前回は楼門までの長い参道をレポートしてきました。今回は下鴨神社の北半分、楼門をくぐってその内側を観ていきましょう。
本殿は更に中門を入ったエリアにあります。楼門と中門の間のエリアの真ん中に、重要文化財の舞殿があります。賀茂祭(葵祭)の際に勅使が御祭文を奏上し、雅楽「東游」が奉納されます。楼門と同じく、寛永5年の式年遷宮以降は新築ではなく改築をしています。
この四角は下除所(げじょのところ)といいます。要するにお祓いをする場所です。神社では入場する際や儀式の始めなど、心身を浄めて臨むというのが基本です。穢を落とす場所が結界のように四角に封じられています。
比良木社(出雲井於神社)です。いずもいのへのじんじゃと読みます。境内社ですが、延喜式内社でもあり、重要文化財に指定されています。出雲は文化の源である中国大陸に近く、技術や文化面で縄文時代から突出した地域でした。日本史の空白の4世紀と呼ばれる間の出来事はわかりませんが、近畿の大和朝廷に下り律令国のひとつとなります。それでも出雲族は各地に移動してその優れた力を発揮していきます。京都でもこのあたりに出雲族が集まって住んでいたのでしょう。現在でも所々に出雲の名が残っています。
供御所(くごしょ)です。こちらも重要文化財です。千年の都を代表する神社ですので、ほぼ歴史的・文化的に重要な建物ばかりです。神様にお供えする神饌を調理する建物です。これ( ↓ )は伊勢神宮での神饌に関する動画ですが、とても興味深く面白いので掲載させていただきます。
自給自足を徹底していています。現実的には、莫大な費用をかけてここまでする必要性を考えてしまいますが、絶対に必要だから省かれることなく続けられているのでしょう。
こちらには寛政5年に光格天皇により奉献された白王梅があったのですが、まるで雪のように白く花が咲くので「擬雪」と名付けられました。当時の梅は枯れてしまいましたが、平成27年の式年遷宮で三井社が改修されその記念に三井グループより奉献されました。
こちらが三井神社です。拝所の正面の空間に各社殿が整然と並んでいます。正面に中社として建角身命。右に東社として伊賀古夜日売命、左に西社として玉依媛命が配置されています。側面には諏訪社として建御名方神、小社社として水分神、白鬚社として大伊乃伎命(猿田彦神)がお祀りされています。
橋殿です。橋と社殿が一体化したもので、御手洗川の上に架かっています。ここは古くより各神事において奏楽や神楽芸能が奉納されています。
さて、次にこの中門を通ると更に内側の、本殿のあるエリアに入ることになります。
中に入ると「鴨の社へえと詣」という案内板がありました。本社の前は干支詣をするスペースになっているのですが、これは平安時代からずっとそうなのでしょうか? 十二支で7社ですから、単独が2社あって残りの5社は干支が二つずつです。
皆さんやはり自分の干支のところでお参りしますから、だいたいの年がバレますね。
ご本社も先程の三井社と同じく、拝所の奥に社殿が並んでいます。賀茂建角身命をお祀りする西本殿と玉依媛命をお祀りする東本殿の二社が並んでいます。両社とも国宝に指定されています。鴨氏の祖神を祀る神社は、私始め鴨氏の子孫ではない人々にとって関係ないように思えますが、老若男女国内外の皆様がお参りしていらっしゃいます。初代天皇である神武天皇を支えた神とされていて、日本神話に登場する金鶏・八咫烏に化身したと伝えられています。
お参りを済ませ、中門の外に出まして、本殿に向かって右側から奥に伸びるエリアを探索します。楼門と中門の間の境内には短い距離ですが川が流れていて、御手洗川と呼ばれています。伊勢神宮の五十鈴川のような感じで、下鴨神社で行われるさまざまな神事に御手洗川の水が活用されています。また、輪橋(そりはし)の横にある梅は、このあたりの景色を尾形光琳が描いた「紅白梅図屏風」(国宝)に因んで「光琳の梅」と呼ばれているそうです。
こちらはお祓い・お清めのためのお社である井上社です。御祭神は瀬織津姫命です。瀬織津姫は謎多き神で、天照大御神の荒御魂という説もありますが、古事記や日本書紀には登場しません。古来より水神・祓神・瀧神・川神として祀られてきました。御手洗池の池底から湧く水泡を象ったものが、みたらし団子の発祥だと伝えられています。
今度は横に長い解除所です。御手洗池や祓いの社の近くにありますので、一度に多くの方がお祓いを受ける事ができるようになっているのだと思われます。
こちらは遙拝所と書かれています。何の神様の遥拝所なのかはよくわかりません。方角的に伊勢ではないと思います。妥当なところで比叡山の日吉大社かとも思いますが、結局のところはわかりません。
こちらは細殿と称します。歴代の天皇や法皇・上皇・院などの賀茂御幸の際に、安在所となった御所です。関白賀茂詣の際には拝所とされ、鴨社歌会も行われました。また、大火で御所が類焼した際には内侍所の奉安所となり、文久年度の大火では後の明治天皇の安在所となりました。
楼門と中門の間のエリアには、西側に鳥居があり、そこから伸びているのが西参道です。
西参道沿いには神饌を調理するエリアがあります。大炊殿には竈があり、ご飯、餅、ぶと、まがり(お菓子)などの穀物類が調理されました。お酒は酒殿、魚貝鳥類は贄殿で調理されました。
いずれも文明2年(1470年)の兵火で焼失し、大炊殿は再建されました。酒殿は無くなり、贄殿は供御所はのひと間に充てられました。奥には氷室もあります。古くは糺の森の湧水を地中深くから汲み出し、冬の間に凍らせて冷蔵保存に活用したとのこと。また調理や神事に利用した井戸もあり、井戸さえも国の重要文化財に指定されています。
こちらは末社の印納社です。お祀りされているのは印璽大神と倉稲魂神です。古印を納めてご守護を仰ぐお社で、古くから御本宮の御垣内に祀られていたのだそうです。
メゾネットタイプで愛宕社と稲荷社が並んでいます。この場所は平安時代から室町時代は、賀茂斎院御所だったそうです。愛宕社も稲荷社も、当時から斎院御所の守護神として祀られていたのだそうです。
東京では国宝に指定された社殿や世界遺産に選ばれた境内を巡るというのはできないのですが、さすがに京都を代表する神社なので、重要文化財だらけでこちらの価値観が麻痺してしまいそうです。パワースポット的にも鴨川と高野川の合流点という地理的説得力がありますね。水のあるところに人が住み着き、文明を生み出して来たとすると、下鴨神社は歴史書に残っていない伝説がたくさんありそうです。
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