触ると福が身につくということで、表面がツルツルになるほど人々に撫で回されていました。¥
さて、いよいよ拝殿に到達しました。拝殿の中はキレイというか、ゴージャスな感じです。愛宕神社の御祭神は火産霊命です。愛宕神社の総本社は京都にある愛宕神社で、日本の寺社の歴史を語ると頻繁に登場する役小角が創建に関わっています。役小角は修験道の祖と言われる人ですから、愛宕神社も愛宕大権現と称する神仏習合の神を祀っていた修験道場時代が長かったのですが、火伏せ、防火に霊験のある神社として名が広まりました。昔は火事ひとつで都市が失われるほどの被害がありましたから、為政者は町づくりの際に愛宕神社を建立することが多かったです。この愛宕神社も、江戸を火事から守るべく、徳川家康によって建てられました。
社殿の左側に「将軍梅」があります。こちらが、入口の急階段の逸話にあった、徳川家光に献上された梅の木とのことです。
社殿の左側には少し広い場所があって、社務所が建っています。なかなかおしゃれな社務所で、お守りなどの授与品の取り扱い、ご祈祷の受付を行っています。社務所の前に鳥居があって、境内社がある方へ進むことができます。
境内社は左から、太郎坊神社、福寿稲荷社、恵比須大黒社となっています。お社の古さはマチマチですが、それぞれ新しくこの場所に安置された雰囲気があります。福寿稲荷社の両側には、元あった場所から持ってきたものの、置き方が定まらずゴチャっと置かれている感じのお狐様がいます。左の太郎坊神社は猿田彦神(天狗様)をお祭りしていると書かれています。そもそも京都の総本社の愛宕神社も深い山の山頂にある神社で、修験道が盛んでだったので、愛宕山の天狗を太郎坊と称して奥の院の御祭神としてお祀りしていました。
良いお天気だったので、境内の新緑から漏れる陽の光が、なんとも清々しい雰囲気を作り出してくれています。こんな場所で落ち着いて木々を眺め・・・といきたいところですが、実際には結構な観光客がいて雑音が多めです。
大きな池があり、たくさん鯉が泳いでいます。実はこの愛宕神社には犬や猫が住み着いていて、それぞれ個別認識されていて、愛宕神社のアイドルとして有名なのだそうです。そんなことは全く知りませんでしたが、この池の畔で、確かに白くやや長毛のきれいな猫が寝ていました。全く人を恐れないというか、大勢の観光客がいても、我関せずで寝ているので、そんなところに猫が寝ていると知らず、思わず踏み潰すところでした。実際に踏み潰していたら、休日の幸福な午後の境内が、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していたでしょう。猫の運がいいのか、私の運がいいのか・・・。
大きな池の中には、弁天様がいらっしゃいました。神仏習合の歴史がありますが、一応神社なので、市杵島姫命としてお祀りしています。
と、思いきや、こちらは思い切りお地蔵様です。このお地蔵様については、詳しいことがあまりわかりませんでした。京都の総本社の愛宕神社には神仏習合の愛宕大権現の本地仏として、本殿に勝軍地蔵がお祀りされていました。この東京の愛宕神社でも、勝軍地蔵が徳川家康によって、本地仏として愛宕神社の別当寺である円福寺に祀られました。円福寺は明治維新の廃仏毀釈で廃寺となったため、現在は真言宗智山派の総本山別院である愛宕薬師真福寺に移されています。その勝軍地蔵とこの地蔵菩薩は関係あるのか否か、個人的には関係なさそうな気がします。
さて、登ってきたということは、下りなければなりません。他にも帰り道はあるのですが、やはり往復してこそ「制覇」と呼べるのではないでしょうか。私はまだ平気ですが、あと数年経てば足が効かなくなる高さです。この25mの高低差に日常と非日常の境界線があるのですね。非日常の空間で心を洗い浄め、また日常の条理と不条理を受け入れる余裕を取り戻したら、ゆっくり階段を下りましょう。
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