名称・寺格
正式な名称は蓮華王院本堂です。通称三十三間堂と呼ばれています。近くにある天台宗の妙法院門跡の飛び地境内となっています。
創建
長寛2年(1165年)に後白河上皇が建立した法住寺殿(院政庁)の一角に創建されました。後白河上皇の命により、平清盛が造進しました。
本尊
千手観音座像
みどころ
圧倒的な数の仏像のひとつひとつが数百年の歴史を刻んでいて、仏像群がひな壇に整然と並ぶ様子は、目に見えないエネルギーが吹き下ろすように感じます。美しい池泉回遊式庭園も心が落ち着きます。
アクセス
京阪本線「七条」徒歩5分
探訪レポート
三十三間堂は東山の観光エリアの中でも京都駅に近いからか、朝から大勢の外国人観光客が詰めかけていました。堂内に入る前に境内を一周してみました。
お堂の正面は池泉回遊式庭園になっています。三十三間堂は蓮華王院本堂という正式名称があるのですが、そもそもは後白河上皇が院政を行っていた法住寺殿の一角に建てられたお堂です。現在でも法住寺は存在していて、三十三間堂の隣にあります。
外国人観光客の方々が庭園をゆっくり鑑賞しながら歩いているのを見ると、私が手入れしている訳でもないのに、日本人として誇らしい気分になります。法住寺の反対側の三十三間堂の隣には、京都国立博物館があるのですが、その隣に豊臣秀吉が建立した方広寺があります。方広寺にはかつては大仏があり、奈良・鎌倉と共に日本三大仏のひとつでした。秀吉は天下人でしたから方広寺は広大な寺院で、法住寺も三十三間堂も方広寺の境内の中になりました。
朱塗りの回廊が目に鮮やかです。豊臣家が滅亡して、方広寺も三十三間堂も妙法院の管轄地となり、三十三間堂は現在でも妙法院の飛び地境内となっています。
後白河法皇の13回忌法要にて、土御門天皇に請われて法然が六時礼賛という法要を行いました。その遺蹟として建立された石碑です。六字名号(南無阿弥陀仏)が刻まれていますが、説明書きによると、法然は民衆に名号や写経を配って、念仏や写経を勧めていたのだそうです。
手水舎です。三十三間堂創建の年、堂僧のひとりが夢のお告げで発見した霊泉です。夜中に水の湧き出す音がすすり泣きに似ていることから夜泣泉と呼ばれたそうです。いつの時代からか傍らにお地蔵様が奉られ、子供の夜泣き封じに功徳があるという信仰が広まりました。お地蔵様の前掛けを持ち帰って子どもの枕に敷くと、夜泣きが治るとのこと。
横に長すぎて写真には納められません。堂内の入口は学校の入口のように下駄箱が整然と並んでいて、そこで靴を脱いで上がります。橋から堂内に入り、1000体以上の千手観音像に威圧されながらその前を通過し突き当りまで行くと、裏側を通って戻ってくる仕組みになっています。一応、この像が国宝でこちらが重要文化財でと説明書きされていますが、あまりにも多いのでどうでもよくなります。この仏像群が貴重で得も言われぬパワーを発しているのは外国人の目にも明らかで、皆さん静かに神妙な様子で見学されていました。裏側は資料館のように様々な展示があります。中でも弓矢の展示が多かったです。最後にお土産屋さんに強制入店させられ、お土産屋さんの出口から下駄箱に戻ります。途中で外に出ることができて、長椅子に座って庭を眺めるという雅な時間を過ごすことができます。
本堂から眺める正面には、朱塗りの回廊から続く東大門があり、東大門の前にも、雅な時間を過ごす椅子が置かれていました。
庭園の横に朱塗りの鐘楼堂がありました。
三十三間堂の近くにワシの寺院を建てたい、後白河法皇や平清盛のように栄華を極めたいと、ここ(現:京都国立博物館の地)に豊臣秀吉が方広寺大仏殿を建立した訳ですが、その南大門(重要文化財)が、現在は三十三間堂の門となっています。その門に続くのが高さ5.2mの塀で、太閤塀(重要文化財)と名付けられています。何でも不必要なほど大きくするのが戦国大名の気質なのかもしれません。
コーエーの「信長の野望」が私の情報ソースですが、太閤塀の瓦には秀吉の家紋「太閤桐」が用いられていました。例えば山梨県で武田菱を見かけたり、関東で三つ鱗紋を見かけると、なんだか気分が上がります。私は由緒正しき真田家の葬儀でご自宅にお邪魔したことがありますが、玄関に額縁に入った六文銭の家紋が飾られていて驚いたことがあります。
西縁の南端から北端に向かって、屋根に矢が当たらないように射る「通し矢」という弓術の競技が開催されたそうです。各藩が威信をかけて送り込んだ弓の名人たちが天下一をめぐって争奪戦を行うもので、民衆にも評判になるほど盛り上がったとのことです。一昼夜かけて行う「大矢数」という競技では、江戸時代を通じて約800人が挑み、延べ百万本の矢が射られたと伝えられています。ちなみに最高記録は紀州藩の和佐範遠が、13053本中8133本通し矢を決めたものです。現在では年に一度、的まで60mの全国大会が行われています。
こちらは西側にある門ですが、三十三間堂の西門は東寺の南大門に移築されたので、こちらは新しいものだと思われます。
三十三間堂では、年に一度12月に、仏名会(ぶつみょうえ)という行事が1行われます。これはその年の罪障を懺悔し滅罪正善を祈る法要で、拝観時間が済んだ静寂の三十三間堂の中で、千体千手観音像の尊名を唱えつつ起立礼をする礼拝行をします。1時間ほどかけて100尊の観音様に礼拝する行で、一生に一度は参加してみたいものです。
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