寺社探訪

寺社探訪とコラム

亀戸香取神社

亀戸香取神社 目次

名称・旧社格

香取神社と称します。通称、亀戸香取神社と呼ばれています。旧社格は村社です。

創建

天智天皇4年(665年)

御祭神

経津主神(ふつぬしのかみ) 

御神徳

勝運やスポーツ振興の神として有名です。

みどころ

亀戸天神社に近く、周囲のエリアも参拝客向けのお店も多く、街に祈りの雰囲気が感じられます。5月5日に勝矢祭では、武者行列が行われます。

アクセス

東京都江東区亀戸3-57-22

JR総武線「亀戸」徒歩12分

探訪レポート

蔵前橋通りに大きな鳥居があり、神社へ向かってまっすぐ門前の商店街となっています。商店街は特に参拝客向けのお店が連なるというものではなく、周辺住民が日常に利用する感じですが、石畳の通路でとても雰囲気があります。そして門前町を抜けて境内入り口に大きな鳥居があります。石畳の参道が続きます。

参道の終わり近く、右側に木遣音頭碑が建っています。木遣塚や石塔は木材を扱う仕事をする方が歌う作業歌だったのですが、現在は伝統の保存のために継承されています。江戸では鳶職の方々が町火消を構成していたので、鳶職の方々が江戸町火消し保存会を結成して継承しています。私は葬儀の仕事をしており、鳶職関係の葬儀で何度か木遣り唄を聞いたことがあります。生で聞くと、心の内側から感動がこみ上げてきます。

狛犬が一対。そこから先が境内になっています。神域の入口を守るべく鎮座しています。スタンダードタイプの狛犬に見受けられます。狛犬のタイプにも様々ありますので、狛犬に注目して分類研究したら面白い結果になりそうです。

手水舎がありますが、亀戸大根之碑が大きな存在感を示しています。亀戸大根というからには、この地域で大根づくりをしていた歴史があります。文久年間(1861~1864年)から明治時代にかけて、さかんに栽培されていたそうです。根が30cm程度の短い大根で、先がくさび形に尖っているのが特徴。明治期には「おかめ大根」「おたふく大根」と呼ばれていたそうですが、大正期に「亀戸大根」と呼ばれるようになったそうです。大正後期からは宅地化が進み、大根栽培は他地域に移っていったそうです。

楽殿です。神事が行われる際に使用されます。勝運の神様とのことで、古来から武道系の信仰が厚かった神社で、古武術の奉納などの神事が行われています。亀戸神社の最大の神事として、勝矢祭が毎年5月5日に行われています。鎧兜や陣羽織を着た氏子さんたちや地元の子どもたちの武者行列が行われるそうです。亀戸大根収穫祭というお祭りもあって、学校や限定されたエリアで栽培された亀戸大根の収穫祭を行っています。亀戸大根の味噌汁など配布する福分け祭りも同時に開催されるそうです。近年いずれの神事もコロナ対策でまともに開催できていないようですが。

こちらが社務所です。かなり立派ですね。土曜日に訪れたので、御朱印をいただく方々など、結構いらっしゃいました。

こちらが勝石といいます。石の上に載っているのは一振りの刀を模した石製のものです。これは神社の創建にまつわる話に関わります。天智天皇4年(665年)藤原鎌足が東国下向の際、亀の島に船を寄せて、香取大神を勧請し、太刀一振りを納めて旅の安泰とご神徳を祈願したというのがこの亀戸香取神社の創建です。鎮座1350年の記念に、藤原鎌足の故事にならって、多くの方々に香取大神のご神徳がもたらされるようにと、勝石が奉納されたそうです。

本殿は質素な感じを受けます。内部は厳かな神域という感じ。スポーツの神というのをゴリ押ししていますが、そもそもの御祭神は経津主神です。香取大神といえば経津主神のことです。本社は千葉県香取市香取神宮です。この香取神宮利根川を挟んだ対岸にある鹿島神宮と同じく、紀元前から存在する神社です。武功の神とされていて、そこから武道→スポーツという流れになっています。

当ブログの特別企画として「平将門の魔方陣巡礼」を行いましたが、この亀戸香取神社は、朝敵となった将門を討つべく藤原秀郷が戦勝祈願をし、成就したことから弓矢を奉納して、勝矢と命名したそうです。これ以来歴代の武将たちから崇敬を集め、江戸時代にも徳川家から庇護されていたそうです。

亀戸七福神というのがありまして、大体1箇所に1神で7箇所に7福神となるのですが、亀戸七福神は6箇所で、この亀戸香取神社が2神を受け持っています。それがこちらの大黒天と恵比寿天です。大黒天と恵比寿天はよくセットにされます。日本神話の神で言うところの大国主命少彦名命で、日本を創った神々です。柄杓で水をかけるとご神徳が得られるというもので、辺りは水浸しになっていました。

こちらは「亀が井戸」という井戸を復元したものです。藤原鎌足が亀の島に船を寄せたと書きましたが、この地は亀の島という海上の島だったのですね。そこに亀村ができて、亀が井戸が湧いて、合わせてこの地域が「亀戸」と呼ばれるようになったのだと言われています。かなり消えかかっていますが、「若水や福も汲み上げ亀が井戸」と書かれています。

ここからは境内社ゾーンです。おそらく同じ時期に同じように再建された境内社です。造りがほぼ同じに見えます。こちらは天祖神社となっています。香取神社から少し西側に、天照大御神を祀る入神明宮という神社がありました。このあたりはそもそも海の中の亀の形をした島で、漁師たちの安全と豊漁を祈願するために建てられた神社が入神明宮で、明治時代に天祖神社と改名され、昭和63年に香取神社に合祀されることとなりました。

お狐様がいらっしゃるので稲荷社ですね。稲足神社と称します。御由緒を読んでもよくわかりません。面足神(おもたるのかみ)・憧根神(かしこねのかみ)が主祭神となっていますが、神仏習合第六天魔王を祀る神社が、明治維新神仏分離令の際に、垂迹神として祀ったのがこの2神です。明治以前は近くの普門院の主管であったというのは、そういう訳だと思います。相殿に金山比古神、宇賀御魂神とあります。宇賀御魂神は稲荷神です。琴平神社を合祀したと書かれていますが、金山比古神が琴平神社というこということなのでしょうか? 琴平神社は大物主命のイメージなんですけどね。

こちらは亀戸七福神巡りの香取神社の担当でもある、大黒天と恵比寿天を祀った神社です。福神社というとてもわかりやすい名称が付けられています。

メゾネット式に三社が並んでいます。左から熊野神社三峯神社、水神社と、当社とそこまで関わりがなさそうなメジャーな神社が三社です。これらの神社はそれぞれに亀戸村内のどこかに鎮座されていたものが、時の流れで香取神社内に遷座することとなったようです。

色々と拝観いたしましたが、一番のお気に入りはこちらの稲足神社のお狐様です。親子狐というのが珍しいですし、この子狐の遠慮のない足への噛みつき(絡みつき)と、全く動じない親狐の威厳が、良き親子像を表しているように見えます。神社としての人気は、近くの亀戸天神社に軍配が上がってしまいますが、この亀戸という地域と共にあるのは香取神社の方だと思います。ここがまだ海の中の島だった頃から、地域の人々の営みを見守ってきた神社です。

 

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