今年は戦後80年。もはや戦争体験者から直接話を聞くこともままならなくなりました。それでもメモリアルイヤーなので、人々の関心が強くなっているように思われます。九段下の駅を降りて坂道を、人の流れ追い越して行くまでもなく、改札から例年とは違う混雑ぶりでした。それでも戦争経験者がまだ存命だった頃の、多くの観光バスが乗り付けたあの夏の靖国に比べると、雰囲気は全然違っています。

11時40分に九段下駅に到着し、相変わらずの新興宗教団体や政治イデオロギー集団のビラ配りと演説に左右を囲まれて靖国神社を目指します。しかし、なぜ終戦記念日の靖国神社で布教活動するのでしょうか?

それにしても前に進むことも難しいほど混雑していました。戦後80年には、私が思う以上の価値があるのかもしれません。

日本武道館で行われている全国戦没者追悼式の音声が境内に中継されているのですが、混雑の中を進んでいると、ちょうど正午になり黙祷を捧げるアナウンスが流れました。靖国神社の境内でも、この時ばかりは皆さん足を止め、頭を垂れて戦没者に哀悼の誠を捧げます。続いて徳仁天皇の言葉が中継されました。この日の靖国神社には特に天皇崇拝思想の強い方々が集まっていますので、直立不動で聞き入っている方も多かったです。話が終わると、あちこちから「天皇陛下バンザイ」の声が聞こえてきました。

全国戦没者追悼式の中継も終わって、また人々がゾロゾロと歩き始めました。東京は数日間曇っていて比較的涼しかったのですが、この日は打って変わってとても良い天気です。私のイメージだと敗戦の夏も無駄に良い天気という印象があります。きっとジブリの「火垂るの墓」のイメージです。

境内のあちこちにミストが設置されていて、少しでも暑さが和らぐように気遣いされていました。目に映るだけで少し涼しい気分になりますね。右側には売店や食堂があるのですが、大混雑で余計に体力を消耗しそうです。

拝殿から続く参拝の列も例年以上でした。これでは先頭まで何時間もかかります。手術で丈夫になった身体なので、炎天下で数時間耐えることはできるとは思いますが、できればやりたくない。既にシャツは汗だくです。そこで、数年ぶりに遊就館に行ってみようと思いつきました。

鎖国をしていた日本は、明治時代から一気に諸外国との関係を構築していきました。国と国との関係性は結局「敵か味方か?」と「上か下か?」ということで内容が変わってくるように思います。敵も味方も、上も下も無いなんてジョン・レノンみたいなことを言っても、昔も今もそこは変わってない気がします。遊就館ではそんな歴史が学べますが、靖国神社は戦没者の味方なので、一方的な正義の押し付けに感じたり、戦争を美化していると受け取ったりする方もいらっしゃるでしょう。

臨時券売所にも行列ができていました。きっと遊就館の中は冷房が効いていて涼しかろうと、数分後の快適な自分を思い浮かべながら我慢して並びます。数年ぶりですからきっと何を見ても新鮮だと思います。「戦後80年戦跡写真展」という特別展示が開催されているようです。遠く南の島には80年経っても、手つかずで放置されている場所かあって、錆び付いた大砲が遺されていたりします。

靖国神社にいると戦争に異様に詳しい人がいて、周囲の知人にその知識を披露している様子を見かけます。知識の質や傾き加減はそれぞれ異なるでしょうが、資料の展示を眺めつつ、そんな知識人の講釈を盗み聞きしていました。私は広島に住んでいたことがあるのですが、靖国神社で感じる戦争と、広島の平和記念公園に感じるの戦争はかなり違っています。そんなことを思いながら、1時間あまりで展示を1周しました。

私は最後の方に展示されている、戦没者たちの顔写真の羅列を見ると、いつも涙が出そうになります。ものすごい数の写真が展示されているのですが、数よりも何よりも、皆一様に若すぎるのです。ただ若いだけだなく、その姿や表情から若さゆえの生きるエネルギーが否応なく感じられてしまうのです。彼らの人生はそこで終わってしまっているのに、純粋な生きる気力に満ちているのです。隣で小学生くらいの男の子が、ハンカチを握りしめて泣いていました。戦争体験者の話を聞くことはままならなくても、同じ感覚を共有できる子どもがいて感動しました。

さてさて、遊就館を出て休憩所で少し休み、参拝の列に向かってみました。列は数m短くなっていましたが、まだ1時間半は並ばなければ先頭に着かないとのこと。13時10分頃で、これからまさに本日の最高気温を記録するであろう時にさすがに厳しいので、並ぶのはやめにしました。

そこで靖国神社を出て歩くことにしました。通りでは警察官が拡声器で秩序を乱す人々に注意をしていました。鎮魂の場所がファスティバル化してしまうのを、いつかどうにかしてほしいものです。

昨年に続き、千鳥ヶ淵戦没者墓苑にやってきました。ここは先の大戦で海外の戦地で亡くなられた方々のうち、身元が分からない方々の遺骨が安置されている施設です。いつでもお参りできますが、8月15日は多くの方々慰霊に訪れます。お昼前には総理大臣はじめ政治家たちが訪問するので、一般人は入れない時間帯があります。

誰の発案かわかりませんが、ご遺骨を納める骨壺を昭和天皇が下賜したというのが、戦没者にとって粋な計らいのように感じます。昨年の戦没者追悼のレポートで、靖国神社の境内に展示されている戦跡の石をご紹介しました。広い太平洋の小さな島々が覇権を握るための激戦地となっていました。名も知ることのできない遺骨が、現在も多くその島々にあると聞きます。戦後の人々の努力によって日本に帰って来られた名もなきご遺骨を、こんな風に丁重に埋葬し、現代を生きる人々が追悼に訪れるというのは、素晴らしいことですね。

六角堂と名付けられた中央のスペースが埋葬場所で、献花台が用意されています。8月15日には各界からの供花が並びます。

菊の花が1輪100円で売っていますので、1つ買って献花台にお供えします。私がお供えした菊の花は、献花台が一杯になる前に元に戻されて、また1輪100円で販売されます。見事な輪廻転生ですが、宗旨は見る限り神道に近いのかなあと思います。頭を下げるだけの方も合掌する方もいらっしゃいましたが、ここに来て戦没者を思い敬虔になることが大切なので、宗旨は何でも良さそうです。現在でも遺骨の収集は官民両方で行われていて、毎年新たに合葬される遺骨があります。

六角堂の正面に、ベンチが並んで休めるスペースがあります。ここで少し休憩します。去年はこのベンチで韓国の若者が日本の老人にたくさんの質問をしていました。たまたま出会った隣国同士の老人と若者ですが、素直に質問する若者と、真摯に答える老人の姿は、両国の政治的嫌悪など感じさせない清々しいものでした。

さて、靖国神社に戻ると、何やらイベントが行われていました。お葬式もそうですが、こういう場所に国会議員が呼ばれると、仰々しく紹介するのが世の常です。私にはどうも売名的な厭らしさが感じられて素直に受け入れられないのですが、主催者としても国会議員が大勢参加する格式高いイベントだとアピールできるので、実は政治家も主催者もWinWinなのです。

「大東亜戦争終戦80年 追悼と感謝の集い」というのが正式なイベント名だそうです。

参拝の行列に来ると、やはり1時間半並ぶとのこと。誘導係の皆さんも大変です。時刻は14時半。他にすべきこともなく、行列の最後尾に並びます。

15時半になり、最後の鳥居までやってきました。並ぶのを諦めた人々が、この鳥居の横で二礼二拍手一礼の拝礼をしていました。陽はかなり傾いてきたので、お昼時の猛暑感は薄れてきました。

私は上京した27年前から、ほぼ毎年靖国神社にお参りしていて、崇敬奉賛会の正会員だったこともあります。身内に戦争で亡くなった人がいるとは聞いていませんが、あの戦争で亡くなられた方々のおかげで、今のこの国で生きることができていると思っています。ただ、実の父親のお墓参りには10年に1度しか行かないくせに、毎年戦没者のお参りをしているのも罰当たりかなと思います。今年も父のお墓参りに行こうかな⋯⋯。
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